「ぼくと彼の夏休み(9)」

 もう少ししたら夕食というタイミングで、階下から音楽が聞こえてきた。おじいちゃんがリビングルームで、レコードをかけているらしい。スウィングジャズのリズムがにぎやかに鳴り響いている。
 こういう日はだいたい、おじいちゃんがお酒を飲む日。食事をする部屋も、いつもの食堂からリビングルームに変わる。おじいちゃんがひと仕事終えた後は、たいていこういう晩餐会が開かれる。
 ぼくはシャワーを浴びて、白いシャツを羽織る。ドレスコードはないものの、社交の場なのだからなるべくシャツとジャケットを着なさいと言われている。そういうおじいちゃんは、完璧にフォーマルな格好をする。それはまるで、ハリウッド映画に出てくる二枚目俳優のようだ。
 部屋を出ようとしたら、祐人と一緒になった。彼もまた、シャツにネクタイにベストにジャケットというフォーマルな格好をしている。普段はデニムの作業服なので、かなり新鮮に映る。
 リビングルームに着いたら、準備はもうすでに整っていた。中央のチェストに、トウコさんが腕を奮った各種の大鉢料理が並ぶ。各自好きなものを、好きなだけ取ってよい。トウコさんもこの日は一緒にお酒を飲むから、飲み物も自分で用意しなくちゃいけない。ぼくは、よく冷えたミント水をグラスに注いだ。祐人は、ジンジャエールの瓶を開けて、ワイングラスに注いだ。
「レディー&ジェントルメン。今夜も、道楽者の晩餐に同行してもらうよ。乾杯!」
おじいちゃんがそう言うと、みんなは一斉にグラスを掲げる。「乾杯!」
 おじいちゃんもジロさんもトウコさんも、お酒を飲むのは昔から好きらしい。かつては毎晩のように晩酌をしていたという。夜通し飲むこともしょっちゅうだったとか。さすがに年齢を重ねた今は、週に1度飲むか飲まないかだけど、それでも3人はこの時間を何より楽しみにしている。
 そして、宴が佳境に入ったらたいていダンスが始まる。おじいちゃんがワルツのレコードにかけ替えると、ジロさんに手を差し伸べる。ジロさんはその手を取ると、ワルツのリズムに合わせておじいちゃんと踊る。
 以前、ダンスのパートナーがなぜトウコさんじゃないのかと訊ねたことがあった。トウコさんはとにかく運動音痴で、何度か教わったけどおじいちゃんの大事にしている革靴を踏んでしまう回数の方が圧倒的に多かったから、ダンスは早々にあきらめたのだという。「その代わり、わたしのお料理がみんなの口の中でダンスを踊ってるから大丈夫!」とほろ酔いのトウコさんはからからと笑った。
 今夜ばかりはジロさんも、白いシャツを着ている。蝶ネクタイはタータンチェック柄で、サスペンダーをしている。そのふたりが踊る様は、とにかく格好いい。
 ふと、ぼくと祐人も練習したら踊れるようになるのかなと想像したけど、そもそもぼくはダンスの経験がないのだ。隣を見ると、それを察したかのように祐人がこちらを見ている。そしたら不意に、彼が手を差し出してくるではないか。ぼくは思わず、その手を掴んだ。
 祐人がダンスをリードする。ぼくがどうすればいいのか解らずに戸惑っていると、祐人が耳元でささやいた。「左手は俺の肩に置いて。」「足は俺の足にそって、同じように動かして。」彼に身を委ねてやっていたら、何だかそれなりに格好がついた。祐人が気を利かせてくれているだけかもしれないけど、祐人の足を踏むこともあまりなかった。
 その様子を見ていたみんなが、向こうではやし立てる。「おおー巧いぞ!」「ふたりともステキ!」「ユージン、上達したなあ!」
 ぼくは照れくささとともに愉快な気分になった。そうして最後には、愉快な気分の方が勝った。おじいちゃんは次から次へとワルツのレコードをかけ、ぼくと祐人、おじいちゃんとジロさんが延々と踊る。それをトウコさんが、にこにこと眺める。もちろん、大人たちは片手にお酒。そんな夜が、どんどん更けていった。
 宴の終わりはいつもはっきりしない。誰かがソファーで居眠りを始めた後も、起きている者同士でおしゃべりに花が咲く。そして、居眠りしていた人が起きたと思ったら、またグラスにお酒を注ぐ。まさに、エンドレス。
 ぼくと祐人は、日付を越える頃に2階へ上がった。ふざけて、ダンスをしながらぼくの部屋に飛び込んで、ふたりしてぼくのベッドに突っ伏したら、あっという間に眠ってしまった。
 深夜にふと目が覚めたら、祐人の寝息がすぐそばに聴こえた。彼にタオルケットをそっとかけると、ぼくもまたすぐ深い眠りに落ちた。

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