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【#20 幸福】ファー・フロム・ホームなんてできない時代に、スカパラと桜井和寿は「しあわせよこんにちは」と歌う

8月の頭、僕は長野県を旅行していた。かつて所属していたサークルの友人たちと、バスとレンタカーを乗り継いで長野市内の観光名所を一通り周るだけの、なんの変哲もない国内旅行だ。
善光寺へと行き、バーベキューをして、花火をした。次の日にはドライブをしながら戸隠神社へ。忍者村へも行ったし、ローカルなスーパー銭湯へも行った。宿泊させてもらった友人の従姉弟と、スマブラもした。
書いてしまえばただの日常の記述だが、その時間が、特別なもののように思えた。

「サマー・ウォーズみたいだね」

そう誰かが言った。その言葉こそ、幸福な夏休みの最上の形容詞だろう。なにか世界を救うような特別なことがなくても、普段の生活や時間を忘れられる瞬間は、それだけで素晴らしいものになる。

ただ、一つだけ気がかりなことがあった。旅行中に、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の公開時期が終わってしまう、ということだった。MCUフェーズ3の最終作を観ないということは、『エンドゲーム』で味わった感動を半減させ、次なるMCU作品への満足な楽しみも得られない、ということに等しい。それは僕の人生にとって、重要な問題だった。

しかし、長野で過ごす時間を楽しまず、東京にもある大型映画館に行っていいのだろうか。そんなためらいがあった。それでも、ちょうどいい時間に長野市内の劇場で公開されていることと、一緒に旅行していたMCUファンの友人も観たがっていることを知ると、ためらいを捨て、映画館へ向かうことに決めた。(余談だが、一緒に宿泊していた5人のうち僕を含めた2人で『ファー・フロム・ホーム』を、あとの3人は『天気の子』を観た。)

そうして映画館へ向かった3時間後、僕は観光気分がすっかり吹っ飛び、現実に引き戻されていた。なぜなら、フィクションであるはずのスパイダー・マンが描こうとしていたのは、現実だからだ。

(以下ネタバレあり。まだスパイダーマンを観ていない人、およびアララのサカモトレイは読まないこと。)

スパイダーマンが戦う敵は、技術を用いて架空のヒーローを作り上げ世界を支配しようする「ミステリオ」ことベック。サノスの次の悪をMCUは「フェイク・ニュース」に設定したのだ。

亡きアイアンマンの後継者と目されながらも、まだ普通の高校生であるピーター・パーカーの葛藤。ヒーロー亡きあとの世界の当惑。そして、そんな心理状況を利用した実体のない悪。

ヒーローがいないこの現実世界と、そこに蔓延る実体のない悪意をこれでもかというほど描こうとしていた。そんな現実への問いを、スパイダー・マンが成長していくヒーロー映画と、ピーター・パーカーが高校生ライフを楽しもうとする青春映画というフォーマットによって、エンターテインメントに昇華させた。

しかし、僕は最後の狂気的なエンディングが頭を離れなかった。スパイダー・マンに敗れたミステリオは、最後の力を振り絞り一本のフェイク映像を作り上げる。それは真のヒーロー(であると大衆が思い込んでいる)ミステリオをスパイダーマンが殺す姿だ。それをニューヨークの中心地の街頭スクリーンが映し出し、コメンテーターはスパイダーマンを批判する。

この瞬間、ヒーローになったはずのスパイダーマンは地の底に落とされ、MCUが新たに設定したフェイク・ニュースという敵が、サノス以上に強大なものであると我々に知らしめる。

そして、ファー・フロム・ホームというフィクションは、僕の幸福感に浮かれた旅行気分を現実へと引き戻した。どこに行っても、ファー・フロム・ホームなんてできやしないのだ。

翌日、長野から東京へと帰るとき、東京スカパラダイスオーケストラが桜井和寿をボーカルに迎えた曲を聴いた。きらびやかなホーンと多幸感に溢れた桜井和寿の声は「しあわせよ こんにちは そばにいて」と歌う。

ヒーロー映画ですら悲惨な現実を描く世界で、スカパラと桜井和寿は幸せを歌う。それはどこか願いのように聴こえたのだった。

(ボブ)

<今日の一曲>

「Lets Go On The Run」Chance The Rapper

7月にリリースされたチャンス・ザ・ラッパーのアルバムは、「結婚」という自分の幸せをひたすらに歌った作品だった。チャンスの底抜けに明るい声と、ファンキーで享楽的なトラックを聴いていると、どこか現実から離れた場所に行ける気がする。

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