「ぼくと彼の夏休み(5)」

 雷が鳴っている。さっきまで遠い所でとどろいていたのに、あっという間に近くなった。光と音の間隔が短い。ぼくは怖くなって、窓のそばから後ずさった。今年最初の台風が上陸するらしい。
 今日は平日だけど、祐人も午後から室内待機らしい。とは言え、朝いちばんに屋外でやるべきことは全部やったそうだ。庭師は、やらなければならない仕事が数えきれないほどあるらしい。自然を相手にしているのだから、そんなことは覚悟の上なのだそう。だからこそ、何をして何をしないのかの優先順位がとてもむづかしいのだと祐人は言った。
 祐人が仕事に出かけるのを見送って、ぼくも朝から本を読もうとしていたのだけど、まったく読み進められない。どうしても、祐人のことばかり考えてしまう。
 ぼくは、ガリガリの自分の体を見るにつけ、なんて貧相なのだろうと思う。祐人のがっしりした裸を思い出しながら、自分もあんな風になりたいとは思うものの、次の瞬間にはなれっこないだろうと思ってしまう。これはうらやましいのか、ひがんでいるのか。その両方なのか。モヤモヤしたどうしようもないことを、朝からずっと思い巡らせている。なんて不毛なのだろう。自分自身がイヤになる。
 気分を変えようと書斎に行った。おじいちゃんが何かしら調べものをしている。友人の編集者から、英国のクラフト作家についてコラムを書くよう頼まれているらしい。ウィリアム・モリスという人のことなら、ぼくもすこしは知っている。かつて英国で、手作業の物づくりを推奨していたクラフトマンだ。おじいちゃん曰く、この屋敷でも至る所に使われているのだそう。もちろん、オリジナルではなく復刻なのだけど。
 気分は晴れないまま、トウコさんのところにも行った。こんな日にはお菓子を焼くのがいちばんなのよと、スコーンの生地をこねていた。午後には焼き上がるかしらとウキウキしている。
 結局、自分の部屋に戻って、また本を読んでいる。そしてやっぱり、1行も読み進められない。いっそ祐人と話してた方がまぎれるんじゃないかと思うけど、彼は今ジロさんのロッジで雨漏りを直しているところなのだ。嗚呼。
 トランクに放り込んだままだった、詩作の手帖を取り出してみる。ほんの数週間前に書いた詩が、ひどく稚拙に感じられる。そして、そのどれもが誰かの物真似である。宮澤賢治風、中原中也風、萩原朔太郎風、北園克衛風、ジャン・コクトー風。自分らしさがどこにもない。
 そんなふうに腐っていたら、扉の開く音が聞こえた。いよいよ祐人が帰って来たのだと廊下に出てみたら、トウコさんが他の部屋を掃除していた。がっかり。

 台風はますます酷くなる。雨戸に、雨粒が叩きつけられている。こうなると、祐人は戻って来れないままジロさんのところで一夜を明かすかもしれない。そんなふうに思った矢先、隣の部屋の扉が開く音がした。
「祐人!」
我ながら、すごい勢いで飛び出したものだ。祐人もびっくりした顔でこちらを見ている。彼はやはりびしょ濡れで、なす術もなく自分の部屋の前に立ちすくんでいる。
「フミアキ。悪いんだけど、俺の部屋からタオル取って来てくれない?」「わかった!」
ぼくは彼の部屋に飛び込んで、当てずっぽうにチェストの引き出しを開ける。
「…上から2段目の右の方」
生成のバスタオルを彼に投げつけると、ぼくは彼の部屋を見回した。まるでホテルのように、生活感がない。本やレコードやポスターや洋服など、彼を象徴するものが部屋のどこにも見当たらない。机の上には、ノートやペンすらない。ぼくはすこし、びっくりしてしまった。
「この部屋、何もない……」
 ぼくはしばし呆然と立ちすくんでいたけど、はっと気を取り直してから言った。
「そこまで濡れたら、シャワーを浴びた方がいいよ。今日はすこし、肌寒いし。」
「そうだな……」
 祐人はチェストから着替えを取ると、浴室に向かった。
 ぼくはその間に、彼の部屋を物色する。クローゼットにもチェストにも収まるものは収まっているものの、すべてに生気がないのだ。借りものだけで暮らしているような感覚。
 机のひきだしを開ける。そこにはかろうじて1枚の写真が額装もせずに放り込まれていた。幼い祐人が父親と母親に抱かれている写真。彼の部屋たらしめるものは、たったそれだけしか見当たらなかった。
 ふいに、部屋の外でトウコさんの声がする。
「ユーちゃん!廊下がびしょ濡れじゃない!!……もう、」
モップを取りに、トウコさんは1階へ下りた。
 ぼくははっと我に返り、そそくさと自分の部屋に戻る。そこいらじゅうに、ぼくの生きている痕跡がある。彼とぼくはどうしてこんなにも違うのだろう。

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