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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第32話)#創作大賞2024


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 インターフォンを押すと、犬の鳴き声と、しばらくしてからのんびりとした「はーい?」という声が返ってきた。ミッシミッシと玄関に近づいてくる軋んだ足音がして、引き戸の鍵をガチャガチャと開ける動作が、嵌め込まれた曇りガラス越しに見える。

「どちら様?」
透視した通りの下っ腹の出た無精髭男が顔を覗かせる。毛量が多いのか、伸び切った白髪混じりの髪が鳥の巣のように盛り上がっていた。やがて、男の足の間から興奮して尻尾をプロペラのように振った柴犬がひょこっと顔を出した。
「すみません。ちょっとお尋ねしたいことがあって」

 普段あまり若者と接触する機会が少ないのか、無精髭男は珍しいものを見るように星来たちを凝視する。その視線には一切の遠慮がない。居心地が悪く、思わず後退りしそうになる。

「あんたら学生だろ?」
無精髭男は唐突に訊いてきた。
「悪いが、いくら契約関係ゆるいって言っても未成年者には貸せないよ。しかも、ここはペットのいる人優先物件だから、家賃が安いって言ったって条件はあるんだよ」
どうやら大家らしい。星来を始め、誰もが口を開かずにいると、大家は「あれ、広告見てきたんじゃないの?」と頭をボリボリ搔いた。

「私たち、アンナの知り合いの者で……」
アンナの苗字が分からない。名前で尋ねるってちょっと不自然かなと思いつつ、自分たちはまだそういう未熟さが通用する年頃だと思い、そのまま通す。

「ずっと連絡が取れないから、アンナの両親に様子を見てきてほしいって頼まれたんです」
「裏の日下部さん? あれ……。日下部さんは両親を早くに亡くして身寄りがないって聞いたけどなあ」
大家は訝しげに眉を寄せて、また一人一人をまじまじと見る。

「姉ちゃんそんな嘘付いてたんですか?!」
戸惑っている星来の後ろで、突然佐野が大袈裟な演技を始めた。
「ちゃんと生きてますよ! ピンピンしてます。姉ちゃん散々好き勝手やってきたくせに親までいないことにするなんて、酷すぎる!」
大家は佐野の気迫に一瞬ドキッとしたかのように肩を上げた。

 特に疑っている様子はなかったが、このまま佐野にシナリオを任せていたらどこかで矛盾を突かれそうでハラハラする。

その思いは丈太郎や片桐も一緒だったらしく、前のめりになっている佐野をさりげなく後ろに下げた。

「とりあえず、少し家の様子を確認したくて───」

「日下部さん、もうずっと留守にしてるよ。家賃は二ヵ月分もらってるけど、そろそろ次の支払い日が迫ってる。犬と猫がいたはずなんだが、みんな連れていなくなってるんだ。旅行にしては長すぎるし。まさか夜逃げとかじゃないよな」
星来が言い終わるよりも早く、大家は言葉を重ねてくる。

「姉はそんな人じゃありません! ちょっと適当なところはあるけど、連絡もなく姿を消すなんてこと、信じられません!」
再びしゃしゃり出てくる佐野。大家はしばらく佐野の顔をジッと見つめた後で、星来たちをまんべんなく見渡した。

「この人は顔似てるけど……。あんたたちのほうは日下部さんとはどういう関係なの?」
そのとき、突然星来の背後で片桐が「あっ!」と短い声を漏らした。思わず出てしまったという感じの声だった。

 みんなが視線を向けたが、それ以降片桐がなにか言うことはなく、丈太郎が慌てたように取り繕った。
「俺たちこいつの友達です! 一人で心細いから付いてきてほしいって言われて……」
「そうそう。俺、人見知りだから」
この世で一番「人見知り」という言葉が似合わないなと、星来は佐野を見て思った。

「いずれにしても、今日来て突然部屋見せろって言われても、こっちははいどうぞとはできないよ。まず未成年者じゃなくちゃんと親が来て、日下部さんとの家族関係を証明できるものを見せてくれるのが最初だろ。鍵を渡すってそういうことだよ」
大家の言うことはもっともだし、部屋の中は肉眼で見るまでもなく分かっている。食い下がる理由はなかった。踵を返して帰ろうとしたとき、背後から男の声がした。

「大家さん、話あんだけど!」
投げ捨てるような気怠げな声。星来たちは同時に振り返った。そこにいたのは、アンナの家の隣の住人、ポメラニアンを飼っている痩身の男だった。プーンと強い酒の臭いが漂ってくる。

「来客? 俺待ってなきゃダメ?」
まるで、早く立ち去れとでも言わんばかりだ。
「あれ、その制服S高じゃん」
痩せ男は佐野を見て不機嫌そうに顔を歪めた。
「なんでこんな貧乏借家にS高のガリ勉がいるんだよ」
「この人は日下部さんの弟さんだよ」
大家が痩せ男を諌めるように言った。

「へぇーそうなんだ。そういえば、あの女最近見かけないな。ああ、平和平和」
「平坂さん、そういう言いかたは良くない」
「だって、あのでっかい犬の鳴き声が喧しくてどうしようもなかったの、俺だけじゃないはずだぜ。しかも、契約で猫はダメだってなってるのに、あの女堂々と飼ってたじゃねえの。あんたもなんだかんだで甘いのな」
平坂と呼ばれた男は、馬鹿にしたように鼻で笑う。

 星来たちの戸惑いを察した大家は、取り繕うように説明を始めた。
「ここのルールとして、飼育可ペットは小型犬のみだったんだ。しかし、日下部さんが連れてきたのは大型犬。鳴き声は仕方ないとしても、やっぱり大きい犬ってのは迫力も声量も小型犬とは比べ物にならないからね。どうしても近所迷惑にはなってたよ。あと猫。マーキングとか爪研ぎとか、家屋の天敵だからうちでは猫禁止にしてたんだ。なのに、いつの間にか勝手に飼い始めて。いい大人がルールを守れないってのはちょっとね……」

星来の中のアンナ像が少し崩れる。社会のルール。最低限のルール。守るのが当たり前だと思っていた。多少窮屈や不便があっても、ルールを守ることで同時に守られることもある。

「弟がS高ってことはあの女も頭良かったの? やっぱさあ、頭良すぎる奴らって一周回ってイカれてるよな」
平坂の血走った目が佐野に向けられていた。佐野は無表情で見つめ返すだけだった。挑発に乗ってこないことが気に障ったのか、
「もしかして俺のこと馬鹿にしてる?」
平坂は佐野に詰め寄ってきた。小さな声で「ヤカラ」と呟く佐野。

平坂は聞き逃さず、
「今なんつった? ガリ勉!」
と佐野の肩を叩いてきた。
「やめなさい平坂さん、相手は子供!」
大家が間に入るも、興奮している平坂は執拗に佐野に絡む。

「俺はガリ勉が大っ嫌いなんだよ! 自分たち以外の人間見下してんの丸見えだもんな!」
「学歴コンプレックスですか」
そこまで感情のこもらない言葉があるのかというくらい棒読みで、佐野は言った。

 そのとき、後ろから黒いトイプードルを抱いた老婆が現れた。足音も聞こえず、突然出現したかのような登場に、その場にいた誰もがギョッとなった。黒のワンピース姿がどこか魔女を彷彿とさせる。

「あらあら、騒々しいから来てみたら、平坂さんまた飲んでるの?」
フワフワと柔らかい綿毛のような声だった。ちょっとの風でかき消されそうだ。
「うるせえよ、ババア!」
平坂が悪態をつくと、すかさず老婆の腕の中のトイプードルがキャンッ! キャンッ! と威嚇した。歯を剥き出しにして今にも飛びかからんばかりの勢いだ。

「毎日毎日気味の悪いお経唱えてるわ犬はうるせえわ。窓閉めとけ!」
そう言って平坂は、老婆の足元に唾を吐き捨てる。
「もう平坂さん、落ち着きな。まずあんた、なんか言いたいことがあってここに来たんだろ? 要件はなんだったの」
大家が原点を思い出したように尋ねる。

「だから! ここ出る話だったんだけど、なくなったんだよ。それを言いにきたの!」
「なんだって?」
「行くはずだった職場が急に潰れてよ。行けなくなった。だから、これからもここで暮らす」
「それは困るよ。あんたすぐ出てくって言ってたから、こっちは広告まで出して入居者募集してんだよ」

「仕方ねえじゃん! こっちだってこんな貧乏借家ずっとなんて居たくねえわ。うるせえデカ犬女がいなくなっただけまだいいけどな。……ああ、まだお経ババアがご健在か!」
老婆は散々な言われようだったが、現実逃避でもしているのかトイプードルの頭を撫でながら、わずかに聞き取れるくらいの声量で鼻歌を歌っていた。

「あの、私たち。帰ります」
この場の放つ空気感に耐えられず、星来は早口に言う。もう少しなにか探れるかと思ったが、分かったことといえば、ベルとニナがここの住人に煙たがられていたということだけ。なんだか寂しくて、ちょっとだけ悔しい。


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