【怖い話】扉(ショートショート)
夏の夕暮れ、蒸し暑さが一段と増し、西日がうっとおしいぐらいに頬に当たる。頼子はお盆休みを利用して祖父母の家を久しぶりに訪れた。
「お腹が空いてるでしょ?晩ご飯を作りましょうね」
祖母は優しく微笑んだ。頼子は頷き、祖母の後を追って家に入った。
この家には子供の頃の楽しい思い出が詰まっている。見渡すと懐かしい家具や置物が目に入る。祖母が手入れしている庭も、少し荒れてはいるが、昔のままだった。
家屋は古い木造で、広い縁側があり風が心地よく吹き抜ける。祖父はその縁側に腰掛け、古そうな本を読んでいた。祖母の手料理を楽しみにしながら、久しぶりの田舎の風景と香りに心を踊らせた。
頼子は思い出したように奥の仏間に入った。
そこには、いわゆる『開かずの扉』があった。仏壇のような豪華な装飾がほどこされた黒檀の扉。幼少の記憶を辿っても、この扉が開いていたことはない。頼子の両親を含め、この家を訪れる大人たちは皆この扉を避けて通り、その理由を教えてくれることはなかった気がする。
頼子は扉の方に引き寄せられるように近づいた。この扉の謎は記憶の端にずっと引っかかっていたからだ。
ふと、扉の向こうから微かな声が聞こえてきた気がした。風の音かとも思ったが、確かに人の声だった。それは囁きのように小さく、しかし確かに聞こえる。
「誰かいるの?」恐る恐る声をかけた。
返事はなかった。頼子は少し怖くなって居間に戻ろうとした。
「ここにいるよ」やっぱり囁きが聞こえた。
おもわず扉に手を伸ばした。しかし、扉は固く閉ざされていて、びくともしない。手を引っ込めると、その瞬間、鍵が外れる音が聞こえ、ゆっくりと扉が開き始めた。
恐る恐る扉をくぐり薄暗い部屋の中に入ると、埃と黴の匂いがした。床には埃が積もっているのか、足裏にカサカサしたものが当たる感覚ある。光は部屋の隅々まで届かず、奥の方は闇に包まれていた。
部屋の奥の暗がりの中に微かに動く人影が見えた。息を呑んで目を凝らすと、髪の長い日本人形のような和装の少女が立っていた。
「あなたは誰?」頼子は少し震えた声で言った。
「この家の守り神なんだって」少女は穏やかな口調で続けた。
「ずっと、この扉に閉じ込められていたの。家の安全を祈る代償なのよ。でもこれで解放されたわ」
「今度はあなたの番よ」と言い残して、少女は消え去った。
頼子の背後で扉が閉まった。
振り返ると、扉の隙間から漏れる光の中に、祖父母の顔が見えた気がした。
――カタり、と鍵が閉まる音がした。
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