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ネッシーのような存在、三浦雄一郎

編集で携わりました溝呂木です。今回の本のこと、それまでの三浦雄一郎さんとの出会いや関わりについて、書きたいと思います。

幼き日、三浦雄一郎はネッシーのような存在だった

子どもの頃、大好きな本があった。
それは、ネス湖のネッシー、ツタンカーメンの呪い、バミューダトライアングル、イースター島のモアイ像、アマゾン川の人喰いピラニア、世界一高いビル、世界で一番高齢の人……などなど、
昭和の小学生の好奇心を刺激する内容が凝縮されていた児童書だった。

三浦雄一郎さんの名前を知ったのはその本がきっかけである。
世界一高い山としてエベレストを紹介するページがあり、ヒラリー、テンジンという初登頂者の名前とともに、“エベレストからスキーで滑降した人物”として記載されていたのだ。
以後、長らく、自分の頭のなかで三浦雄一郎はネッシーと同じフォルダに入っていた。存在していることを実感できなかったのだ。

出版社で働いていた父の影響も少なからずあったのだろう。
大学卒業後は出版業界に入った。そして、最初にスキー雑誌の編集部に配属された。
その雑誌は、当時はまだ目新しい種目だったモーグルに力を入れることで競合誌との差別化を図っていた。モーグルのことを何も知らなかった自分は、国内外の大会会場に連れて行ってもらい、猛勉強することになる。
その頃、モーグルの日本代表チームに三浦豪太という選手がいた。彼が三浦雄一郎さんの次男だということは先輩編集者が教えてくれた。ネッシーとの距離が少し縮まった。

ネッシーへの接近

日本代表チームのリーダー格だった三浦豪太選手は、1998年の長野オリンピックに出場が決まった。女子の代表選手には、里谷多英選手、上村愛子選手の名前もあった。
そのとき、我々編集部は、会場である飯綱高原スキー場近くのロッジに宿泊し、大舞台を取材することになった。この取材には若手編集部員だった自分も参加することできた。

長野オリンピックでの、三浦豪太選手

長野オリンピックのモーグルは、男女とも予選と決勝を別々の日に行うスケジュールだった。三浦豪太選手は大会初日の予選を突破した。その晩のことだったろうか。宿の大浴場で体を洗い、浴槽にドブンと体を沈めると、横にいた先客が話しかけてきた。「いやあ、気持ちがいいねえ」。どのように答えたかは忘れた。湯気ではっきりと顔を認識できなかったが、すぐにその人物が息子の応援に駆けつけた三浦雄一郎だということが分かる。ネッシーは実在した。しかも、いきなり“裸の付き合い”からのスタートだった。

20年間で三浦雄一郎に関連した8冊の本に携わる

その後、雄一郎さんは70歳だった2003年にエベレストに挑戦し、モーグル選手を引退した豪太さんとともに登頂を果たした。
このとき所属していたスキー雑誌編集部が、関連ムックと単行本を作ることになった。自分もそこに関わることができた。ネッシーと急接近した思いであった。

雄一郎さんはその後、75歳、そして80歳のときもエベレスト登頂を成し遂げた。さらに2019年、86歳のときには南米最高峰のアコンカグアにも挑戦している。
その間に会社をやめてフリーランスになった自分は、複数の出版社から発刊された雄一郎さんにまつわるムックや書籍の編集、構成を担当するチャンスに恵まれた。
冊数をカウントすると8冊になる。
まさか、こんなに長い間、子ども頃に本で読んだ人物に関わることになるとは思わなかった。結果的に、その経歴や三浦流哲学は、頭の中にひと通りインプットされている。“ちょっとしたネッシー研究家のようなものだと”いう自負も生まれた。

2019年のアコンカグア遠征から帰国後、86歳の雄一郎さんは、90歳でのエベレスト挑戦を宣言していた。
「三浦雄一郎なんだから、きっとそれも実現するのだろう」
となんとなく思っていた。

ところが、2020年代になると状況が一変する。パンデミックによりしばらく海外渡航が難しい状況になったのだ。また、その後、「雄一郎さんが、大病気を患ったらしい」という話も耳にした。
「90歳のエベレストは難しいのかな」
とも感じたが、以後は積極的に“その後の三浦雄一郎”について情報を追わなくなっていた。



それには2つの理由があった。
一つは、コロナ禍においてフリーランサーとして生きていくのに必死だったことだ。デジタル化が進むことで従来の紙媒体の仕事が減り、新しい分野を開拓する必要があったのだ。
もう一つは、離れて暮らしている父の超高齢化である。
入院を繰り返す父の健康状態は確実に悪くなっていた。満足に会話が成立しない。
残された時間が短いことは実感できた。
そうなると、一緒に暮らして世話をする母のことも気がかりである。
だが、顔にマスクを装着しつつ、心配事とストレスが絶えない数年間はあっという間に過ぎた。

老いた親に頭を抱えていたタイミングでの依頼

主婦の生活社の編集者・新井さんより連絡をいただいたのは、アフターコロナの仕事のスタイルがなんとか確立されていた2022年の真冬だった。
新井さんは現在の三浦雄一郎さんをテーマとし、高齢者やその家族が勇気づけられる書籍を作りたいという。
そこで、知恵を貸して欲しいとのことだった。少しのブランクが負い目となったが、自称“ネッシー研究者”として断る理由はなかった。

まず、長年お世話になっている三浦恵美里さん(雄一郎さんの長女)に久々に連絡をとった。彼女が三浦ファミリーの窓口である。
そして、新井さんと一緒に事務所を訪ね、雄一郎さん、豪太さんが同席の上で書籍企画について相談させてもらった。

その席で、雄一郎さんが「頸髄硬膜外血腫」という100万人に一人の病を患い、一時は手足が動かない要介護4の状態になっていたことをはっきりと理解する。
広報的な役割も果たす恵美里さんによれば、まったくのシークレットではないものの、コロナ禍の状況も鑑みて、その件をあまり積極的に発信してこなかったらしい。
そうだったのか。

ただ、その話はとても不思議だった。
なぜなら、目の前には雄一郎さんがいて、元気に話しているのだ。
今の雄一郎さんは絶望的な状況から立ち上がり、家族のポジティブなサポートに支えられながら、大雪山でスキー滑降、そして富士山登頂という新しい目標のために前進しているというのだ。
その様子からはとても要介護4の認定を受けた人とは思えない。

大病のあと、雄一郎さんはリハビリをつづけていた



書籍化を快諾いただいた上で、アコンカグア遠征後、コロナ禍にあって苦しい状況に陥った雄一郎さんと家族のストーリーを本の軸とすることが正式に決まった。
そして、
「支えられる雄一郎さんと、支える側の豪太さんが、それぞれの立場から執筆する」
という新井さんの構想の通りのスタイルでいくことになった。

父と子に、思うままにこの数年間のことを綴ってもらい、それを読みやすく構成したのがこの「諦めない心、ゆだねる勇気」である。
そこには、高齢者、それを支える家族が前向きな気持ちになれるためのヒントが詰まっている。
これが自分にとって9冊目の三浦雄一郎関連書籍となる。


編集作業がスタートしてからすぐに、我が父はこの世を去った。
父には本書に書いてあるような三浦家流サポートをやってあげることはできなかった。残念ながら間に合わなかった。
ただ、まだ母は生きている。そこだけでも後悔のないようにしていきたい。


三浦雄一郎・三浦豪太著『諦めない力、ゆだねる勇気』(主婦と生活社刊)

2023年10月13日発売:1500円(税別)
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