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河田個人の単なる自己紹介の記事

1つブレイクタイム的に河田憲二個人の経歴を書いてみます。

今は、不動産買取再販の株式会社AlbaLinkという会社の代表をやっており、他にも2社の代表を務めています。過去にはアフィリエイター(メディア事業)として活動しながら不動産賃貸業を拡大し、メディア売却以降に現在のAlbaLinkという会社を始めました。

自分が勤めたり、取引で関わったりするかもしれない会社の代表が何者なのかって気になりますよね。だいたい社長って情報も出てきませんし。なので書きます。興味を持っていただける方は是非お付き合いください。

河田憲二個人の経歴

仕事とは直結しない部分もありますが、「こういう育ちだよ」ということでまずは年表を置きます。

  • 1987年 2月大阪生まれ、生後2か月より東京育ち

  • 1994年 地元(江戸川区西葛西)の小学校~中学校

  • 2004年 市立船橋高校卒業(野球部)

  • 2008年 国士館大学卒業

  • 2008年 在学中に個人事業主として開業

  • 2012年 アフィリエイターとして活動その後法人成り

  • 2015年 同時に不動産賃貸業を展開
    (賃貸併用・シェア・民泊・コワーキングetc)

  • 2019年 メディア事業をほとんど全部売却

  • 2019年 不動産会社を買収して買取再販業を開業

  • 2022年 現在地35歳

全体としてはこんな形です。もう少し大きくわけると「地元」「高校~大学」「独立」「アフィリエイト」「売却~不動産業」という5つくらいになります。ぼちぼち振り返りながら書いてみます。

地元編(1987~2001)

小学校くらいまではただの活発な子供でした。交通事故2回、救急車2回、入院2回、縫合3回、骨折2回。友達はまぁまぁ多い方で、サウスポーから繰り出すシンカー系の球質でドッジボール強めの野球少年でした。勉強は小学生くらいまではできる方がでしたが、典型的な中学でダメになるタイプ。何も勉強せずに寝てたらいつのまにか5教科の合計点が300点を切る悲惨なことになってました。

それでも中学生くらいまでは「野球選手になりたい、なれる」と思っていたので、「まぁ多少勉強できなくてもいいか、素振りして走ってこよー」くらいのノリで学校生活を過ごします。

好奇心は強い方で、学校の授業よりも自分が知りたいことを勉強したく100均で「心理学の本」とか買ってきて授業中に読んだりもしてました。(中学生の小遣いでは100均が限界だった)そして「学校の勉強とか意味あるの??ないっしょ」と社会全体を斜に構えてみる無力の中学生でした。ちなみに学級委員や応援団長もやった(やらされた)ことがありますが、結構イヤでした。

そんなある日、実家に「ウインドウズ95(98かも)」と呼ばれる四角い箱が到着します。新しいもの好きの父親が「時代はインターネットや!」と言ったかどうか忘れましたが、そのようなテンションでPCを買ってきたのです。そして「けんじ、今日からこのメールアドレス使い、インターネットすごいで」と言って突然メールアドレスを付与してくれました(笑)今思えばこれが人生を変えたのかもしれないです。

それからはPC席が空いてるのを見つけるとPCに向かいネットサーフィンしたり誰かとメールしたりで、1日中「ユーガットメール♪(わかる人にはわかる)」というAOLのメール着信音が鳴り響いていました。

・遠く離れた友達や知らない人とメールでやり取りできる
・知らない知識を一瞬で調べられる

これだけでもインターネットは奇跡的にやばいな、、、と思っていましたが、そのころにさらにやばいサービスと出会います。ヤフオクです。はじめてヤフオクを見た時はパラダイスでした。ひたすらモノが売れてる、しかも年齢も立場も関係なく、売れてるものをリサーチして真似するだけでも自分でも稼げる、というか家中に商品転がってる、、、笑

それ以来は部活の合間をぬってガンガンヤフオクに出品して自分の小遣いを稼いでました。なんとなくこの頃から「最悪人生どうにかなるんじゃ?」と思ってたかもしれないです。

高校~大学編(2002~2008)

高校は千葉の市立船橋高校に進学しました。1つ上の兄がすでに通っていたので色々融通も利くだろうという算段でしたが、まぁ予想に反して厳しめでした。(それでも見えない力は作用しているのですが)

中学くらいまでは部内では1番野球ができると自負してましたが、まず入学前のユニフォームサイ寸の時点で衝撃を受けたのを覚えてます。東京都には存在してない人種のるつぼです。腕の太さが太ももなやつ、身長も体重も規格外のやつ、髭の生え方や頭の薄さとか全体的な雰囲気が29歳くらいのやつ、50mも5秒台で走ると豪語するやつ、色々です。

自分はと言うと170cm63kgくらいのシンカー系の球質を操るもやしっ子でしたので、もうカルチャーショックです。「俺、無理かも、、、笑」

そして気持ち高らかに入学式を迎える直前の中学3年3月春休み。さらなる物理的衝撃を受けます。何を血迷ったのかスケボーにハマっていた河田少年は地元の公園で大キッカーを練習していました。

ご想像のとおり、大キッカーからスケートボードだけが宙に舞い、「左足下腿脛骨腓骨複雑粉砕骨折(ひだりあしかたいけいこつひこつふくざつふんさいこっせつ)」という長い名前の骨折(全治9か月くらい)をしました。今でも左足の脛にプレートとボルトが入っています。

そんなこんなで高校野球はベンチウォーマーで終了しますが、部活を通じて感じた理不尽な考え方への対処や、物事の取り組み方というのはこの後の人生にも大きく影響を与えたような気がします。引退時の納会では「とりあえず立派な大人になりたいです」とよくわからない宣言をして卒業しました。

大学は指定校推薦で国士館大学へ。市立船橋の体育科は評定さえ良ければ指定校枠が無数にあり、おかげで受験をせずに進学することができました。在学中は麻雀、バイク、スノボー、飲み会、バイト、余った時間でビジネス書やお金儲けの本を読んでたらいつの間にか卒業を迎えてました。

大学の授業で学んだことは、「限界効用逓減の法則」しか覚えてません。それも1杯目のビールが美味いという内容だったので覚えているだけです。

ちなみに当時行きつけだった本屋は丸の内oazoの丸善です。どんなにマニアックな本でも用意してくれてるいい本屋でした。今でも大手町にいくと寄りたくなります。

独立編(2009~2012)

独立というか、実は正社員として働いた経験がありません。(実家の手伝いをしてたことは少しあります)ただ明確に自分自身でごはんを食べていくぞと決めた日があります。あれはもう15年くらい前、軽い気持ちで受けた就職活動の面接の日でした。

今でこそ面接をお迎えする側になり、「どういう基準で会社を選んでるんですか?」なんて聞く機会がありますが、当時の自分が一体何を考えていたのか。。。

  • 会社で一番儲かってるのは創業者(社長)のはず

  • 今は何をしたら良いかわからないけどとりあえず効率良く稼ぎたい

  • ヒント知るには小さい会社にいくしかない

  • 通勤はしんどいので近くの会社が良い

  • 業種は特に気にしないし給料もいくらでも良い

そんな考えで受けた新卒の就職面接でしたが、面接で人事?の方と喋ってもその「ヒント」を得られるような気配がまったく感じられなかったんですよね。

「あれ?なぜ自分はそこまで行きたいと思わない会社の面接を受けて合否の判断をされ、人生を左右されそうになってるのか」

そう思ったら嫌になってしまい、2社目にして就職活動というもの自体を中止しました。(ちなみに2社ともしっかり落ちてます)「どうせ最終的に退職して自分で事業をやるんだから早い方が良いし、さっさと就活やめよう!」くらいのノリです。とはいえどうしたら良いのかわからない、というところからすべてがスタートしました。

当時ない頭を一生懸命使い、「独立 やり方」「お金 稼ぎ方」とかしょうもない検索を打ち込みまくってました。得意の本屋にも行って色々探しもしました。そうこうしながら色々なキッカケで人に会いにいくようになり、とある人に教えてもらうことができたのがインターネットで集客をする方法です。

「ウェブサイトを作ってGoogleやYahoo!で上位表示をさせて集客する。」

インターネットの出会いに次ぐ革命かと思いました。もはやなんでも売れる。やりたい放題。金もかからない、天下無双。ただ当時の自分にはひたすらやる気がありませんでした。(?)やばいですよ。週末は草野球して平日から酒飲んで麻雀してゴルフして旅行して、とにかく「俺は本気出せば~」系の寒い系男子まっしぐらです。

それでもどうにかインターネット集客をしながらイベントをしたり代行業をやったりで食いつないでいたのが25歳くらいまでです。

アフィリエイター編(2013~2018)

25~26歳くらいで人生の転機がきました。結婚です。さらに子供も産まれる。いよいよやばい、職業不明、何かしらで日銭を稼ぐスタイルもここでピリオドです。奥さんも子供もいるのに事業も謎、お金もないだとあまりにもダサすぎますよね。

しかも産まれてきた子供がすぐに呼吸難に陥って救急搬送、NICUに入院なんてことがありました。自分が死んで助かるなら今すぐ死ぬと思いました。命は当たり前じゃないし、この子供らに何が遺せるんだろうかって考えたらやるしかないじゃないですか。やるorやる。

それからはまさに本気のアフィリエイト人生をスタートしました。当時わかっている知識をかき集めて、時間をフルに投入して、尋常じゃない速度で作業をするのみ。感覚としては目の前に落ちてるお金を猛烈なスピードで永遠に拾い続けるイメージ。とにかくやらないと勿体ない、やらないと損、全部もらう。そして、これでどうにか家族を養うという気合のストロングスタイル。ちなみにこういうフェーズでは「寝る間を惜しんで」という表現がよく使われますが、僕の場合がっつり寝てました。起きてる時だけ猛烈にやってました。

もちろんそれだけではなく、運の要素も大きいです。当時めちゃくちゃGoogleに対してハマっていた手法もあり、ちょうど時代にもマッチした領域で展開できていました。というより、広告案件があるすべての領域で試していたら運よく一番効率の良い領域に着地したのですが。。。そんなこんなで2~3年もするとスッカラカンだった貯金も少しは貯まり、売上も1億/年くらいは作れるようになっていました。

少し前後しますが、不動産との出会いはこのあたりからです。アフィリエイトの売上は右肩上がりで上がっていきましたが、天下のGoogle先生は昨日までシロだったものが明日にはクロになる世界。「1人会社で切り盛りし、いつゼロになるかわからない売上でこのままずっと生きていくのか」と思うと何とも言えない不安感があり、はじめたのが不動産です。

そうと決めたら即電光石火の捨て身タックルです。不動産やると決めた翌週にはみ●ほ銀行にアポなし訪問、数か月後には住宅ローンを組めるだけ組んで賃貸併用の土地を仕込んでました。(その後鬼のような減額承認が入りフルベットしてた現金が底を尽きる事件など)それから築古戸建をシェアハウスにし、それを共担で再建不のアパートを民泊にし(その後再建可にし売却)、新築シェアハウスを建てたり地元の古ビルを買ってレンタルオフィス兼コワーキングにしたり。なんだかんだで投資額が2億円くらいになり、不動産からのCFもゆうに100万/月以上は出るようになりました。

あぁ、不動産ってなんて再現性が高くて工夫の余地があって予測が立てやすい仕事なんだろう、しかも適度に歪みも発生して他人資本まで使えるなんて素敵すぎる。と感動しながらも日々外注さんをディレクションしメディアをコツコツ作り込んでいく日々が続きました。

事業売却~不動産編(2019~2022)

ここまでにあった人生の転機は「就活やめた」「結婚して子供生まれた」の2つですが、ここからが3つ目です。あれは忘れもしない2017年12月6日。

TwitterのTLが怒涛のように揺れている。
「ウゴウゴルーガ」「大変動」「サイト消えた」「アップデート?!」etc
右も左もGoogleの検索結果が動きまくっていることに阿鼻叫喚してました。

当時を生きたアフィリエイターであればいくつもの死線を乗り越えているはずですが、その中でも衝撃の大きいGoogleアップデートだったはずです。この時のアップデート(※以下、アプデ)は、「健康や命に係わる検索結果を適正にしましょう」という方向性でした。そしてそのあたりからGoogleは「EAT(専門性/権威性/信頼性)」を重視すると公に宣言し始めました。簡単に言うと、「よくわからんどこぞの馬の骨が書いてるブログやサイトはアプデで一掃しますからねー覚悟してねー」って感じです。

この健康アプデが訪れるまでは、「いつかは売却できたらいいけど、まだまだやれることはあるしサイトの息も続くだろうから、債務整理ジャンル(当時注力してたサイト)のメディアで日本一になるぞ!」と鼻息荒くやってました。が、健康アプデ以降はこの流れが健康や命以外のジャンルにも派生してくるのも時間の問題だと考えました。

そして、その時に生き残れるのは上場企業が運営するメディアであったり、公的機関、大手企業の運営、あるいはSEOで本気で生きていくと覚悟した会社だけだろうと。それであれば自分が個人企業のレベルでやれる役割は果たしているし、相応の企業に引き継いでもらった方がメディア自体の寿命も延びるだろうという結論です。

そんなこんなで2017年末から運営していたメディア事業の売却活動をはじめ、色んな方のご協力もあり2019年2月28日に無事クロージングしてアフィリエイター人生には終止符を打ちました。(その時の取材記事

そのままの流れで2019年3月には訳あり不動産の買取事業をやると決め、同年5月に事務所を借りてスタートしたのがAlbaLinkとなり今に至ります。以上、今の会社をやりはじめるまでの自己紹介記事でした。(立ち上げの時や今やってることについてはこちら

いろんなキッカケをへて現在

家族ができたり子供が産まれることをきっかけにして仕事にのめり込んでいきましたが、関わることで少しでも人生が好転するような影響を与えられればそれ以上はないなという気持ちで今なお事業に取り組んでおります。

規模が大きくなってくると取れるリスクも大きくなり、毎年やっていることが違います。それだけ責任も重くはなりますがその分挑戦ができるようになって、自分はもちろん会社もそこに関わる人達も成長できる土壌ができれば最高です。長くなりましたが、AlbaLink社はこんな人間が代表を務めております。

最後に、ストレングスファインダー?ってありますよね。あれの結果も性格が出てそうなので置いときます。結果は、

「最上志向、親密性、未来志向、調和性、分析思考」

あってるのかわかりませんけど、常に上を目指して人とは親密に付き合って水平線の向こうを見ながら未来を語って揉め事を避けて分析が好き、テストによるとそんな性格らしいです。自分的にはまぁまぁ寂しがりで現実主義だなと思います。

というわけで長くなりましたが、営業(東京、千葉、茨城)、経理、事務、人事、マーケは引き続き募集中ですのでお気軽にDMなり下さい。宜しくお願いします。

タラタラ書いてたら長い自己紹介記事になりましたが、また引き続き会社のことや価値観についても書いていきます。お読みいただきありがとうございました。

ちなみにAlbaLinkを立ち上げた時に最初に誘った立ち上げメンバーで買収対象会社の社長、つまりAlbaLinkの前身となる会社のファウンダーで現在はSEO隊長のコーダさんの自己紹介記事も置いておきますので併せてどうぞ

コーダです、自己紹介を書いてみます

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