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今月の1冊~2022.08

2022年、8月。
夏の到来。今年はいろいろ気が抜けない夏。
長い夏休み、いろいろ試されています。ただ今年も行けた新潟で一面のひまわり畑にお目にかかれたのはほんとうに癒しのひとときでした。

読む本は数あれ、ぐっとくる1冊にはそんなに簡単に出会えない。
そんな中でも毎月1冊もしあれば2冊、自分のなかでこれは・・と思ったものの感想を書いていこうと思います。
本の要約ではないと思うので気になる方は是非ご自身で読んでください!

今月は、
空を駆ける
梶よう子 

時は明治。わたしの母校、フェリスセミナリーの話です。もう懐かしいのと、こんな学校で学べたことと、何よりも素敵な友人たちに恵まれたことを一気に思い出してウルウル。本当に贅沢な学びの時間だったことに感謝せずにいられません。

フェリスセミナリーができた当時の横浜は、港町として栄えていたので、海外の文化に触れるということは割と身近だったのかもしれません。でも時代はまだ明治、そこには今のような様々な文化を受け入れる姿勢が普通であったかというときっとそうではなかったのではと想像します。ある意味、海外の文化に感度が高いひとたちが、そっと集ったような、そんな場所だったのではないかと思います。そしてその中での学びは、英語ということばはもちろん、キリスト教という宗教や、これまで日本にはなかった価値観をシャワーのように浴びられる場所だったのではないかと思います。自由に思ったことを言ってもよいこと、友人を大切にすること、違いを受け入れること、そしてその根底には、自分を受け入れ、理解すること、認めること。そんな学びのある場所だったのかなと思います。ある意味あの時代ではありえなかったような、そんな新しい時代の幕開けを引っ張る存在だったのではないでしょうか。

時は変わって、現在。といっても、私が学んだのはもうだいぶ前にはなりますが、このフェリスセミナリーの精神をそのままシャワーのように浴びてすごした中高時代。ちょっとはめをはずすと、すぐしかられたし、お友達とのあれこれや、将来のこと、いろいろなことがあったし、まだまだ子どもなのでそんなに自由な生活があったかと言われると、当時はそんなことはあまり思っていなかったはずです。でも、あんなに自由に物事を考え、試行錯誤し、泣いて笑った時間もないんじゃないかと思うほどに、精神は自由でいられたのかなと今になって思います。はなれてみて気づくとはこのことなのでしょうね。どれだけ自由に過ごしていたんだろうと本当にしみじみ思います笑 みんな違うから楽しいんだよと入学式の日に言われたこと、自分で決めなさい、考えなさいと言われたこと、すべてはささやかな日常でしたが、こんなにも守られて、自由である時間はそうそうない贅沢な時間でした。

ここ数年、ほんとに変化の激しい激動の時代だなと思います。その中で戸惑うことも不安になることもしばしば。でも、私とは違うものをもっていて、素晴らしいみんなに生かされているな、と思うとなんとかなるなと思えるのも事実。正解はないのだから、自分を大切にしてみる、好きだと言ってみる。あの6年間に感謝をしつつ、この新しい時代を生きていこうと思うのでした。

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