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【怖い話】キネマ館の夜(ショートショート)

 拓哉は今日の段取りを頭の中で反芻しながら、待ち合わせ場所に着いた。
 真理子との初デートに選んだのは、町にたった一つの古びた映画館だった。
 この町は、都市と農村の間にある住宅地で、老朽化した団地がそこら中にある。
 昔は大きな食品メーカの工場もあり、町も潤っていたが、今は高齢化率が高い限界集落と言われているらしい。
 娯楽施設といえば駅前ボーリング場と、この映画館しかないが、元々映画にはあまり興味が無かったため、ここに入るのも初めてだった。
 映画館は木造の建物で、外壁はところどころ黒い煤をまぶしたように薄汚れている。
 
 ――ブーンと看板の縁を囲う橙色の電灯が灯った。
 時計を見ると、まもなく7時……待ち合わせ時間の10分前だ。
 緊張を和らげようとスゥーっと深く息を吸い込んだ時、目の前に真理子が現れた。

 白いドレスに身を包んだ彼女は、まるで闇夜に咲く白い花のように光って見えた。彼女の黒髪は風になびき、大きな目が月の明かりを跳ね返していた。

「似合っているね、そのドレス」
 拓哉が照れ臭そうに言うと、真理子も微笑み返した。
 映画に詳しくないので、彼女の好きそうな映画が上映中だったので助かった。音楽や歌と踊りでストーリーが進んでいくミュージカル映画というやつだ。

 チケットを買おうと窓口を覗くと、その向こうから、ぬぅと白髪の男が顔を出した。

「ごゆっくりお過ごしください」
 そう言うと、白髪の男はチケットを2枚差し出して、薄暗い窓口の裏側に消えていった。

 料金を支払って入口をくぐると、足元には光沢のある褐色の床板が敷き詰められていて、その上に古びたカーペットが敷かれている。
 ロビーには映画のポスターや古い映写機が飾られ、フロアの中央には唐突にオフロードバイクが展示されていた。

 足元の間接照明を頼りに、シートに座った。観客は自分たちだけのようだ。静寂の中で、二人だけの世界だ。彼女の顔はよく見えないが、喜んでくれている顔を想像してうれしかった。

「こういうミュージカルっぽい映画大好きなの。誘ってくれてありがとう」

「たまたま広告を見かけて、面白そうな映画だなと思って……」
言いかけたところで、予告編も無く乱暴に映画が始まった。

 主人公らしき少女が道の真ん中で歌い始めると、他の若者たちが彼女を取り囲み、踊りだした。道行く人々も立ち止まり、若者たちに巻き込まれながら躍動感のある集団パフォーマンスに発展していくという内容だ。
 この手の映画を観たのは初めてだったが、なかなか面白いものだな。

 ダンスは白熱していき、若者たちはアップテンポの曲に合わせて熱狂的なダンスバトルを始めた。
 劇中に登場したペンキ職人がバケツをひっくり返すと、道路にぶちまけられた赤い液体の上で、こんどはタップダンスが始まった。床を蹴るたびに赤い液体が飛び散って、ばしゃばしゃとリズムを刻む。

 映像は一人称視点になっていて没入感がある。集団の中心で踊る少女を見ている誰かの視点というカメラワークなのだろう。いつの間にか、映画に興味の無かった拓哉も映画に見入っていた。

 シーンが変わり、退屈な青春恋愛ドラマが始まると、急な眠気が拓哉を襲った。まぶたは重くなり、映像は次第にぼやけてきた。気を抜くと眠りに落ちていまいそうだ。

 ――スクリーンの光に目を細めながら拓哉は目を覚ました。
 どうやら一瞬寝てしまっていたようだ。
 ふと横を見ると真理子がいない。

 辺りを見渡すと非常口の誘導灯の下に、彼女のシルエットが浮かび上がった。自分が眠りに落ちている間に、トイレにでも行っていたのだろう。
 真理子は何かを探すように、カクカクと頭を小刻みに揺らしながら、拓哉の方に戻ってきた。

 戻った彼女は席に座ると、先ほどとは違う退屈そうな目でスクリーンをじっと見つめ始めた。
 
 スクリーンでは若者の卒業ダンスパーティのシーンが始まっていた。
 拓哉は二度と居眠りをしないようにと気合を入れ直した。

 そのとき、真理子が拓哉の手を握ってきた。
 胸が高鳴ったのは一瞬だけだった。手の感触に温かさを感じなかったからだ。まるで木の枝を握り占めているような感覚がして、ゾクッとした。

「痛っ」
 思わす声が出た。拓哉は手を引き抜こうとしたが、真理子の指が一層食い込んでくるのを感じた。
 バキンッと変な音がして、指の感覚が無くなった。手に感じたぬめりは自分の血かもしれない。

「真理子……やめて、離してくれ。真理……」
 すぐにでもその場から逃げだしたかったが、頭が混乱する。
 恐る恐る彼女の方を見ると、真理子は爬虫類のように長い舌を出して、上目使いでこちらを見ている。その大きな目は輝きを失って泥のように黒くひび割れていた。

 咄嗟に真理子を突き飛ばし、非常口に向かって走り出した。頭から血の気が引き、緊張と恐怖で足がいうことをきかない。通路まで出たところで足がもつれ床に倒れ込んでしまった。
 拓哉は握力が無くなった指で、どうにか床を掴みながら座席の下に隠れ息をひそめた。

 真理子の顔は人間のものではなかった……。
 遠くから聞こえる微かな足音が鳴るたび、鼓動がみぞおちを締め付ける。身を固くし、ひたすら静かになることに徹するしかなかった。

 拓哉は耳を澄ませた。
 足音は不気味なリズムで近づいてくる。心の中で思いつく限りの念仏を唱えた。悪魔が通り過ぎ、見逃してくれることを願った。

 視界の隙間から、スクリーンが見えた。
 床にまき散らされた真っ赤なペンキの上で、軽やかに足を踏み鳴らす主人公の映像が映し出されている。
 まるで赤い血だまりで何かを蹴り飛ばしているようにも見え、思わず目を背けた。

 そのとき、拓哉の鼻先に真理子の顔が逆さまに現れ、こちらを覗き込んだ。スクリーンの赤い光が、奇妙に歪んだ顔の輪郭を浮き上がらせた。
 ぐりっ……と、拓哉の顔面が踏みつけられる。その衝撃が全身に伝わって目の前が赤くなった。


 白髪の男は映写機を止め、チケットブースの戸締りを始めた。
 
 床に広がった血だまりは、まるで生き物のように不規則なシミを作りながら、ゆっくりと床の木目に沿って動いていた。血がじわじわと床板の隙間に吸い込まれていく様子は、床そのものが息をしているかのようだった。

 白髪の男は掃除をする素振りも見せず、掃除用具入れの前を口笛を鳴らしながら素通りした。
 最後に大きな入口のドアが施錠されると、わずかに差し込んでいた街灯の明かりが消え、映画館は暗く静寂に閉ざされた。

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