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日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#18(2022/6/14)

・妹からのプレゼントはロックンロール

 今日はティーンエイジだったころの僕たち兄妹の音楽について書こうと思う。YouTubeで椎名林檎の、東京事変のデビュー曲『群青日和』のMVを観ていて思い出したんだけど、誤解を恐れずに言うと、椎名林檎ソロで彼女が売れ出したとき、俺は最初椎名林檎の音楽観が苦手だったんよ。だけど妹を触媒にロックンロールに触れていく過程でどんどん個性的なロックに目覚めていった。どういう経過をたどって、僕が僕の初期の音楽性を獲得していったかっていう話で、僕と妹の感性がすごく好対照だったので、それをごく簡単にかいつまんでお話ししようとしている次第。

 ちょっと話は変わるけど僕は粛々と商業主義でやってる音楽が好きな傾向があって、ヒットチャートをにぎわすような曲が好きだったんだよ。僕のルーツはまさに小室さんが魔法のように量産する楽曲群、ビーイングのバンドやら、ユニット一色だった。
 
 まだまだ世の中はTRF、篠原涼子のヒットで始まった小室プロデュースやらミスチル、マイラバを売り出した小林プロデュース、モーニング娘。を売り出したつんく♂が作るようなあくまでもマニファクチュアな音楽にこだわったスタイルが流行の名残を残していた。まさに他の追随を許さない程に。

 ウルフルズがシングル『ガッツだぜ!!』を売り出したときに、
ちょんまげ姿のメンバーが踊るMVを妹が一目見て
『絶対売れる。このバンド』。

当時の楽曲はシンセで作って、ユニットで売り出すというような流行や激しめハードロック路線のヴィジュアル系で占められたヒットチャートの中で、これから売れようとしていたウルフルズはアレンジメントやMVの見せ方が特異だったから、当時の僕は音楽への見方というか感性が悪い風に凝り固まっていて(クールでスタイリッシュな音楽とは決して言えなかったので)、”絶対こんなスタイルのバンドが売れるかよ(ホント失礼)”、と思っていた。

 が、結果ウルフルズも商業的に成功を収めたので、私はかなり驚いた記憶があるし、妹の先見の明には本当にびっくりした。のちのウルフルズの活躍はみなさんご存知の通りですよ。僕も結局は彼らのノリというかグルーヴにヤられていくんだけどね。

そう考えると、自分はプロデューサーブームのゆったりとした終焉を予見できなかったんだなぁと回顧。

この頃から自分の感性も人様と違うように、
妹の感性がちょっくら違うことに気が付いて。

学校で今流行ってるラジオがあるんだよ、って言って、渡されたカセットには、RKB青森放送の『ワラッター』で放送されていた”今週のどんだんず”というコーナーが録音されていて、本当に面白いものをみつけるのが得意なヤツだったんだよな、あの頃から。

 話を元に戻すね。椎名林檎も、妹が売れる前からいち早く見つけて僕の部屋のコンポのエフェクトでCDからボーカル部分を抜いたカラオケを作って部屋で歌わせていたりしたんだけど、ずいぶんトンがった歌手が好きなんだな~、って印象だった。結果、言わずもがな初期の椎名林檎のような個性的なロックが社会的に認知され売れていく。もちろん、多くの人が前述のウルフルズや椎名林檎に共鳴したからこそヒットにつながっていくから、妹の感性に近い若者も確かに多かったんだと思う。ただ妹はその着眼のスピードがとても早かった。

 僕は音楽で人に影響を与えたいということを考えていたけど、結果的に妹から影響をモロに受けてきた。この頃から妹にロックを習うような感覚とでも言おうか、音楽的に妹の感性に近づいていくようになっていった。

僕の好みは商業主義に乗った、いわゆるCM、アニメ、ドラマのタイアップ曲でイメージの定着した曲だったりする反面妹はそういうレールには載らずに、そこからロックンロールのヒットを見つける才能が昔からあったんだよね。それは本当に凄くて音楽的才能や嗅覚のない自分としてはずいぶん嫉妬したんだよな。妹の音楽的な才能に嫉妬した話をすると、本人は「凡才だよ・・・」と、謙虚な姿勢を見せるけど、俺からしたら多感な思春期以降、妹からもらったのは本物のロックンロールスピリットだったんじゃないか、って思わされている今日この頃なのでした。妹クン、いつも仲良くしてくれてありがとう。


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