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【年間ベスト・ムービー】さらば!ポップコーンが食えない2020

今年の映画館納めは12月20日(日)の早稲田松竹『ブックスマート』。
ふたりの少女が卒業前夜にあらゆるヤンチャをする、というだけの物語だがやたらスケールが大きく派手だし、ティーン・ムービーにありがちな演出された陰湿さがない。
ひたすら爽快だった。
なにより、水風船がぶちまけたり、車を運転するだけなのにやたらとスローモーションになるせいでダイナミックになってしまう、バカバカしさが最高だ。

松竹で観た翌日にNetflixでも配信が始まった。ただ『ブックスマート』は映画館だからこそ映えるティーン・ムービーであったと思う。

2020年は、自由に映画館に行けない年であった。


4月の緊急事態宣言の前月から大手/ミニシアター問わず、多くの映画館が閉館。あって当たり前、やっていて当たり前だと思っていたものが、一時的にでも無くなったショックは大きかった。その時期は心なしか映画を見る元気がなかった。

やがて、6月に「ひと席空けルール」で開館。10月頃までそのルールは維持されていた。いつまた閉まるかわからないという危機感からか、やたらと映画館に行くようになった。


どんな人気作を観てもとなりに観客がいない、という奇妙な状況はコロナ禍特有の居心地の悪さを感じさせるが、実際にはどんな大作映画でもゆったり見られる喜びのほうが勝ったりした。隣に観客がいない状態で『ダークナイト』や『テネット』を観ることが出来るとは、なんて贅沢だったんだろうか!もちろん世界中そんな状態だったせいで、『テネット』の興行収入は散々だった。その結果を見て、ワーナーが「劇場・ストリーミング同時公開」を発表してしまい、映画製作者と映画館が嘆いているわけだから一概には喜べない。来年以降、映画館が無事に存在し続けられるのか。そんな不安がないわけではない。

そんな話と同列に並べていいのかわからないが、映画館で堂々とポップコーンを食べれなかったことも心苦しかった。なにせ「劇場内に持ち込むのは飲み物だけ」という場所も多かった。素手で触ったものを食べるという行為もやや気が引けたため、ポップコーンから遠ざかっていた。


ちなみに、今年映画館でポップコーンを食べたのは年末に『ワンダーウーマン1984』を観た時だけ。ペース配分が分からず、冒頭15分で食べ終えた。
よくよく考えると、ポップコーンを食べながら見るのにふさわしい大作映画が、ほとんど劇場公開されていない。
MCUも007もトップガンもキングスマンも公開日は'coming soon……'

果たして来年は、ウキウキしながらポップコーンを食べられる作品は観られるのか。

前置きが長くなったが、「ポップコーンがない2020年」の個人ベスト。

10.『もう終わりにしよう』

『マルコヴッチの穴』や『脳内ニューヨーク』など、不条理劇を得意とするチャーリー・カウフマン初のNetflixオリジナル作。
主人公が生きる時間軸のなかに、過去や未来、不可解な動き、あるいは別の場所で起こっていることがカットインされていく。過去や未来はランダムでやってくるのに、主人公の行動だけはちゃんと時間が進んでいることになっているのがもっとも不気味である。さらに言えば、冒頭のドライブシーンで語られるモノローグは、今の状況に対するそこそこの満足と未来へのぼんやりとした不安、という普遍的で理解可能な感情だ。そうした意識が肥大して、やがて理解が及ばないものに発展していく。わかるようでわからない感覚に酔う。

9.『マ・レイニーのブラック・ボトムス』

「ブラック・パンサー」ことチャドウィック・ボーズマンの遺作。1920年代の音楽業界にいる黒人たちのオフビートコメディ。ブラック・コミュニティのなかで起こる差別と搾取、世代間や同胞内での分断を描くが、それを淡々として映し出すが故にどこか笑えてしまう。レコーディングスタジオのなかで起こる些細なトラブルや諍いがどことなく『ラヂオの時間』のような作品を彷彿とさせるが、それは戯曲原作だからだろうか。いいコメディにはポップさのなかにシリアスさがありシリアスさのなかにも可笑しみがあることを再認識させられる。

なにより、いつも実直で誠実な役が多いチャドウィックが、軽薄な若者を演じてるのが新鮮。これが最後の作品になってしまったのが悔やまれる。

8.『悪魔はいつもそこに』

トム・ホランド(スパイダーマン)主演、助演にロバート・パティンソン(次期バッドマン)とセバスチャン・スタン(ウィンター・ソルジャー)、制作にジェイク・ギレンズホール(ミステリオ)。ヒーロームービーの主演クラスがメインを張る作品だが、親子2代に渡るキリスト教信仰を巡るサイコスリラー映画である。

純粋な神への信仰が狂気を呼び起こし、キリスト教原理主義コミュニティの同調圧力が人々を狂気に向かわせる。そしてそれを都合よく利用するのは権力者である。神という存在があるが故に「悪魔」が浮き彫りになっていく。

公開は大統領選前。そうした状況からも、共和党およびトランプ支持者の多くはバイブルベルトのキリスト教原理主義者であることにも重なってしまう。かなり古典的な作りのアメリカ映画でありながら、現代にも繋がる大きな問題に挑んだ良作。

7.『アンカット・ダイヤモンド』

宝石商のハワード・ラトナー(アダム・サンドラー)が手に入れたオパール(ダイアモンドではなく!)を巡って起こる騒動を描いた作品。その日暮らしで欲望のままに生き、破れかぶれで他人を騙し続けるラトナーのどうしようもなさをコミカルに描いているのだが、欲望のまま生きる姿に暴力よりも残酷なバイオレンスさを感じる。

オパールの発掘風景から洞窟のなかへとカメラが入っていき、オパールの中の輝きをフォーカスしていくと、アダム・サンドラーの小腸の映像に移り変わるオープニングに象徴されるように、一瞬のロマンと人間の生々しい欲望が同居しているからこそ引き込まれる。

ダニエル・ロパティン(OPN)制作のサウンドトラックも美しく不気味。

6.『ヴァスト・オブ・ナイト』

ある部屋に置いてある白黒テレビに映る『トワイライト・ゾーン』のオマージュたっぷりのオープニング。あくまでも、映画の画面の中に存在する映画、つまり作中作として本作は描かれる。この設定だけでワクワクする。
舞台は1950年代のアメリカ。ある小さな村の電話交換手の少女が聞いた謎の音の正体を、地元のラジオDJとともに探っていくSFホラー。全体に漂う緊張感を生み出すのは、カセットと電話、ラジオしかない舞台設定だからこそ。オーソン・ウェルズによるラジオ版『宇宙戦争』や、スピルバーグの『未知との遭遇』などSFの王道を踏まえたストーリーテリングをインディ映画のセンスでアップデートさせた。ちなみに、監督のアンドリュー・パターソンはこれが監督デビュー作品。次作にかなり期待だ。

5.『パラサイト』

以前アララの記事でも触れたが、今の時代に相応しい傑作。記事内で『アトランタ』と比較したが、あまりピンと来てもらえず……

前半と後半でテイストが一気に変わる構成や、上と下、外と内を意識させる構図の作り方。格差と分断を主題においた脚本。そしてそこからは抜け出せないという絶望。ソン・ガンホはこの映画を「六面体」と表現したが、その形容詞がふさわしい、あらゆる側面から読み解ける非の打ち所がない作品である。唯一の欠点は構造が完璧すぎて「わかった気」にすぐなれてしまうところかもしれない。

4.『わたしの若草物語』

グレタ・カーウィグの撮る家族は素晴らしい。『レディ・バード』では母と娘のぶつかり合いを描いたが、単なる思春期の少女の物語に留まらず、家族という共同体においていかに個人を尊重するかという問題にまで踏み込んでいた。今作はマーチ家の4姉妹を中心に母、父、伯母、そして隣のローレンス家にまで射程が広がる。
4姉妹はそれぞれ違う道を歩みながら、自分が生きやすい場所を見出そうとしていく。そして周囲の人々は彼女たちを見守りながら成長していくわけだが「干渉」はしない(主人公のジョーに思いを寄せるローリーは少し違うかもしれないが)。

本作は往年の名作の誕生秘話を、女性(若者)たちの自立の問題に重きをおいて描いているが、それと同時に「他人同士の緩やかな共同体としての家族」という理想型も提示している。。

なお邦題は『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』だが、メインタイトルを見るたびにワンダイレクションを思い出す。原題が'Little Women'だから『わたしの若草物語』だけでいいのに。

3.『TENET テネット』

公開までが待ち遠しく、なおかつ公開日に無理矢理時間を作って観に行った作品。思えば今年そんなことをしたのは『テネット』だけだった。
ノーランの特集上映のたびにみた冒頭10分のワクワク感もさることながら、前半1 時間の王道スパイアクションが突然、誰も見た事がない「逆行アクション」に切り替わるとき、わけも分からず頭を抱えた。
『テネット』公開直後、よく作中のセリフを文字って「考えずに感じる映画」と評されていたが、そうは思わない。むしろ観たあとにこの映画について考えることで、作品は完成されるように思える。

この映画で描かれる世界は逆行と巡行が同時に行われ続けることで、成り立っている世界である。ニールをはじめとした未来人たちは、セネターの計画を拒み、「主人公」を救うためだけにミッションを行い続ける。あくまで、私たちが観た『テネット』はその断片にすぎない。映画が始まる前の時間軸でも、そして終わった後の時間軸でも、スクリーンに映し出されていた行為は繰り返される。なぜなら、それを止めれば世界は終わってしまうのだから。映画世界のなかで無限に繰り返されているその営為は、自分たちが見えている世界の外側に思いを馳せる想像力をもたらしてくれる。『テネット』について考えるとき、今も逆行と巡行を繰り返し続けているニールの姿が思い浮かぶのである。




2.『フォードvsフェラーリ』

夢を絶たれた元レーサーのキャロル(マット・デイモン)と、夢を叶えられずにいる45歳のレーサーのケン(クリスチャン・ベール)が、フェラーリを倒すべくル・マンに挑む史実もの。だが、映画内でフェラーリの影はびっくりするくらいに薄い。

レースと家族の間で揺れ動くケンと、大企業フォードと戦うキャロル。背景にはいつも夕暮れ。人生の黄昏時が迫っている2人は最後の輝きを見せようとする。ただし2人は動機は全く異なる。ケンは妻と息子のために、キャロルはル・マンでもう一度勝つために、理想とする「最速の車」を共に作っていく。こうしてみるとよくある男たちの企業ドラマのように思えるが、彼らは勝てないし、厳密に言うと夢を叶えることはできない。そうした儚さと残酷さが美しく悲しい。

1.『Mank/マンク』

昨年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と同じく、現代の巨匠が「ハリウッド(についての)映画」を撮った。ただし、タランティーノがハリウッドのロマンを描いたとしたら、フィンチャーはハリウッドの負の側面にフォーカスを当てた。

初監督作品『市民ケーン』の制作に着手し始めた若き天才、オーソン・ウェルズ。彼が雇ったのはアルコール中毒の中年脚本家マンキウィッツだった。そのマンクが脚本を書き上げるまでを『市民ケーン』と全く同じ語り口(白黒・現在と過去を行き来する構成)で映し出していく。

この作品も言ってしまえば『フォードvsフェラーリ』のように、不遇の男が最後の輝きを見せる映画だ。ただ単に自分がこういうものに弱いのかもしれないが、この作品はより複雑だ。芸術家肌で皮肉屋な彼は、権威的な芸能映画の世界に飛び込み資本家たちと交流を続ける。生きるために。ただそれでも信念を曲げずに、皮肉を使いながらうまく立ち回っているように見えた。しかしそれは、芸能の世界で珍しい存在として消費されていただと気がついてしまう。そして、カリフォルニア州知事選において共和党支持の圧力を受け、さらにはプロパガンダ用のフェイク放送を作らせている事実を目の当たりにする。

杉田俊介の『人志とたけし』では政治や国家が芸能的なものを取り込んで肥大してきた歴史を、山口昌男や鶴見俊輔の論を引用しつつ指摘していたが、映画産業における端緒を『マンク』からは伺い知ることができる。

権威が映画産業を飲み込み、芸術性や批評性を奪おうとする中、マンクが抵抗として作り上げたのが資本家の失墜と虚しさを主題とした『市民ケーン』の脚本であった。

そうした物語をいま巨大資本の象徴であるNetflixで作ってしまう大胆さ、そしてハリウッドではこの作品が作れなかったという事実、そして大恐慌の時代と同じく先行きが見えず文化産業も危機に瀕している時代と「予期せず」リンクしたことも含めて、間違いなく2020年のナンバー1の作品であった。

ランキングに入れたかった作品と見逃し作

前述の『ブックスマート』をはじめ、『ミッド・サマー』や『ハーフ・オブ・イット』『シカゴ7裁判』『ザ・ファイブ・ブラッズ』『ウェイブス』『レ・ミゼラブル』は最後までランキングに入れるか迷った。

特に『ミッド・サマー』はかなり気に入ったため二回観に行った。よくよく思い返すとギャグみたいな絵面しかないし、ラストシーンを観るとなぜか元気が出る。

ちなみに、トップ10中6作が配信オリジナル作品。劇場公開作が減ったということもあるが、ランキングに入れたような作品を制作できる場所がNetflixやAmazon Sutudioしか無くなってきたとも言える。こうした流れは来年以降も止まらないであろう。

そういえば、配信作を劇場で観るということも増えた。1位の『マンク』と、ランキングには入れなかった『シカゴ7裁判』は配信前に劇場で観た。どちらもスマホで観るより大きなスクリーンで映えるのがもどかしいところ。映画館のスクリーンにNetflixのロゴが映るのもなんだか可笑しい。

見逃した作品で気になるのは『はちどり』『透明人間』『バクラウ』『燃ゆる女の肖像』『人数の町』『VIDEOHOBIA』『私を食い止めて』。

日本の映画を全くと言っていいほど観られなかった。海外作はかなり早く配信開始になる場合が増えたが、国内作は見逃したら最後なかなか観る手段が得られないためだ。これも、配信プラットフォームで観ることが多くなった証拠かもしれない。

来年は年始から『新感染』の続編、スペインのSFスリラーの怪作『プラットフォーム』、エヴァンゲリオンの劇場版、そして各賞レースの目玉になる『ノマドランド』に加え、2020年に延期になった映画が次々と公開される。ポップコーンが美味しく食べられる2021年はやってくるのか。

とりあえず『ブラック・ミラー』のスタッフが作ったコメディ、『さらば!2020年』(Death to 2020)を観たいけれど、字幕版がまだやってきていない。

そういえばDisney+には日本語字幕がない作品が多い、ということも今年のトピックだった。

なんとも情けない理由で「2020年の映画」を感じた年の瀬である。

(ボブ)

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