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鎌田あかり

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鎌田あかり

マガジン

  • ある日ふと始まった蛇との物語。ひとつひとつが別々に、やがて連なった物語へ。突然はじまってあるとき収束した無意識からのギフトたち。

  • 覚え書き

  • レッスンノート

  • 白ヤギさんと黒ヤギさん

    白ヤギさんからお手紙ついた。黒ヤギさんは食べずに読んだ。ふたりの往復書簡。

最近の記事

意識の幾何学

誰かが誰かの物言いにかこつけて半ば否定しマウントをとるように自説を唱える…ということはSNSが日常に食い込んだ生活を送るようになってから日になんども目にするシーン。 …と、いうことに対する何とも言えないモヤりとした心情をさらにSNS上で吐露することも最早目新しいものではなくなった。 要するに「人のふり見て我がふり直せ」というところで止めるべきことなのだが、いや、この場合、誰に対しての釈明としての「べき」かしら? 起き抜けに開いたSNSでふと、不穏なエネルギーのやり取りが

    • ウロボロスの環

      覚えているか 目隠し用のガラスのついたてのあちら側から、まなざしだけで彼が言う。 暦のなかで季節を分けたばかりの街、もの憂げな老人たちが肩を並べる昼下がりのカフェで、なつかしい存在が語りかけてきた。 君があまりに変わらないから驚いている これはお世辞ではなくどちらかと言うとこちらがあまりにも‘変わらない’ことを諌めている調子だ、とすぐに気付く。 途中で道が分からなくなっていたの…見つけようとしたんだけど、忙しくて 責められたような気分になり、とっさに言い繕ってしま

      • これはマスターセントジャーメインとのワークの一部の走り書き

        • 鏡は左右反転してない!?それが、分からない!……からの次元上昇のイメージ化までのメモ

        意識の幾何学

        マガジン

        • 27本
        • 覚え書き
          2本
        • レッスンノート
          5本
        • 白ヤギさんと黒ヤギさん
          5本

        記事

          その国のはなし

          その国ではだれもが「あなたの命はいつだって私の命より大事」と告げあう。 親子とか、恋人同士とか、友人相手だけのことではない。 買い物に寄ったスーパーマーケットの客と店員、初めて顔合わせをした取り引き相手同士、新刊を出したばかりの小説家のサイン会の列に並んだファンと作家(当然列に並ぶ人たち同士も)、そして病院の診察室のなかでの医者と患者も。 その人が自分の視界に入り、相手の視界にも自分が存在してしまったことを察すると、ひとびとは半ば反射的に「あなたの命はいつだって私の命よ

          その国のはなし

          その場所

          くらい くらい よる よりも くらい ふかい ふかい もっと ふかい まっくらな まっくらな 人類の最初の聖地は洞窟の奥深くだった。 そしてそれは秘密にされた。 本のなかにそう書かれた文章を読んでわたしはすぐに10万年前の洞窟のなかに飛んでゆく。 半ば呆然としながら、たったひとり洞窟の突き当たりの岩肌の前にへたりこむ人。 星や月の光も届かない、夜よりも暗い処。 ごつごつと大きな石や小さな石が地面を覆う漆黒の闇のなか、その人は蛇の目になって這うようにここを探り当てた

          漂白

          消したいのは知らぬ間に付いた色 わかっているのに消せない色 あたまのなかで思いこんでしまった他人の色 わたしがわたしをやるだけで発色される色 彗星の進行をひきとめるように尾っぽにぶら 下がる重しのような色 そういう色を漂白して、世界を感じてみたい。 漂白された布巾が洗濯紐の上で太陽の光を真正面から浴びながらそ知らぬ顔でパタパタと風になびくように。 かるくて、自由。 それが肝要だ。 そうしたら、と声が言う。 そうしたら、もっといろんなものの声が聞こえるよ。

          かぐや姫システム

          おばあちゃん、お天道様部屋の準備整いました。 ん?そうかそうか。 私もいよいよお天道様かい。神セブン入りじゃ。 セブン…はどうか知らないけれど、そうか、おばあちゃんの若い頃にそういうのあったんでしたっけ、アイドルというのですね? みなまで言うまい。それが粋というものじゃ。オトナってもんじゃよ。 ……おばあちゃん、お天道様に入る頃になっても変わらないですわねぇ。 当たり前じゃ。 お天道様に入るからってひとが変わるはずないじゃろ。お前はまだまだウブじゃのう。 ウブ…。

          かぐや姫システム

          コドモノヒ

          いーいらーあかーの なーみーいとー くーうもーお のー なーみー そよそよと青い香りの風が抜ける坂道の、下に位置するドトールの店内から通りを透かしみている。 もうしっかりと葉形が成り上がったケヤキの葉は、その青々しくむせ返るようなフェロモンが物語るように青春期の若いみどり。 狭い通りの両側に立ち並ぶ街路樹の宿命として樹形は地上5メートル辺りから横に広がらないように細く天に伸びるように枝打ちが施されているけれど、五月を待っていよいよ幹に枝にと葉がわさわさと繁っている。

          コドモノヒ

          ダイアローグ

          眠気はどうだい? あ…、言われてみれば。 なくなってる。 そうか、気づかなかったけれどようやく抜けたのね。 それで、4次元は見えるようになったかい? ううん。いま苦戦しているところ。YouTubeにはあんなに色々と解説動画があがっているのに、難しいものね。ああいう動画を作る人というのは4次元感覚に到達しているということなのかしら。 さあね、どうだろう。 理論と直感のあいだを埋めるのは本当に大変な作業よ。でも出来そう、という期待がひとを駆り立てるのね、きっと。 ほら

          ダイアローグ

          今朝の走り書き

          昨日のつづき。 シナプスの発火と拡張が生きるうえでの喜び。 これは本能的な部類の喜び、つまり快感なのだと思う。 意識と知性がほぼ同義のものとして日常を運転しているけれど、知的にシナプスが興奮し、独自のルートを開拓していくのを感じるとき、それはとてもスリリングで‘自分が自分で良かった’と思える時でもある。 グロタンディークの、告発の、そして哲学の手記を読んでいることは昨日も書いた。 三年ほどかけてstand fm上で音読している。 最近感じ始めたことはこの世の普遍性を求

          今朝の走り書き

          走り書き

          覚え書き。 南方熊楠を(中沢新一さん著書経由で)知り、そのまま中沢新一さんの『レンマ学』を読みはじめてレンマという知性体系について思いを馳せている。 『レンマ学』を読みはじめてかれこれふたつき、まだ前半部分までしか進んでいない。が、中沢新一さんの5年ほど前の京大での講演(YouTubeで見つけて視聴した。すごく面白い講演。)でその概要は掴めた気でいる。それと『レンマ学』の目次を見渡してレンマというものの構造も雰囲気は感じている只今。 それが2023年4月の現在。 遡る

          走り書き

          シナプス学

          啓示のようにそれはやってきた。 「シナプス学を作ればいいじゃないですか」 その人はこともなげに言う。 シナプス学?……なんていい響きだろう。 それは火花を飛び散らしながら私の掌に落ちてきたカルシファーのごとく、チラチラと燦いている。 それは……、それが私のやりたいことです! いつもであれば尻込みの文言をすぐに口走るところ、直感がそれを飛び越えて前に出てきた。 そうか。 自分の学問を作ってもいいのか。 そうだ、世界はそのように出来ているのだった。 もとよりすべての

          シナプス学

          Happy

          これを書きながら聴いてるのはファレル・ウィリアムスの「Happy」だ。 春のうかれ気分を花粉とともに温かな風が運んで来ている、そんな今日にぴったりの曲で、さきほどInstagramで春に開催するイベントの告知を投稿しようとした際、BGMとして添えるミュージックのおススメ一覧を見たらたまたま目についたそれをセレクトし、そのままiPhoneでもヘビーローテーションで聴き続けている。数年前にテレビCM(AppleのCMだっただろうか?)で軽く耳にしたことがあるだけのこの曲、曲調も

          五月雨式メモ

          私のなかのブームはかなり短期間に入れ替わる。二、三日で移り変わっていくうえに記憶力があまりよろしくないので一日、二日前の自分のしたことでもよく覚えていないことが多い。つまり、直近のブーム以外のことについて(もしくは直近のブームのことでも)はすぐに印象が薄まり忘れてしまいがちだ。 この記憶力の低下は老化というより、網膜色素変性症に付随した機能低下という実感がある。 これまで視力優位でずっと生きてきたので最優位感覚機能の視力が衰えるにつれ、他の感覚機能もバランスを崩して覚束な

          五月雨式メモ

          催眠ガーゼ

          この世はおもしろい。 この世というか自分というものは本当におもしろい。 幼い頃、自分は自分でしかなかった。 自分のこの目を通してみるものそのものでしかなかった。 そのときはまだ見る、ということしか捉えられていなかったからそういう風に思っただけで大人の思考でいま付け足すと、見る以外に聞くや触れる、嗅ぐ、味わう、そして痛む…といった身体感覚そのものでしかなかった。 その後、言葉によって成り立つ人間世界の網が幾度も幾度も自分というものに投げかけられて私の各層に浸透していった。

          催眠ガーゼ