代表選考会/4(短編全4回)
別室のドアが開き、覗いた顔は――千香だった。
「!!」
思わず立ち上がる。驚きで声が出ない。
「補欠の本人に直に伝えようと、斉藤さんも呼んだんだ」
千香はだまって上目遣いに沙織を睨みつけていたが、
「あのさあ。私がなんで怒ってたか分かってる? トリプルアクセル跳んだのに沙織に負けたからじゃないよ」
「千香……」
膝が震える。
「代表選考基準の第一の全日本優勝は、悔しいけど現時点では先輩方とレベルが段違いだからまず無理。次の基準のグランプリファイナルは二人とも出られなかったから、これはおあいこね。他の基準、全日本の二位三位からだけど、例え私が三位、沙織が四位でも、沙織が代表なのは火を見るより明らかだったよ。今シーズンのベストスコアは沙織が上。世界ジュニアも世界ランキングも沙織が上。どっちも僅差だけどね。そして沙織にはスポンサーがたくさん付いている」
「これはこれは。斉藤さん、選考は厳正に公平に行っていますよ」
まくし立てる千香に、佐川が肩をすくめながら口を挟む。大胆にも千香は佐川をも睨め付けながら、
「フリー、観客の反応は私の方が間違いなくよかったわ。0.21点なんてどうにでも操作できますよね。連盟は最初から芳野沙織を選ぶつもりでしたよね! ……ねえ沙織、なんでここ一番でトリプルアクセルに挑戦しなかったの。練習では跳んでたよね」
「直前まで迷ったのよ。でもコーチに言われて……」
「言い訳よね。選んだのは沙織自身よ。結局、安全策に逃げたのよ。失敗したってどうせ五輪は沙織なのに。私、失敗を怖れずトライするあんたに五輪に行って欲しかったよ」
千香の双眸が燃えている。沙織は身体全体が氷づけされたように、動けない。
「意気地なし。あんたなんか、ちょっときれいなだけの見た目だけの選手よ! そんな人に阻まれて、私は五輪出場を逃した。一生の傷よ」
ちょっときれいなだけの、見た目だけの選手……?千香、本当はそう思っていたのね。そんな陰口に打ち勝とうと、私がどれほど苦悩し、厳しい練習を積んできたと思ってるの!?
畳みかけられる残酷な言葉に凝り固まった沙織の胸奥に赤く、ちらちらとゆらめくものが生じ、急速に全身に拡がってゆく。
「……見た目がきれいで何が悪いの。千香なんか、ジャンプだけの機械人形じゃない。ステップなんかいつもドタバタしてて見ていられないってずっと思ってたわ」
言ってる途中でしまったと思うが、言葉が止まらない。私のなかにこんなに激しい感情があったなんて……!
「ふん、ついに本音を言ったわね。私、あんたのいい子ぶってるとこがずっと大嫌いだったのよ。傷つきやすい、弱いふりしてさ。本当はそこまでエグいこと言えるんじゃない」
「いい子ぶってるのは千香でしょ。全日本ジュニアでおめでとうって言ってくれたのは嘘だったのね!」
「そうよ、大嘘よ。祝う気持ちはこれっぽちも無かったわ。負けたと思ってないもの。だから、世界選手権では全世界に実力を見せつけてやるわ。今度こそ完膚なきまであんたを叩き潰してやる」
「おあいにくさま。木偶の坊のあんたなんかに負けないわ!」
炎のような千香の瞳が一瞬ゆるんだ、ような気がした。ハッとした。辞退するつもりだったのに、力強く宣言してしまった。
佐川はにこにこしながら、若い二人のやりとりを眺めている。
「さて、これから仕事だ。用は済んだよね、帰った帰った。二人とも、世界選手権がんばってね」
(完)