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『昭和のヤンキーは、スポーツマンだった』

昨日、
うりもさんのスタエフで
少し話をしました。
クラブ活動や習い事で出会った人
についての話です。

うりもさんの記事にも
書かれています。

私は小学6年から
地域の少年野球を始めました。
その時の話をしています。
小学生は学童チーム。
中学生は少年チームと呼ばれていました。


野球大好きな私は
小学6年で学童チームに入ると
いきなり3番ショートで
試合に出してもらえました。
人数が少ないのもあったんですが。
嬉しかったなぁ。


中学に上がると
自動的に少年チームになりました。
先輩たちはみんなヤンキーです。
しかも中学を代表するヤンキー。
昭和のヤンキーは見た目怖いのよ。


みんな髪はリーゼント。
クシですぐに整える。
パーマをかける人や
ポマードやグリースをつける人もいた。

嶋大輔さん『男の勲章』より


当時、
野球、サッカーは
なせがヤンキーだらけでした。
時代は校内暴力全盛期。
学校のガラスが割られたり
他の学校と揉めたり。


U君みたいな人もいました。
怖かった〜


学校の中心的なヤンキーが
みんな少年野球チームにいるんです。
運動神経抜群でした。
野球には真面目でしたよ。


バッテリーは双子のY兄弟。
中学3年生。
2人とも170センチを超す身長で
リーゼントが似合う
イケメンのモデル体型。
エースは弟。
捕手が兄でキャプテン。
ドスの効いた声で一声かけると
ビシっとしまります。


兄が芸能事務所に
履歴書を書く際に
そっくりな弟の写真を出して
一時選考を通ったのは有名な話。
同じ顔なんやから
自分の顔で出せばいいのに。
まぁこだわりですよね。


この2人は見た目イカついんですが
とにかくオモロイんです。
会話が最高でした。
なんか喋れば爆笑になっていました。
先生とのやりとりや
同級生との会話を
全てネタにして話してくれる。


僕ら後輩は
その会話が大好きで
話し出したら
必死で聞き耳を立てていました。
クラスではその面白トークを
必死に真似ていましたよ。


1学年上の2年生も個性派揃い。
普段着が黒の革ジャン上下の
ロンリーウルフY君。
2年の番長T君たちが幅をきかせる。


私は動きが硬いからと
『ロボ』と呼ばれていた。

『ロボ、○○取ってこい。ゴー!』

そんな感じで遊ばれていましたね。


2年のW君から
私たち1年が
よく裏山に連れていかれ
落ちているエロ本を拾わされました。
W君が選別をします。
(スタエフでしたのはこの内容)

『あの右のヤツとあの木の下のヤツ拾っとけ!』


みるみる
私の手に乗りきらないほど
たくさん集まります。
集めたものを
2、3年がみんなでワイワイ言いながら
見ていましたね。


練習が終わると
3年のY兄弟を中心に
1年が自転車の後ろに
先輩たちを乗せて家に送り届けます。


夜の7時前くらいの時間でしたが
先輩の家の前には
たくさんのヤンキーが
ウンコ座りをして帰りを待っていました。
夜の部活って感じです。
メチャンコたくさんいて怖かった。


黒のカラスマスクをしている人や
ボンタンやアロハシャツ
『女人禁制』と書かれた甚平を着ている人もいる。
さながらヤンキーの見本市です。


ヤンキー軍団の間を通って
私の自転車が通るんですが
ビビってしまい
ハンドルがグラグラになったのを
覚えています。
緊張して力を入れるほど
グラグラになるんですよ。


送り届けると
先輩たちの顔がみるみる
野球の時のスポーツモードから
険しい顔をしたヤンキーモードに
シフトチェンジをしていました。
今考えたら器用ですよね。



古き良き時代でした。
スタエフの補足をかねて
書いてみました。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました。


#66日ライラン
11日目


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