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「最愛」の最後を想いながら生きる時間

先月はこの夏のひとり旅について投稿してきました。実はこの話にはまだ続きがあって、旅を終えて帰国した私に待っていた現実のお話。
「禍福は糾える縄の如し」とはよく言ったもので、幸せと不幸はロープのように絡み合って出来ているのだと実感しました。

私は旅行に行くと必ず旅先の到着時、帰宅時に実家に一報を入れます。安否確認のようなものです。今回の北欧旅もいつものように帰宅して、電話をしました。初の北欧旅を終えた私は自分が見てきた世界や楽しかった思い出を母に話して、お土産を持って帰るね!なんて興奮気味でした。ひとしきり私の話を聞くと、母は落ち着いた声で私に愛犬の不調について話始めました。
旅の直前(1週間前)に実家に帰った時もあまり体調が良くないんだという話はしていたし、確かに前に比べるとほっそりしてしまって心配をしていたのだけれど、母の話では、この1週間で急激に悪化してしまって、「いつどうなるか分からない」から会いに帰ってこれたら帰っておいでということでした。幸い夏休みを3日残して帰国していたので、帰国の翌日実家に飛んで帰ることにしました。

私の愛犬はボーダーコリーの女の子。12歳10か月でした。確かにシニアと言われる年齢で中型犬のボーダーコリーの寿命ど真ん中の年齢だったけど、「うちの子は絶対長生きをする!15歳まで頑張ろうね」なんて日々声をかけていました。でも、「その日」はあまりにも早くやってきてしまった。

旅行の荷物もそのままに、実家に帰るとぐったりと横たわる愛犬の姿がありました。食べ物はもう数日食べられていないと聞いて、どうしたらよいのか、ただただ声をかけて身体を撫でてやることしかできませんでした。私の愛犬は食べるの大好き、我が家では『くいしんボーダー』なんて呼ばれて、家族がご飯を食べていると必ずそばで自分もおやつを貰えないかキラキラの目でこちらを見てくるのです。ご飯の時間が何より好きで、毎回ぺろりと平らげてしまう子でした。
両親の話では、中々ご飯を食べてくれなくて困っていると言っていたのですが、私が帰宅してそばに寄ってきてくれたので大好物のささみをあげたら私の手から少し食べてくれました。気を使ってくれたのかも。
食べられたことに喜んだけど、結局すぐに戻してしまいました。

この日の夕方、体調が比較的良さそうなタイミングを見計らって、大好きな公園に家族4人でお散歩に行きました。子犬の頃からお散歩で行く桜並木の公園です。大好きな公園に皆で来ることが出来て心なしか足取りが軽く見えました。日が沈む前の夏の夕空がとてもきれいで、ひまわり畑の横を通り、猫の夕会に遭遇したりしながら、家族でいい時間を過ごすことが出来ました。そして、これが最後のお散歩になりました。

私は仕事の準備のため、次の日自宅に戻ることにしたのですが、本当にこの日が辛かった。「お姉ちゃん、帰るね。また絶対会いに来るからね」というといつものように立ち上がって玄関までお見送りに来てくれました。ほっそりした顔に、目もうるんだ状態で玄関に座り込む愛犬を直視すると涙が止まらなくなりそうで、明るく振舞ったけれど、真っ直ぐ私を見つめる瞳が自宅を出てもずっと頭から離れませんでした。生きているあの子に会えるのはこれで最後になってしまうかもしれないという恐怖と悲しみと行き場のない感情が押し寄せて帰りの電車の中でも涙が堪えられませんでした。いい大人が泣いているなんてびっくりしちゃうからマスクを最大限大きくして目の下まで隠しながら、足早に帰りました。

次の日は仕事で出勤だったので、気が気ではなかったけどいつも通り仕事へ行ったのですがお昼休みにスマホを見ると両親から「今日も頑張って生きてます」と愛犬の写真と動画が届いていました。一度動画を見て、その後外だったので音声だけスマホを耳に当てながら聞いていると、呼吸が明らかにこの間より荒くなっているのを感じました。
その時、ふと思いました。「あ、この子の天使の羽が完成してしまう」と。それはつまり旅立ちが近いということ。そう直感したのと同時に、最後に玄関で見た眼差しがフラッシュバックして、予定にはなかったけど業後に実家に直行することに決めました。
どうか間に合ってくれと祈りながら、仕事を終えて母に連絡すると「頑張っているよ」と返事が来て安心したのを覚えています。「今から帰る!」と伝えると「明日でもいいよ」と母。でも、この時私は「明日では遅い、今日行かないと」と不思議と強く思いました。電車に乗りながらも走っているような気持ちで、早く帰らなくてはと、最後は本当に走って帰りました。

家に着くと、やっぱり苦しそうに横たわる愛犬の姿。でも、本当によく頑張って待っていてくれていました。母から「お姉ちゃん帰ってきたよ」と声をかけられると心なしか耳がぴくっと動き、目も一瞬大きく開きました。きっと私が帰ってきたことが伝わった瞬間だったのだと思います。
それからしばらく、隣に横になりながら沢山お話をしました。たくさん「よく頑張ってえらいよ」ということ、そして何より「愛している」ということを手を握りながら沢山伝えました。目を見て、何度も何度も伝えました。
そして、私が帰宅して1時間程経ったころ虹の橋を渡っていってしまいました。最後まで一生懸命に生きて、大好きな家族の真ん中で、私の「最愛」は天使になりました。この日、私が帰らなくては!と強く感じたのは、この子に呼ばれていたのではないかと思います。この日、帰らず最後の瞬間をそばで過ごせなかったら、今も私は後悔を抱えて生きていると思うのです。
あれから1ヶ月以上が経ちましたが、あの最後の瞬間は脳裏に焼き付いて忘れることが出来ません。最愛の存在を失うということはこういうことなのかと現実を突きつけられました。

3年前、私はこんな投稿をしていました。
最愛の愛犬についての記事です。

命ある生き物を向かい入れるということは、最後の瞬間がやってくることを受け入れる覚悟を持つことでもあります。私も、その覚悟を持ってこの子と家族になりました。だからこそ、家族になったその日から毎日毎日「愛してる」と言い続けて、100万回では足りないくらい。私にとって「最愛」という言葉は彼女の為にあったのだと思います。
家族になって約13年の間、私は大学生から社会人になり、苦悩の日々の中で消えてしまいそうになることが何度かありました。でも、そんな私を繋ぎ止めていたのはいつもキラキラの瞳で私を見つめて、いつだってそばに寄り添ってくれる暖かなこの子の存在でした。本当に私のライフセーバーでした。
それに、周りのライフステージがどんどん変わり、何だか置いて行かれたような気持ちになることも多かったから、この子の存在は子供同然でもありました。友達のスマホのカメラロールが子供の写真でいっぱいになっているように、私のカメラロールはいつだってこの子の写真で溢れていました。私にとって親友・相棒で妹で、最愛の「子供」でした。だからこそ、子供を看取るのは経験したことのないほどの苦しい時間です。

でも、不思議と姿は見えなくても今でもそばにいると思えるのです。きっと大切な家族を看取ったことのある方は同じような経験はないでしょうか。いつもの笑顔でそばに座っているわが子の姿が見えます。
それと同時に、虹の橋の向こうで元気だったころのように大好物を口いっぱい頬張って食べたり、思いっきり走り回る姿を想像して、これでよかったのだと自分を納得させている自分もいるのです。一生幸せでいてほしいと思うのは、この世での天命を全うして空に帰った後も同じです。もう苦しい思いはしなくていい、幸せに過ごせていると思えることで少し気持ちが楽になります。いつか私達が迎えに行くまで、少しの間待っていてもらうことにします。そう思うと、自分の死も怖くないのです。いつか会える日まで。

長くなりましたが、最後に同じような経験をしている方へ。
「リメンバーミー」という曲を聞いてみてください。ディズニー映画:リメンバーミーのあの曲です。私はこの曲を聞いていると心が落ち着いて少し前を向くことが出来ました。

リメンバーミー、私達が忘れない限り、「最愛」の存在は失われません。


わたしの「最愛」

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