「ぼくと彼の夏休み(8)」


 屋敷を出てから、とにかくひたすらに歩いた。進む方角も特に決めず、時には同じところを何度か歩いても、気持ちの赴くままに歩いた。歩きながら、考える。考えても、どうしようもないことがあるのは知っている。それでも、考える。そのうち、何かのヒントにたどり着くだろう。
 びっくりするのは、これだけ歩いてもおじいちゃんの敷地の終わりが一向に見えてこないこと。ジロさんたちの整備している庭が、どこまでも続いている。
 もう何年も前に、なぜジロさんは庭師になったのか、問いかけたことがあった。彼ははぐらかすように、俺は植物がちゃんと育つよう整えているだけなんだよと笑った。結果的にそれをみんなが「庭」と呼んでいるに過ぎないと。
 そんなことを思い出しながら歩いていたら、まさにそのジロさんがトラックに乗って現れた。荷台には、彼の愛犬ミトが乗っている。
「フミ、お前……えらい遠くまで来たな……」
ジロさんは窓を開けてびっくりしている。
「あれ?ユージンは?」
「ああ、あいつなら薔薇園の整備をひとりでやってるよ。」
 荷台のミトはラブラドールレトリバーという犬種で、元々は外国の狩猟犬なのだそう。ジロさんの亡くなった奥さんが飼い始めた子なので、もうだいぶ歳を取っている。
「それよりお前、昼ごはんはどうするんだ?」
「トウコさんのスコーンがポケットに入ってる……」
「トウコの弁当、余分に持ってるから、一緒に食べないか?」
 確かにお腹は空いた。いつの間にか、もう正午を過ぎていたらしい。ぼくのお腹が思い出したようにグウと鳴って、それを聞いたジロさんが笑いながら決まりだなとトラックのエンジンを止めた。
 ジロさんはすぐそばの木陰にシートを敷くと、ぼくとミトを呼んだ。竹籠にみっちり詰まったトウコさんのお弁当は、働く人仕様になっている。肉やベーコンや魚や豆などのタンパク質がとにかくたくさん入っていた。
「お前はこっち!」
ジロさんはミトにお弁当のウィンナーを2本ほどあげた。ミトは数秒もしないうちに全部平らげて、舌なめずりをしたと思ったらもう昼寝モードに入っている。
 ぼくはジロさんに促されて、もうひとつのお弁当箱を受け取った。
「これ、ユージンのじゃ……」
「あいつに渡すの、忘れてた。でもまあ薔薇園は母屋のすぐ隣だから、きっと食堂で食べるだろ。」
 促されるままに、ぼくはお弁当を食べる。トウコさんのお料理が、空腹に沁みる。
「フミ、ユージンと仲良くしてくれてありがとう。」
 これだけは話しておきたいと思ったのか、ジロさんは本題から入った。こういうところは、祐人にそっくりだ。いや、祐人がジロさんにそっくりなのだけど。
「あいつ、ほら。中学を中退してここに来たから、同世代の遊び相手が居なくて淋しいんじゃないかって、ずっと心配してたんだ。」
 ジロさんは心底安堵しているみたい。それが表情に出ている。
「いくら庭師になりたいからって言っても、まだ14歳だろ?正直、ここに居させていいのか、悩ましいところでな。」
 ぼくは、祐人が庭師になりたいと言った本当の経緯を知っているので、何も言えない。
「とにかく、ここにいる間はあいつを見てやってくれ。」
 ジロさんが、水筒のお茶をさし出す。ぼくは「もちろんです」と言いながら、それを受け取った。
 お弁当をすべて平らげたら、そのまま歩いて帰ろうかと思っていたのだけど、ジロさんに止められた。自分でも気づかないうちに、相当な距離を歩いていたらしい。ひとまず母屋の近くまで送るから、そこからまた歩けばいいさと強く勧められた。さすがのぼくも、それに従うことにする。
 トラックの荷台に、ミトと座る。流れていく景色と吹きぬける風が最高に心地よい。母屋近くの植え込みで、作業している祐人を見つけた。ぼくはトラックの荷台から、大きく手を振った。祐人も、これ以上ない笑顔で手を振り返してくれる。
 もう、考え過ぎるのはよそう。ジロさんのトラックが止まるか止まらないかのタイミングで飛び下りて、祐人のところに駆け出しながらそう思った。

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