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今朝の走り書き

昨日のつづき。

シナプスの発火と拡張が生きるうえでの喜び。
これは本能的な部類の喜び、つまり快感なのだと思う。

意識と知性がほぼ同義のものとして日常を運転しているけれど、知的にシナプスが興奮し、独自のルートを開拓していくのを感じるとき、それはとてもスリリングで‘自分が自分で良かった’と思える時でもある。

グロタンディークの、告発の、そして哲学の手記を読んでいることは昨日も書いた。
三年ほどかけてstand fm上で音読している。

最近感じ始めたことはこの世の普遍性を求めることの危うさ…というのか、時間の浪費にもなりかねない、それでいて誰にでも普遍は開示されていて、だからこそ私たち人間はついうっかりこの世のことわりを言葉にしようとしがちである、それがひとに備わるエゴの罠かもしれない、ということ。

ある程度の経験をし、知識に触れたら(つまり大人になれば)私たちは個々のなかで普遍のことわりについて自分自身に語りかける存在を持つようになる。それが、もしかしたら潜在意識なのかもしれないし、ハイヤーセルフなのかもしれないし、レンマ学で引用されるところの理事無碍法界なのかもしれない。

そして私たちはそれを独自の解釈と脚色のもとに表現したりする。
自分以外のひとの発する無数のそれらは好みに合うものもあれば全くピンとこないものも。
それを識別していくのも地上生活の時間を豊かにするための大事な仕事かもしれない。

聞く耳のある者は聞きなさい。

聖書でイエス様(私はキリスト教から離れてもやっぱり様をつけて呼ばずにいられない。イエス様の存在にかつてとても助けられた事実は否めないのだから)が語られた言葉のなかでも一番好きなパワーワードなのだけれど、誰かが滋味ある発信をしたときにそれをキャッチしに行く、能動的に、半ば苦し紛れなスライディング状態となっても受け取りに行くことが、私がよしとするシナプス道なのかもしれない。


さて、昨日あわてて走り書きを閉じたあとには恋人が誘ってくれていたパイプオルガンのコンサートに行った。

椿山荘の真向かいにあるカトリック関口教会(昨日あんなことを書いておきながら直後にカトリックの教会にお邪魔していた。久々の教会でこそこそとビビりながら緊張していた。)のあの丹下健三による聖マリア大聖堂でコロナ禍以降はじめての一般にも開いたオルガンメディテーションの催しだった。
たまたまその情報をネットで見つけた恋人が興味津々だとかで一緒に聴きに行ったのだった。

さすが都会の大聖堂で、お御堂の席は満席、数百人が集う大盛況の会だった。

ここのカテドラルに入られたことはあるだろうか?お御堂は入り口が開いていれば(そしてそこでのマナーを守れば)誰でも入れるので近くに行くことがあればご覧になられると面白いと思う。

丹下健三の建築について深く納得したのが昨夜の極私的収穫だった。

丹下健三の建物は「こわい」

ようやくそう感じていたことが言葉に出来た。

子どもの頃に感じていたこと、それは「こわかった」ということだったのね、と自分のなかで申し合わせることが出来て、パイプオルガンの調べが鳴り響くなか聖堂の最後部に座りながら(こわいと感じつつ)喜んでいるという、妙ちきりんな状態になっていた。

かれこれ3〜40年前ということになるけれど、故郷の宮崎県日南市には丹下健三による文化センターがあって(今もある。今年のお正月に帰省した際、そばを車で通ってその存在感にやっぱり「おお…」と震えてしまった)何かの催しがあれば親に連れられてホールを訪れていた。

コンクリート打ちっぱなしの全体的に暗い、それでいて天井が高く、閉じ込められているような、緞帳も暗く重々しさ満載で、いま思えば全体的に石器時代の洞窟をイメージしていたのでは?という雰囲気だ。

そう、大人になって、ものを作るときにはコンセプトがあるということを知った今、私のなかで丹下健三さんは石器時代の人類の本能全開で血生臭く泥臭い、暗さに覆われたものが生活のなかにあった野生的な迫力を建築物に取り入れようとしていたのでは?と思えてきた。(建築家や建築物について調べたわけではないから違うかもしれない。あくまで私の印象に過ぎない)
そう思うと妙にしっくりと納得がいった。

とにかく子どもの頃、私は文化センターに行くのが苦手だった。

そう自覚するのによくもまぁこんなに時間がかかったものだ。行けば華やかで面白いものがステージ上で展開されるという約束された表向きの印象に抑圧されていたようだ。

自分がそこに行くのを嫌がっているということすらその時は自覚できていなかったけれど、感じることと気づいていることはまた別のものなのだということも知れたわけである。

なによ、ここ
いつも暗くて幕が開くまで圧迫されそうで
緞帳の柄もなんかやたら尖ってて(全体的に暗茶色で斜めにシンプルな太いラインが走っていたような記憶)つまんないし
とにかくこわいよ!

……ということを当時ことばに出来てたらさぞスッキリしていたことだろう。

今はそれがカッコいいとも思えるし、そういう意匠なのだ、と理解できるけれど、子供心は全然丹下健三に共感しなかったのだ。

こわい

自然物に対する(磐座とかやはり洞窟に入ったときなどに感ずる)畏怖の念をバッチリ感じさせるのだから大したものである。狙ってやっていたとしたら(当然狙っているでしょう)まんまと私はしてやられていたのである。

そして。
昨日の聖マリア大聖堂である。

日南市文化センターのそれより更にスケールが大きく、なかも広く、天井は高く、天に突き刺さるような十字架は遠くからも見える威風堂々。

入ってほしい。

天のカーテンがカーブをなして降りてきたような薄いグレーのコンクリートが、これまた前方中央の聖壇を頂点に据えながら洞窟のような様相をたたえている。
天井が高いのに完全に空間は閉じている。

これが…丹下健三…!

と、妙に感動してしまった。
(『ガラスの仮面』の月影先生か姫川亜弓がマヤの才能に白目になって驚愕したときのような、あんな感じ)

見る人が見たら「子宮のなかのようだ」とか「エヴァンゲリオンのNERVの地下の巨人が磔にされているあそこのようだ」とか(それは私が思ったのだけれど)言いそうな、とにかく閉じられつつ異次元を感じさせる空間。

護られている、とも言えるかもしれない(お御堂だけに)。

こわいなーこわいなー、と途中から稲川淳二のような脳内コールが聞こえるなか、こわいと感じさせる丹下健三すごい、と感動し、かつての幼き自分に「正解よ!こわいもの、丹下健三って!」とイイネを送ったのである。

ちなみにパイプオルガンのメディテーションは金曜の夜、我々を圧倒的な反響空間のなか揺すぶり、そちこちで心地の良い眠りを誘い、メディテーションの名に相応しいコンサート空間となっていた。

バッハの曲で構成されていたのだけれど、中盤の最後、「フーガの技法」という曲のコントラプンクトゥス11というパートはあまりの圧迫感(悲壮感強め?)に丹下健三建築の空間と合わさって昇天したいのに天にネットが張り巡らされて絡め取られて昇っていけない…!という感じがしたのは私だけだろうか?逃げられない〜、苦しい〜という感じ。

演奏の前に神父様が読まれた福音が「処刑されて墓に葬られた筈のイエス様が復活したらしく(見に行ったマリア様たち女性目線)墓のふたの大石が転がっているそばに天使がいて婦人達恐れ慄き逃げた…」というエピソードの影響もあるかもしれない。

最後は開放感と上昇感のある曲で締められたので(いまぞ喜べ、汝らキリストの徒よ という曲名に相応しく。これはバッハ曲ではないよう)助かった…とホッとしたのである。


ともあれ、子ども時代の違和感を回収できて、しかも「感じる」ということを世界がこのように自分に見せてくれたことに対して私はホクホクしている。


雨ふりの土曜。

神楽坂のドトールは昼どきになってもまだ混んでおらず並木道を見下ろしながら、そんなことをまた走り書きした。

今日はこのあと気になるショップを見て美容室に行く日。

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