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小説「ぼくと彼の夏休み」

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ぼくと彼の夏休み(18)

 ぎしぎしと、階段を上がってくる足音が聞こえる。そして、ドアがノックされる。返事も待たずにぎぃとドアが開く。黒い影が、ベッドに横たわっているぼくに近づく。サイドボードの上に何かがそっと置かれて、ぼくの額に手が触れる。
「熱があるよ……大丈夫?……誰か呼んでくる。」
-------あ、待って。
 ぼくはとっさに、去ろうとする影を掴んだ。バランスを崩した影は、ぼくの身体に覆い被さる。体温があたたかい。

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ぼくと彼の夏休み(17)

 部屋で、ジャン・コクトーの詩集をぱらぱらとめくっていた。「少年水夫」と題された詩を見つけて、これは自分のことじゃないかしらと思う。

  死人ほど少年水夫は蒼ざめる
  今度は彼の処女航海
  彼は感じる
  不思議な貝が
  下から
  自分を呑みこんで どうやら自分を噛んでると

 ぼくも、大海原に投げ出された気分だ。
 ふと、窓の外を見る。ぼくの部屋から、薔薇園の一部が見える。入り口の門扉

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ぼくと彼の夏休み(16)

 祐人と過ごせないだけで、こんなにも手持ちぶさただとは。1週間前のぼくには想像もつかなかったろう。本に依存していたぼくが、今や友人に依存しているなんて。ぼくの世界の何もかもが、すっかりひっくり返ってしまった。
 のんびりひとりで朝食を食べていると、早朝の仕事を終えた祐人とジロさんも朝食を食べにやって来た。祐人とすこしでも長く過ごすために、ぼくはますますゆっくり朝食を食べた。そんなぼくのことを知って

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ぼくと彼の夏休み(15)

 だらだらとおしゃべりをしていたら、いつの間にか眠ってしまった。深夜にふと目が覚めて、祐人が隣で寝ているのを確認する。
 次に目を開けたのは早朝で、祐人がぼくの顔をのぞき込んでいた。
「おはよう。俺は仕事に行くよ。」
 ぼくはねむい目をこすりながら返事をした。
「行ってらっしゃい……」
 そうか、今日は月曜日なんだ。祐人は働いているから、夏休みがない。昨夜は「夏休みが永遠に続けばいい」なんて、無神

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ぼくと彼の夏休み(14)

 夕食が終わって、ぼくと祐人は部屋に戻った。一旦はそれぞれの部屋に戻ったものの、間もなく祐人がパジャマ姿でぼくの部屋にやって来た。
「フミ、何してる?」
 ぼくは机で、詩作の手帖を開いたままぼんやりしていた。何か新しいフレーズが出て来そうで、出て来ない。そんな時間が30分くらい続いていた。
「ぼんやりしてた……」
 ぼくは手帖を閉じながら祐人に言った。祐人は早速、ぼくのベッドにダイブする。
「今夜

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ぼくと彼の夏休み(13)

 夕刻。屋敷に戻ると、さすがにみんな起きていた。昨夜はあれだけ乱痴気騒ぎしてたのに、今夜はみんなすきっとしている。いつもの日常的な夕飯だ。
 ぼくと祐人も席につく。
 昨夜の残り物を中心に出されているのに、盛り付け方やアレンジが違うからか、残り物には見えない。トウコさんはそういう工夫がとにかく上手なのだ。
 この屋敷は人里からかなり離れているので、食材も大切に使わないといけない。庭の一角に菜園や鶏

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「ぼくと彼の夏休み(12)」

 正午を過ぎて食堂に下りたら、トウコさんがおにぎりを作っていた。「食べなさい」とふたり分を渡されたので、それをお弁当箱に詰める。
「祐人と遊んで来ます。」
 トウコさんはニコニコ笑いながら、塩まみれの手を振った。「いってらっしゃーい。」
 ぼくの手を取り祐人が先導する。
「この間の台風で倒れて、手当てしてる薔薇だけちょっと経過観察しておきたいんだ。」
 薔薇園の入り口にある石積みのアーチをくぐる。

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「ぼくと彼の夏休み(11)」

 それから1時間ほどして、祐人も目を覚ました。今度こそ、ちゃんと。
「フミ、おはよう……」
「うん、2回目のおはよう!」
 祐人はまだ眠そうな目をこすりながら、大きなあくびをしている。普段、仕事のある日はかなり早朝から働いているのに、休日ともなるとこんな感じなんだな。
「とりあえず、シャワーでも浴びて来たら?」
「そうする……」
 祐人はよろよろと、部屋を出て行った。ぼくは足音を立てないようにそ

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「ぼくと彼の夏休み(10)」

 朝。窓から入りこんでくる風が、レースの白いカーテンを揺らしている。その気配で目が覚めた。隣には祐人が、昨日のパーティーで着ていた服もそのままに眠っている。それがあんまり苦しそうで、ネクタイだけでもほどいてやろうと手を伸ばしたタイミングで、祐人も目を覚ました。
「おはよう……」
 お酒を飲んだわけでもないのに、ひどく疲れている。これは明らかに、踊り疲れだろう。普段使わない箇所の筋肉が、ずんやりと張

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「ぼくと彼の夏休み(9)」

 もう少ししたら夕食というタイミングで、階下から音楽が聞こえてきた。おじいちゃんがリビングルームで、レコードをかけているらしい。スウィングジャズのリズムがにぎやかに鳴り響いている。
 こういう日はだいたい、おじいちゃんがお酒を飲む日。食事をする部屋も、いつもの食堂からリビングルームに変わる。おじいちゃんがひと仕事終えた後は、たいていこういう晩餐会が開かれる。
 ぼくはシャワーを浴びて、白いシャツを

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「ぼくと彼の夏休み(8)」

 屋敷を出てから、とにかくひたすらに歩いた。進む方角も特に決めず、時には同じところを何度か歩いても、気持ちの赴くままに歩いた。歩きながら、考える。考えても、どうしようもないことがあるのは知っている。それでも、考える。そのうち、何かのヒントにたどり着くだろう。
 びっくりするのは、これだけ歩いてもおじいちゃんの敷地の終わりが一向に見えてこないこと。ジロさんたちの整備している庭が、どこまでも続いている

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「ぼくと彼の夏休み(7)」

 雨戸の隙間から、まばゆい光が入ってくる。それがぼくの顔を直接照らしたものだから、すっかり目が覚めてしまった。昨日までの雨風が嘘のような、台風一過の晴天である。
 昨日、隣で寝ていたはずの祐人は、ぼくが昼寝から起きた時にはもう居なくなっていた。いや、そもそも彼は、ぼくのベッドに居たのだろうか?ぼくが寝ぼけていただけではなかったか?
 夕飯はいつも通りみんなで食べたけど、さすがにその真相は聞けなかっ

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「ぼくと彼の夏休み(6)」

 隣の部屋で物音がする。祐人が浴室から戻ったのだろう。ぼくはベッドに寝転んで、ぼんやり考えごとをしていた。台風の音とは対称的に、ぼくの心はひどく沈黙している。
 本の世界に閉じこもり、他には何も必要ないと思っていた自分の中にも、生への渇望はちゃんとあったのだ。祐人の部屋を見た時、ぼくはそれに気がついた。望むものなど何もないなんて、嘘っぱちだ。ぼくは何もかもを欲しがっている。
 その事実は、少なから

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「ぼくと彼の夏休み(5)」

 雷が鳴っている。さっきまで遠い所でとどろいていたのに、あっという間に近くなった。光と音の間隔が短い。ぼくは怖くなって、窓のそばから後ずさった。今年最初の台風が上陸するらしい。
 今日は平日だけど、祐人も午後から室内待機らしい。とは言え、朝いちばんに屋外でやるべきことは全部やったそうだ。庭師は、やらなければならない仕事が数えきれないほどあるらしい。自然を相手にしているのだから、そんなことは覚悟の上

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