人は何のために頑張るのか?

今朝の営業コンサル勉強会にてとてもいい話を頂いたため、即座にここに文字起こししてみる。そんな長い内容でもないので、さらっとポイントだけ簡潔に。

「夜と霧」という書籍をご存知だろうか。恥ずかしながら、僕も初めて聞いた。ヴィクトール・フランクルという精神科医・心理学者が、ナチスのアウシュビッツ強制収容所での出来事を記したものらしい。歴史にも疎い僕なので、ナチスのこと、アウシュビッツ強制収容所のことも本当に詳しく知らず、、笑

簡単にまとめると、アウシュビッツ強制収容所で、ユダヤ人などが大量虐殺された。しかし、生き残る者もいた。同じ場所、同じ状況で、悲しいかな死んでいく者と、何とか耐えて生き残った者、その両者を分かつものは何だったのか、という話だ。それをヴィクトール・フランクルが間近で観察・研究し、あることにその要因を突き止めたのである。

囚人たちの生死を分かつもの。それは「誰かの為に生きようとする想い、志」だったそうだ。それがヴィクトール・フランクルが導き出した観察・研究の結論。

「自分には愛する家族がいる。恋人がいる。」、「お世話になったあの人にまだ恩返しができてない。あの人に恩返しがしたい。」、、、等々。

つまり、「自分以外の誰か」の為に生きたいという目的があるかどうかが生死を分けたというのだ。

大量虐殺という事自体は大変悲しく痛ましい歴史だと思うが、ヴィクトール・フランクルのこの研究結果は現代の僕等にも通ずるもので、極めて大切なことではないかと僕は思う。

結局人間は、「自分以外の誰かのために」という目的、想い、志がとてつもなく大きな力になるのだと思う。

「仕事・働く」の定義も全くもってそうだろう。

「他の誰かの為にすること」が仕事である。それが働くということなのである。よく「Give&Takeで言うとGiveだ」と言われるが、そういうことだ。少し逸れるが、その対価としてお金がもらえるのである。

アウシュビッツ強制収容所のこの話からも分かる通り、「誰かのために生きようとする想い、志、目的」というのは、生死を分かつほど影響の大きいものなのだ。決して大袈裟な話ではない。

生死とまでは到底いかないが、自分もそうだ。現状、営業で全然売れることができずなかなか苦しい時代を1年2年と過ごしてきているが、それでもまだ営業を辞めずに諦めずにこうやって頑張ることができているのは、

「お世話になっている営業コンサルの人に、両親に、就活時代に知り合った友人に、良い報告を届けたい。その人達のために。」

という想い、目的があるからに他ならない。これがなければとっくに営業から降りているだろう。笑

まあ自分の話はこのくらいにして。今回はこういう話だ。パーソナルミッションなんかも同じだと思うが、やはりこういった根源的な人の欲求というか目的と言うか、これがある者は強い、逆に無いと弱いのかもしれないなと感じるのである。

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