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ダイアローグ

眠気はどうだい?

あ…、言われてみれば。
なくなってる。
そうか、気づかなかったけれどようやく抜けたのね。

それで、4次元は見えるようになったかい?

ううん。いま苦戦しているところ。YouTubeにはあんなに色々と解説動画があがっているのに、難しいものね。ああいう動画を作る人というのは4次元感覚に到達しているということなのかしら。

さあね、どうだろう。

理論と直感のあいだを埋めるのは本当に大変な作業よ。でも出来そう、という期待がひとを駆り立てるのね、きっと。

ほら、小さな頃、田んぼの脇の側溝を飛んで向こう側にいけるかどうかってしたじゃない?
おとなになって今思い返したら相当ヒヤヒヤするような遊びだけど。
あれみたいに、飛べる子と飛べない子がいて。お兄ちゃん達は大きいから得意げにあちらに渡ってしまうんだけど、まだチビの私はこっち側で歯ぎしりしながら立ちすくむしか出来なくて。
あんな感じ。


やったね、そんな遊び。


向こう側に飛べる子もいるなかでまだこちら側にいなきゃいけないってのは、嫌なものよ。
まったく。


レンマはどうなの?


だから、それなのよ。
結局のところ、レンマというのはあちら側に飛べて晴れ晴れとした気分にあるようなものじゃないかな。中沢新一さんは論理を尽くして側溝を埋め立てようと苦心してるのよね、きっと。完全には埋められなくても幅を狭めて少しでも他の人たちが渡れるように…と、工事してくれているみたい。

でもなんとなく思ったのは、結局のところレンマはただそこに立つことなんだと思うな。
それまでの論理的な苦労はうっちゃって、「ただ、そうなる」ってこと。


直感型のお得意のやつだね。


うん、そういうことになるのかな。
だからロゴスを超えてる、というものなのかも。
言葉にした瞬間にそこからズレが生じるような…?
どうだろ、必ずしもそうとも言い切れないのかな?まだ、それは分からない。
きっと言語化への勝機が見えたから中沢さんも『レンマ学』を書いたのだろうし。
少なくとも、私たちが渡れるレベルにまでは溝を狭めているのかも。


きっと意味あるよね、どうであれ。


うん。
そうそう、それでちょっとだけ感じたのは、数学は、数学的思考が出来るひと達は「速い」ということよ。


速い?


うん。
思考の流れが、シナプスの渡りが圧倒的に速い。その、数学的思考が出来ない人間と較べると、という意味で。


飛躍ということ?
ショートカットということ?


飛躍ではなくショートカットによる理解の進行度かな。
数学の動画を観ていて「あっ…」と思ったのはそこ。
でもそれはレンマ的理解とは少し違う。
レンマの場合は理解はすでにそこにある状態なんだと思う。
順を追って到達することではないの。

なるほどね。


ああ…、眠気は去ったけれどまだ私はレンマに開けてはいなさそう。
ちょっと期待していたのだけどな。


いつかそこに立てているといいね。


本当に。
きっと面白いと思うの。
あ、今日ももう時間がない。
これから坂の上まで登らなきゃいけないの。
ひとを待たせているから。


じゃあ今日はここまで、だね。


うん、聞いてくれてありがと。
またよろしくね。


じゃあ、行っておいで。


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