新年が寂しすぎるので村上春樹に彩ってもらった
私は携帯のアラームで起こされた。時刻は朝9時半をまわっている。言うまでもなくあたりは明るい。
私は布団から出て、便所へ向かった。便座は冷たいともいえるし、冷たくないとも言えた。
私は台所へ向かい、冷蔵庫の扉を何度も開いてみたが、何度開けてみてもその内容は変化しなかった。酎ハイと牛乳とブリの照り焼きだ。
仕方なく私は昨日スーパーで購入したブリの照り焼きを手に取り、レンジで温めた。
どちらかといえばおいしくないブリの照り焼きを食べたあと、私はぼんやりとTVのお笑い番組を見ていた。
12時になってついにやることが無くなってしまったのでしばらく外を歩いてみることにした。うまくいけば何かにぶつかるかもしれない。なにか新しいものを見つけることができるかもしれない。何もやらないよりは動いた方がいい。何か試してみたほうがいい。
私は鏡の前に立ち、服装の乱れのないことを確かめた。シャツの一番上のボタンを留めた。胸の谷間をちらりと見せる必要はなかった。
外は、今にも雪が降って来そうとも言えるし、降って来なさそうとも言えた。
しばらく歩いたが、何も見つからなかった。
12時半にセブンイレブンに入ってバウムクーヘンとじゃがりことアイスコーヒーをレジへ持って行った。
「コーヒーマシンが故障中なのでただいまアイスコーヒーはご購入になれません」と店員は退屈そうに言った。
やれやれ、とため息をついた。
部屋に戻ったが、何もやることがなかった。やるべきこともなければ、やりたいこともなかった。お手上げだ。
そうだYouTubeを見ようと私はふと思った。現実的で健全な考え方だ。暇になったから、YouTubeを見る。筋が通っている。何処に出しても恥ずかしくない発想だ。
それでとにかく二時間が潰れた。
そうこうしているうちに、やっと夕暮れがやってきた。
「宅急便です。」
玄関の方で男の声がした。男は荷物を抱えてそこに立っていた。それが誰なのか目を開けなくても分かった。
羊男だった。
羊男の服装の好みはあっさりとして気持ちが良かった。ゆったりとした濃い緑のジャンパーを着て、濃い緑の綿のズボンをはいていた。濃い緑の帽子もかぶっていた。どれも新しいものではなかったが、よく手入れされていた。
羊男は私に小包を渡すとその場から消え去った。
「さて」と私は思った。
小包を開けてみると、数日前にZOZOTOWNで注文した洋服が入っていた。
試着してみたが、どれもひどく似合わなかった。やれやれ。
私はそれを返品するために再び外へ出た。
宅配便センターの事務所には女主人がいた。女主人の年は一目では分からなかった。しかし彼女が三十三歳であるというのなら彼女は三十三歳であって、そう思ってみれば確かに三十三歳に見えた。もし仮に彼女が二十七歳だと言っていたら、彼女は二十七歳に見えたに違いない。
女主人はいつも小さな声で話をした。風がちょっと拭いたらかき消されてしまう程度の音量だ。私は時々、手を伸ばしてボリュームのスイッチを右に回したいという欲求に駆られた。しかしもちろんボリューム・スイッチなんてどこにもない。だから緊張して耳を澄ましているしかなかった。
女主人は微笑んだ。「お届け日指定なしでいいかしら。」
「そうです。」と私は言った。
返品手続きを終えて外に出た。私は顎を引いてまっすく前方を見据え、背筋を伸ばし、人々の視線を肌に感じながら、確かな足取りで家へ歩いて行った。
部屋に戻ってTVを見ていると私は少し眠ってしまった。それはちょっとどこかに行って、回れ右して引き返してくるような眠りだった。
私は起き上がると浴室に行って、まず顔を洗い、黙って、静かに、何の唄も歌わないで体を洗った。そして久方ぶりにじっと鏡の中の自分の体を眺めた。大した発見は無かったし、別に勇気も湧いてこなかった。いつもの私の体だった。
風呂から出ると私は冷蔵庫から酎ハイを取り出した。酎ハイを飲みながら原田マハの「たゆたえども沈まず」を読んだ。私はゴッホについて考えた。彼の波乱万丈の生涯に比べれば、私の人生なんて樫の木のてっぺんのほらで胡桃を枕にうとうとと春を待っているリスみたいに平穏そのものに見えた。少なくとも一時的にはそういう気がした。小説というのはそういうものだ。
時刻は夜中の12時を回っていた。私はベッドに横になり眠くなるまで2021年について考えた。あるいはまったく何も考えなかった。
長い退屈な映画を観ているような一日だった。
やれやれ、と私はその日16回目のーーたぶんそれくらいになっているはずだーーため息をついた。
参照:スプートニクの恋人/1Q84/ダンス・ダンス・ダンス/パン屋襲撃
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