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丸山短歌賞

5月31日、20時50分。おれはゆったりした足取りでレジに並んだ。あと10分。今ならじゅうぶん、間に合う。おれは封筒を胸に抱え、笑みを浮かべた。この1年、この日のために友人の誘いを断り寝食を惜しんで歌作に没頭してきたのだ。

おれの魂でつづった50首だ。

丸山短歌賞。5月末日締め切り。今どきWEB応募は受け付けておらず、郵送のみだ。おれは31年間ずっと、毎年応募しているが、2度、1次に引っ掛かったのみだ。しかし昨年おれは、所属する短歌結社「風紋のこゑ」の新人賞で「次席」を獲ったのだ。50目前で新人賞とは片腹痛いが、長年の苦労が報われたとおれは滂沱した。

だから今年は最大のチャンスなのだ。今年から審査員に「風紋のこゑ」主宰の漆原嘉臣氏が入ることが決まっているからである。

丸山短歌賞は原稿冒頭に「作者名」を明記することとなっている。普通の文学新人賞とは異なるところだ。「作者名」が分かったうえで審査するのか?何やら奇妙な感じがするが編集部による1次選考さえ通れば。「風紋のこゑ」次席の久野隆之の名を、編集部はおさえてくれているだろう。

そして2次以降は歌人4名の審査員だけで選をされるので、おれの名は、必ず漆原氏の目に留まるであろう。漆原氏は、次席を獲ったおれの作品「木霊と舞踏」に対し懇切丁寧な評をくださった。よもや、お忘れではあるまい。

毎年おれは確認しているが各選者は自分とこの結社の応募者に〇を付けている率が高い。実力外の力に頼るのは、えげつないことである。しかしおれももう49歳。後輩にどんどん追い抜かされてゆく。2年前に入ってきた20代の阿部ヒカル子は歌集を出し、それがベストセラーになっているのだ。今度映画化もされるらしい。

しかしおれには阿部ヒカル子の歌は訳がわからない。「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長田シンクにゲロすんなゲフッ」こんな歌のどこがいいのか!? 人麻呂に詫びたまえ。おれは阿部ヒカル子の歌集をハサミで切り刻み足で踏んづけてやった。

おれだって、読売歌壇の選者になりたいのだ。「現代短歌の鑑賞101(新書館)」に名を連ねたいのだ。

おれの尊敬する歌人、故・河野裕子は「新人賞はぎりぎりまで粘らなあきません」との格言を遺している。それにしたがい、いまおれは、〇〇中央局のすぐ横のファミリーマートのイートインコーナーにいる。今日の夕方から今までずっと、歌稿の推敲をしていたのだ。不思議なもので、完璧にできたと思っても印刷すると間違いがいくつも発見される。だから、推敲しながらここのコピー機でコピーを取り、今のいままで見直しをしていたのだ。

丸山短歌賞は直筆での原稿も受け付けている。これも今どきという感じだが、応募者はおじいちゃんおばあちゃんが多いので仕方がないのだろう。このコーヒーは10杯目だ。店員にいやな顔をされているのは重々承知している。

さあ、おれの渾身の、魂の作品ができあがった。何度も見直したのに直したい箇所がどんどん出てきて、時間ぎりぎりになってしまった。すぐ横の〇〇中央局が閉まるのは21時。目覚まし時計の電池が切れていたな。買っておこう。

と、おれの前の客がカバンをごそごそし始めた。

「・・・ファミマカード・・・あれえ? どこだっけ・・・」

なにしとんあらかじめ用意しとけやボケ💢

「すみません・・・ファミマカードがちょっと・・・見当たらなくて・・・」
「いいですよ~ゆっくり探してください」

ちょw ゆっくりさすなやww💥💥

奴がファミマカードを探し出し、レジの支払いを済ませた時、ガラガラ・・・とシャッター音が聴こえた。いやな予感がする。レジ上の壁掛時計を見る。20時55分。なぜだ? おれの形相をみて店員が言った。

「すみません、この時計遅れてるんですよ~」

おれは腕時計をしない。携帯も持っていない昭和の煮しめみたいな男なので、正確な時間が分からなかったのだ。急いで列から抜け出し、ファミリーマートの外へ出た。〇〇中央局のシャッターの閉まる音であった。

「すみません! 出したい封筒があるんです、消印今日までなんです!!」

シャッターの開いた部分から顔を突き出して係員に声をかけるも「申し訳ありませ~ん、今日は営業終わりましたのでー」

おれはファミリーマートに戻り、ヤマト運輸の宅配サービスに切り替えた。丸山短歌の編集部がこれを受け付けてくれるかどうかは、分からない。



※この物語はフィクションです。実際の団体とは関係がありません。


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