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効率悪さと丁寧さ

日本社会は、「わざわざやる」美学がある。わざわざ手間暇かけるからこそ、思いがこもるというアレ。特に教育業界に多い。保育士も幼稚園教諭も各学校教諭も、それで苦労している。「わざわざ」手書きで手紙書いて、「わざわざ」色つけて教室に掲示して。「丁寧」の空回り。もっと、他のことに労力使えばいいのに、過去の人がやってるからって、自分がやってもらったからって、正しいことないのに。

公教育だけでなく、民間教育も同じで、「わざわざやる」ことがお客様の満足度に繋がると信じている。わざわざ電話をかけること、わざわざ手書きでメールを1つ1つ書くこと、同じ項目を聞くだけなのに、ひとりひとり対応する。

ホテルの予約サイトや飛行機、イベント等、「営業に命を賭けていないもの」は、消費者にポチッとさせるだけで諸々が完結する。退会処理だって、電話で引っ張ってくる営業話を聞かなきゃできないものもあれば、一方でボタン押すだけで何の感情も入れずに処理できるものもある。

「丁寧」は「面倒」と紙一重。
「面倒」が生み出すネガティブな感情は沢山ある。「心を込める」ことが「お節介」に繋がることもある。その辺のバランスは、こんなに多様な社会なんだから、一色単に仕事せず、お互いにとってより良い工夫を凝らして、働くべきだと思う。「楽」することは、「雑」なことではない。そんなにシンプルに世の中できていない。一人一人違うから、受け取り方も違う。
結局は、いつもの「もっと頭使ったらいいのに」に行き着く。

「作業」は、いくら心を込めても「作業」。
作業には、心を込めるばかりではなく、頭を使うことが大切だと思う。

仕事には、ホスピタリティが求められる。
作業には、工夫が求められる。
これを履き違えている人が多い。

どこもかしこも、そのうちAIがやる仕事ばっかり。
もっと人間らしく生きなくちゃ。せっかく人間として生まれて、豊かに考えられる脳みそ持ってるなら使わなきゃ。ぼーっと生きてたら、AIに仕事奪われるよ。

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