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「ひとりの声」の大きさ

アメリカの大統領選挙がいよいよ大詰めになっていますね。

「結果はどっちなの!?」
「トランプ?バイデン?」
「投票終わったんじゃないの!?」

はやく結果が知りたいのに、いつまで経ってもなにやらずっと曖昧な状態が続いているので、「もうどうでもいいや」ってちょっと飽きている日本人の方もいるかと思いますが、落ち着いて、


今、数えてます。


勝敗を左右してしまうような激戦州では、何度も繰り返し投票を数えなおしているそうで、まだ結果が出ない状態みたいです。数えている人たち、ほんとお疲れ様です。とはいえ、明日には結果ぼちぼち出てくるみたいですね。

こんな接戦になるなんて、なんだか大阪都構想の住民投票に引き続き、すごいですよね。半分の人の意見は通るけど、半分の意見は通らないんです。多数決が意味をなしていないような...。


まあ、多数決の良し悪しはさておき、

無事に滞りなく、かつ、歴史的にも特筆すべき投票率を誇ったらしい今回の選挙ですが、投票が完了した今になってデモが各地で起こっているそう。知っていましたか?

みんなこんなプラカードを掲げて。


"COUNT EVERY VOTE"
(すべての票を数えて)


今日はこのキーワードのもと、「『ひとりの声』の大きさ」について僕が考えていることを書こうと思います。


【今日のまとめを先に】
✅僕は、僕の声が届いているという実感がほしい
✅思っているよりもっともっと、「ひとりの声」は大きい。
✅今こそ、自分自身の「発信」のあり方を問いなおす時



『ひとりの声』の大きさ


COUNT EVERY VOTE については僕も詳しくは知らなかったのですが、今回の選挙に際して立ちあげられた社会運動のようです。Issue Oneというワシントンを拠点として「アメリカの民主主義を建てなおす」ことを目標に政党を跨いで集まって活動する団体がスポンサーになっています。(どうやら他にも同じ名前の運動あるみたい?)

COUNT EVERY VOTE の社会へのメッセージをとにかくざっくり言うと「私たちの票を間違いなく、一票残らず、数えてくれ!」です。(あまり意味のないざっくり説明)


民主主義のあるべき姿として、個人個人の権利が尊重されることを求めているわけですね。


なんでこれがデモに発展しているかというと、ここにきて少々押され気味のトランプさんが「この選挙は詐偽投票だ!票を数えるのをやめろ!」なんてこと言っちゃったからです。この辺詳しくはみなさん各自ニュース見てください。


とにかくこの COUNT EVERY VOTE のメッセージが今アメリカで強烈に沸き起こっているらしいのですが、僕もね、めっちゃ思うところあり、だったんです。


というのも、日本でも選挙があるといろいろテレビ番組が組まれて、中継とかやってるじゃないですか、(学べる方の池上彰さんが大活躍ですよね)

あれ見ていると、どうしても解せないことがあるんです。

それは、


開票率がまだ数%なのに「当確」になってお祝いムードになること。


一気に祝賀会モードになって、「ばんざーい!ばんざーい!」みたいな。(まあそんな暢気なことしていると中継で池上彰さんとつながっちゃってバッサリ切られたりしますが(笑)。)


あれっていうのは、詳しくは知らないですけど、統計学の英知なわけですよね。それまでの事前の調査と数学的な裏付けがあるからこそ、開票率数%の早期に勝ちが決まってしまうんです。


...って、そんなことはわかってるんです。
別に人類が積み重ねてきた統計学の英知を否定したいわけじゃないんですよ。

僕が言いたいのは、

「そんなことは百も承知で、その上で、なんで僕たちの票を最後まで数えないんだよ。」

ってことです。


勝ちが決まっているのに数えるなんて無駄だって言う人がいるなら、もう一度胸に手を当てて考えほしいと思うんです。それを一票残らず数えるのって本当に無駄ですか?



僕がほしいのは、(もしくは「僕たち」がほしいのは)
そこで決まる結果だけではなくて、

僕の声が届いているという実感なんだと思います。



それが失われたら民主主義なんて破綻します。
いや、むしろ失われているからこそ、こんなに投票率が低いんじゃんないでしょうか。僕たちひとりひとりの声なんて意味がないと多くの日本人が思ってしまっているのではないでしょうか。


今こそ、僕たちは「ひとりの声」の大きさを実感しないといけないんだと思います。自分たちが思っているよりもっともっと、僕らの声は大きい。




そして、これはもう一つの問題にもつながっていると思っています。

それは、インターネットの誹謗中傷


とある方がこんなようなこと言っていました。

「軽い気持ちで、軽い言葉で、出来心で言ったとしても、
受け取る方にしたら、それが積み重なって押し寄せるわけだから。」


いくつもの悲しい事件を見て、「ひとりの声」は決して小さくないのだと、この1年の間に考えさせられた人はきっと多くいると思います。


「ひとりの声」は大した大きさじゃない、届かないと錯覚してしまった結果として、声が届かないから選挙には行かず、声が届かないから何を言っても大丈夫とインターネットで人を傷つけているんじゃないでしょうか。



いくつもの心痛む事件の数々、加えて、それぞれの1票が大きく結果を左右することになった大阪都構想の住民投票、そして、これから時代を運命づけるアメリカ大統領選挙を見て、僕は改めて「ひとりの声」の大きさを再認識しました。



そして、僕の声もしっかり届けるべき人へ届けないといけないなと。選挙に行くこともそう、SNSに書くこともそう、日々直接会話する人に対してもそう。今こそ、自分自身の「発信」のあり方を問いなおす時なのかもしれません。



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追記2020.10.28 「秋のイギリス編」追加しました!


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