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代表選考会/1(短編全4回)

 名前がコールされた。沙織はコーチに背中を押され、大きく息を吐き、リンク中央へ向かう。
 ……足が震えている。深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせる。ポーズを取る。音楽が始まった。

 フィギュアスケート全日本選手権・女子フリー。今年は北京五輪代表選考会も兼ねているとあって、連日過熱気味に報道されてきた。

「アイドルの芳野沙織か、トリプルアクセルの斉藤千香か!?」

 沙織と千香は、高校二年生同士の親友だ。沙織は、所作が優雅で容姿もアイドル並みに可愛いと騒がれている。だが、ジャンプが回転不足気味で、トリプルアクセルも挑戦してはいるものの、練習での成功率は二割といったところ。試合に投入したことはない。

 対して千香はトリプルアクセルを中学二年で習得し、今や成功率は九割以上。他のジャンプも難なくこなし、動きが雑なのが残念と言われているものの、将来を期待されている逸材だ。沙織と千香をあわせたら最強なのに、と、揶揄する声もある。

 同じ試合に出る機会の多い二人はすぐに仲良くなった。ノービスとジュニアの全日本選手権の頂点を、二人で獲り合ってきた。世界ジュニア他、出る試合ごとに二人の順位はシーソーのように上下した。

 ライバルではあるが、二人の仲の良さは皆の知るところだった。遠征試合では必ず同じ部屋に泊まった。試合のあと高熱でエキシビションを棄権した沙織に、千香は、沙織の好きなスケーターのサインをもらって帰ってきてくれた。

 今期から二人ともシニアに参戦。シニアトップ二人の代表入りはほぼ確実なので、実力伯仲の沙織と千香のどちらが五輪三枠目の切符を手に入れるかと、連日世間の話題を攫っていた。

 千香は既に演技を終えている。豪快なトリプルアクセルを跳び、ほぼノーミスで終え、観客総立ち。暫定一位に躍り出た。千香の演技に顔を強張らせている沙織に、コーチが囁いた。

「欲を出しちゃダメよ。手堅くダブルアクセルでいくのよ。世界ランキングはあなたの方が上なんだから、順当にいけばあなたの勝ちよ。いいわね?」

 そう、昨期の全日本ジュニア選手権。無難にまとめた沙織が優勝で、トリプルアクセルを決めノーミスにも関わらず、千香は二位。

 絶対に絶対に優勝する! と言っていた千香。なのに、沙織の優勝が決まったとたん、駆け寄ってきた千香は自分が優勝したみたいな満面の笑顔で、

「おめでとう沙織!」

 とハグしてくれたのだ。沙織は優勝の嬉しさよりも、千香に申し訳ない気持ちで胸がつぶれそうだった。――

 ――審査員席の前を滑りぬけ、大きく弧を描き、アクセルの軌道に入る。コーチの言うようにダブルにして、ミスなく終えたら五輪切符は手に入るだろう。だけど、……大技に挑戦しない者が五輪に行って、いいの……?

 トリプルアクセル、練習では降りたことある……。迷いがどんどん大きくなる。一生で一度の五輪かもしれないのよ。どうしよう、どうしよう。心の整理がつかぬまま、足を踏み切った。――


(続く)

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