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学而 1-6 で あそぶ

子曰く、弟子 入りてはすなわち孝 
出でてはすなわち弟、謹みて信、
ひろく衆を愛して仁に親しみ、
行いて余力有らば、すわなち以って文を学べ。

「若者よ
 四の五の言わずに まずやんな。
 親のことを大切にして
 先輩のええ部分から素直に学び
 自分の言動には責任もって
 色んな人と分け隔てなくつきあって
 すげー!って思える人とはめっこりつきあうんよ。
 そやって人としての経験値を積み上げて、その上で色んな本を読んで
 さらに見識を広げなよ。」

四の五の言って頭でっかちになる前に、
まず人として当たり前の在り方・態度を身に着けなさいってことですね。

人としての当たり前ってなんだ?と。

「いちいち 相手を値踏み・評価して それに応じて態度を変える」
「人の注目をあびて目立つことを好み、自分本位・自分の損得で人づきあいをする」
「自分の行動で表現するのでなく 言葉や知識だけで表現する」
そんな人間を 孔子はちっさくてイマイチやのぅとみている気がする。

上に挙げたような態度・振舞いの人は、
いつも周囲との比較・評価や目先の事にばかり目が行き、自分自身が人間としてどう在りたいか?あるべきか?に目が行かなくなる。結果として、長くつき合うと信頼するに足らない人物であることが露呈して、人が離れていく。巡り巡って自分が苦しむことになるんだけど、、、

どうも最近は、血縁からも地縁からも職縁からも離れて生きられる社会になってきて、特定のコミュニティ・人と長く付き合う必要も無くなってきているから、逆に孔子がイマイチやのぅとするような人間の方が一見生きやすくなっているようにも思える。
これはつまりコミュニティが瓦解していくプロセス、人が孤立していくプロセス、社会がカオスに向かうプロセスに入っていると見ると長期的には秩序・安定・平和から離れていっている可能性が高いと思うんだけど、どうですかね?

それはさておき、そんな孔子に「イマイチやのぅ」と言われないために、
以下の自己育成トレーニングをやってみよう!ということですかね。

トレーニング①
「どんな親であれ、お陰様でこの世に在れるんだから、親が何をしてくれるか?とは関係なく、自分は親が少しでも楽になるよう、嬉しい気持ちになるような行動・態度を心掛けよう。」
トレーニング②
「年長者たちのお陰で、現在の社会があり自分もその中で生きられている訳で。だから、自分は年長者の賢愚や優劣に関わりなく、年長者が気持ち良く過ごせるような行動・態度を心掛けよう。」
トレーニング③
「人を選ばず多くの人と付き合い、それぞれの人の良い側面を自分が見いだして学び、さらにその中でも人として人格的に優れた人とは深く交際し、自分の人格を磨こう」

で、行動を積み重ねて余力があれば、プラスαトレーニングとして、
読書をして思考を磨き、行動の裏付けをしていきしょう。
行動だけに留まらず、その行動の背景やなぜその行動が大切か?を言語化できていれば、より多くの人に大切なことを伝えていけますもんね。

でも、あくまで大切なのは、
「自分が どう行動するか?しているか?」に尽きる、ということですね!

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