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私が大熊町に定住した理由

いままで、「関係人口・交流人口を増加させていくためにはどうしたらよいか?」「移住者・定住者を増加させるためにはどうしたらいいか?」という内容の打ち合わせの場に何度参加しただろう。

〈まずは知ってもらうこと!情報発信を強化しよう!〉〈もっと地域内で連携しなければ!〉〈コンテンツを充実させて魅力を上げよう!〉

・・・などなど、たくさんの声があがる。

そういった場にいると、福島に移住する前の「関係人口」「交流人口」であった自分のことをあらためて思い返す。

私は祖母の家が福島県双葉町にあるため子供のころは年に何回も遊びに行っており、大人になってからも、震災後も、ばあちゃんや親戚に会いに福島に来ていたので、生まれた時から双葉町の「交流人口」であった。

「交流人口」から「移住者」になったきっかけは「東日本大震災・原発事故」だった。新聞やテレビの情報でなく、現場で何が起こっているかをどうしても知りたかったから。そこで何かできることがあるのではないかと思ったから。

「移住者」から「定住者」になったきっかけは、「尊敬できる人たちがこの地域にいること」と「仕事」と「結婚」だった。

そして今、「定住者」となり「関係人口・交流人口を増加させるためにはどうしたらいいか?」という問いに対して思うことは、「自分がこの地域で暮らしていて、幸せか?」という根本的な部分だ。

自分の知りたいことはこの場所にあって知識欲は満たされているし、この地域の一員として仕事をし、生活を送っていること自体にも充実感がある。そしてそのことをすこしずつ発信できていることも、東京にいたころの私では絶対にできないことだ。

だけど、

たぶんそれと「幸せ」はイコールではないし、なんというか・・・

まだまだやれることがある、と思う。

ぼんやりとした表現になるが、もっともっと「自由」になれると思っている。そしてそれがこの地域の魅力になるのでは、と考えている。

この前の3月で仕事に区切りをつけたのは、そういう意味で新しく挑戦したいことがあるから。

今日も新しい出会いがありそう!いってきます!


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