息子の夢の続き...
この間の土日が息子の私大の推薦入試だった。
「どこの大学を受験するん?」
と聞いて、出てきた大学名で思い出した。
その大学は息子が幼少期に魚に興味を持っていた頃、毎日のようにお魚図鑑を手にして、読み漁っていた頃に
「そんなにお魚が好きなら、大きくなったらここの大学に入って魚のことをもっと勉強したら?」
と言っていた大学。
それを息子は覚えていたから受験したのかどうかは分からなかったが
「その大学名を聞いて、お前が幼い頃毎日のようにお魚図鑑を読み漁って『リュウグウノツカイ』って言っていたの思い出したわ」
って返した。
それに、それが『きっかけ...』という返信は無かったので真意は定かではないが…
昔から、「緊張したことがない」という息子は今回はどうなのかと思い
「相変わらず、緊張はせーへんのか? お前のそういうところには関心するわ」
と返したら、戻ってきた答えは
「ライブの方が緊張する」
高校に入って音楽ど素人だった息子が、出逢った友人たちに誘われてベースを始めた。
小学校で始めた野球だったが、中学の時に所属したチームで恐らく人間関係が上手くいかずドロップアウト。
野球を辞めるかどうかで元嫁とぶつかり、反抗期を迎えた。
俺にもその矛先は向けられ、一度だけアイツの顔面をグーで殴った。
俺も後悔して、心が痛かったがアイツはそれをきっかけに明らかに変わった。
ろくに口も利かなかったが、ある時アイツの好きだった服を買いに行きたいと俺に言ってきて二人で出掛けてきたことをきっかけに完全に蟠りは解けた。
何でもないようなことを二人で話をした記憶がある。
実は俺は息子に野球をやらせたくはなかった。
その理由は、義理の兄が甲子園に出場経験があり、元嫁の実家には義兄の甲子園での活躍ぶりの分かる大きなパネル写真などが飾られていて、当然息子が野球をやると決まった途端、義父以下二人の義兄もその夢に乗っかることは容易に想像できたからだ。
それは俺の中で息子を奪われたくなかっただけなのかもしれないが…
息子が4年生の時に友達に誘われて、自主的に体験練習に行くと言い出したからそれは止めることが出来なかった。
結果的にはやはり、義父や義兄たちの期待を息子が背負うことになった。
俺も息子が楽しそうに野球に打ち込む姿を目の当たりにしてしまったから止めれなかった。
多分、出来る事なら甲子園を目指したんだと思う。
息子は中学の野球部に入ってもその可能性が無いから、可能性のあるリトルリーグに所属した。
結果的には挫折。
元嫁は息子の夢に縋り続け、練習に参加してない息子のチームに通い続け、息子の退部届を先送りにしていたのが原因で息子が反抗していたことも分かっていた。
元嫁に何度も行くのをやめろと言ったが聞く耳を持たず、俺と息子が揉めて息子を俺が殴るまでその行動は続けた。
俺は自分自身がそんなに取り柄のある人間でもないから、子供たちには自分の夢を託すのは嫌だった。
子供達の可能性も潰したくなかったから、興味のあることは出来るだけさせようとしてはきた。
親が子供に自分の無しえなかったことを託すのは親のエゴだと思っているから…
そんなちっぽけなプライドで子供たちの将来を潰したくはなかったから…
だって、彼らの人生は彼らのものなんだもん!
そんな夢破れて、目標が無くなった息子は高校受験が一つの目標となり、それを達成したら何処か物足りなさを感じていた頃に出逢った音楽。
入学して暫くしてであった友人たちのことを当時は毎日のように
「凄い奴らが居るねん!」
と言って目を輝かせていた。
その友人たちがベースも触ったことの無かった息子に
「ベースしてくれへん?」
と言ってくれたのがきっかけで息子は彼らに恥じぬようベースに打ち込んだ。
ただ、高校生活はコロナ禍での生活。
軽音楽部の活動も自粛された上、息子たちがYouTubeに挙げていた動画の活動を学校から指摘され、「YouTubeの活動をするなら軽音楽部を退部しろ」と言われて彼らは退部し、模索しながら活動して何度かLiveにも参加していた。
ただ、やっと生徒だけで開催された最期の文化祭ではステージに立つことを認められ学校で最初で最後の演奏をした。
彼らにとっても数百人の同級生の前でやる演奏。
会場も盛り上がり、彼らは彼らで一番最高のLiveだったと喜んでいた。
なぁ~んか”アオハル”してるやん!
とその動画を見て何となく嬉しかった。
「ライブの方が緊張する」
と返してきた息子に
「お前は大物になるわ」
と返すと
「それやと嬉しい」
というので
「お前はなんかいけそう
明確な目標を立てればお前ならなりたい自分になれる!」
と返してやった。
さて、アイツの次の夢の続きは...
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