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教師・鹿島律子/短編

今まで多くの女と付き合い、捨ててきたけれど、おれのただひとりの女は、生涯かけて鹿島律子しかいない。

鹿島律子は、大学を出て間もない新米教師だった。もしかすると正規の教師ではなく、今でいう非常勤講師のような立場だったかもしれない。

彼女との出会いは、34年前にさかのぼる。
おれが小学校5年生だった6月1日のことだ。


「鹿島律子といいます。3月まで、このクラスを担当します。みなさん、よろしくね」

病気で緊急入院した田中先生の代わりにきた、新しい先生。
僕たちは色めき立った。
すらっとした形のよい脚、黒いストレートの、肩までの髪。
白くて小さな顔にのったメガネの奥の、アーモンド系の瞳。

――美人だ!

僕はそれまで、メガネの女は全員ブスという偏見を持っていた。すまん、子供の言うことなので許してくれ。今でこそ、メガネ美人の存在は重々認識している。

実際僕の周りのメガネ女性がブスばっかりだったし、一番身近なメガネ女の田中先生が、メガネデブスだったから。ところが鹿島先生は、例えていえば、そう、――アラレちゃんを大人にした感じ。アラレちゃんって、美人だろう?

「わたし実は、クラスを受け持つのは初めてなの。だからみんなに色々聞くし、失敗もするかもしれないけど、がんばります」

先生のくせに頼りない、という向きもあろうが、なんて謙虚な人なんだ! と、僕たちは子供心に好感をもった。

鹿島先生は、田中先生と、なにもかもが違っていた。まず見た目が違うし、田中先生のように子供の事情を考えず上から目線で怒鳴りつけたりしない。

クラスのガキ大将の服部くんは、前の席の子が授業で当てられ、座るとき、イスを後ろに引いてその子を転ばして遊ぶ。授業中に騒いだり、ドアの上に黒板消しを挟んで田中先生に命中させるのはもちろん。クラスで飼っていた金魚の水槽にカメを入れて金魚を全滅させたり。授業中に突然教室を飛び出して、野良犬を連れてきたり。この僕も、牛乳を飲んでる最中にしょっちゅうコチョコチョされて、牛乳を吹き出してしまい困っていた。

でもみんな、わかっていた。服部くんはお父さんとお母さんが離婚して、お父さんと2人暮らし。お父さんは仕事がとても忙しい。寂しくて、みんなの気を引きたくて、いたずらするんだってことに。

服部くんがいたずらをするたびに、田中先生は服部くんを教壇に立たせて小突いたり、1時間ほども説教する。だけど服部くんは絶対に泣かないし、いたずらをやめない。

ある日、いつものように服部くんを教壇に立たせて説教していた田中先生が言った。

「あんたのお父さん、この前の面談のとき、泣きながら土下座したのよ。息子がいつも悪さしてすみませんって」

みるみる服部くんの顔が真っ赤になり、涙があふれた。服部くんが泣くのを初めて見た。

このとき、僕は初めて人に対して殺意を持った。

この僕も、メガネデブス田中に嫌な思い出があった。
田中先生は5年生の始業式のあと、「富士山登山」と命名したレクレーションを僕たちに強要した。これはつまり、1年間で校庭の「棒登り」を1000回しましょう、というもの。小さなマス目を1000個積み上げて富士山の形にし、1回登るごとにマス目をひとつ塗る。1000回登ったら富士山が浮かびあがる、というわけだ。

恥ずかしながら運動音痴の僕は、棒登りができなかった。それを申告するのは嫌だった。だから、マス目の印刷されたプリント用紙をどこかにうっちゃって、何もしないでいた。

明日からGWという日のホームルームで、突然田中先生が言った。

「みんな、富士山登山はどこまで進んだ? プリントを回収します」

僕は手を挙げ、プリントを失くしてしまって進んでいませんと言った。すると先生は、

「なぜっなぜ今まで黙っていたの! どうしてみんなで決めたことを、守れないの!」

と、ねちねち怒り出した。20分の説教が終わるまで、ずっと僕は立っていた。

みんなで決めたんじゃない、あんたが勝手に決めたことじゃないか。こんなやつがいま、地元の名士扱いになっているのだから、世の中狂ってると思う。

現実はこうなのに、僕たちの親ときたら、「教師生活30年のベテラン」「学年主任もしている」というだけで信用してしまい、「今年は田中先生が受け持ちなのね、安心だわ」とか言ったりする。マジで、ケッと思っていた。教師経験が長いからという理由で、よい先生と思わないでほしい。

あくまで僕の考えだが、よい先生の条件とは、はっきりいって頭の良し悪しはあまり関係ない。子供がどうしてほしいか気持ちを察することができるか否か。もちろん、子供が悪いことをしたときはちゃんと叱らなければいけないが、子供にだって自尊心はある。子供の自尊心を守りつつ、納得させられるかどうか。

現に鹿島先生は、授業中によくつっかえて、「ごめんなさい。ここはちょっとあやふやなので、今度までに調べてくるね」とか言ったりする。頼りない、と怒る親御さんもあろうが、僕は勉強なんかどうでもよかったので全然平気だった。

僕は、鹿島先生におそるおそる、富士山登山は全くやってないし、やりたくないと言った。

「棒登り、私も出来ないの。やらなくていいよ」
「えっいいの? 田中先生が戻ってきたら、怒られない?」
「棒登りの出来ない子は別の事してましたって言えばいいわ。野村くんは、何が得意?」
「絵を描くのが好き・・・ヘタだけど」
「じゃあ、野村くんは絵を100枚、描くことにしよう。田中先生には私が許可したって、伝えてあげる。・・・100枚は、多いかなあ?」
「先生、ありがとう! だいじょうぶ、100枚、描くよ!」

世界がバラ色に代わるって、こういうことを言うんだろう。鹿島先生は、ほかの棒登りが苦手な子にもアンケートを取り、その子の得意なことをさせることで、棒登りを「免除」した。僕は学校へ行くのががぜん、楽しくなった。

その当時、小学校には清潔検査というものがあった。ハンカチやティッシュを持ってきているか、爪は短く切っているかを毎週、各クラスの清潔委員がクラスの全員をチェックし、学年ごとに集計するのである。そして、結果の良かったクラスを学年ごとに1位から3位まで、毎週金曜日の給食時間の校内放送で発表する慣習になっていた。

これに、鹿島先生は超ステキな提案をしたのである。

「うちのクラスが1位になったら、翌週は宿題を無しにしまーす!」

僕たちは沸き立った。一致団結し、清潔検査の前日には「ハンカチ、ティッシュ、爪切り!」と忘れないように唱和し3月の終業式、つまり鹿島先生が学校を去るまでずっと、学年1位を保ったのである。

なんというか、鹿島先生は、僕たち子供と同じようにものを見、考えているところがあった。新米教師で不慣れなため、まずは子供に合わせようと考えたのかもしれないが、それよりも多分に彼女の性格によるものだろう。

こんなことしたら楽しいだろうな。みんな喜んでくれるかな。いつもそう考えていて、実行に移してくれる。その内容が、田中先生みたいに押し付けじゃなくて、実際に僕たちがしてほしいことと合致しているんだ。

先生だけど、僕たちと同じ子供のような、まさに夢のような理想の先生。

もちろんクラスには、団結とか賑やかなのが苦手な大人しい子もいた。鹿島先生はそういう子の長所を見つけて、何かとほめたりしていた。僕だったら絵というように。今振り返ると、その子たちがクラスで浮かないように配慮していたのだと思う。

一方、鹿島先生には、本当に学校の先生? と首をかしげてしまうところもあった。たとえば服部くんに、「いま流行ってる遊びってなに? 先生もまぜてー」と言ったりするもんだから、学校に持ってきちゃいけないと言われているアニメのキャラクターのシールを先生にあげたりして、服部のやつ、いいなあと僕は遠くから見てた。鹿島先生が来てから、服部くんは変ないたずらをしなくなった。

それから、鹿島先生は、自分が美人であることをじゅうぶん認識していた。と思う。あるときのテストでこう言った。

「早く終わったら、裏に先生の似顔絵を描いてね」

自分の似顔絵を描いてくれなんて、顔に自信のあるやつが言うことだろう。
先生は、自分が美人なのをちゃんと分かっているんだな。でも、美人なのは事実だもの。まったく嫌な気がしない。先生、おちゃめだな。

僕はテストの見直しなんかせず、紙をひっくり返し、先生をマンガのヒロインのように思いっきり可愛く、丁寧に描き上げた。赤鉛筆でくちびるに色を付けて、ほっぺたも赤できれいにぼかして。

僕は毎日、鹿島先生の似顔絵を描いていたんだもの。先生に提出する絵だって、先生の似顔絵ばっかりだった。

返ってきたテストは100点満点、大きな花丸も付けられていた。「よく描けました」の先生の赤ペン入りで。
間違った答えいっぱいあるのに? いいのか???


鹿島律子、最高にいい女だ。


そうして、3月の終業式が来た。鹿島先生最後の勤務日だ。
その日すべての授業が終わり、先生が挨拶をした。

「短い間でしたが、みんなと一緒に過ごせてとても楽しい10ヶ月でした。至らないところもたくさんあったと思いますが、みんなに助けられて私自身も成長できたのを感じています。田中先生が戻ってこられても、清潔検査、1位を守ってね!」

学級委員が花束と寄せ書きを先生に渡した。みんな先生に集まって、女子なんかは自分で用意したプレゼントを手渡す者もいた。そして、みんなで写真を撮り合った。

その最中、服部くんと目が合った。僕は服部くんに近づいた。

「田中先生、戻ってくるんだね。嫌だね」
「ほんとだ。田中のやつ、死んだらよかったのに」

クラス替えは2年交代なので、6年の担任は田中先生と決まっている。僕たちは目くばせあい、校長室へ向かった。

「校長先生、お願いです。鹿島先生を辞めさせないで下さい!」

僕たちは校長先生に頭を下げ、必死で頼み込んだ。田中先生がどんなにひどい教師であるか、鹿島先生がどんなに素晴らしい教師であるか、こと細かく実情を述べ立てた。校長先生は困った顔をして、

「君たちの気持ちはわかるがねえ。実は、鹿島先生に口止めされているんだけど、6月に結婚されるんだ」

「・・・・・・」

「相手の方が、仕事はやめてほしいと望まれているので、こちらとしても引き止めできないんだよ。私としても、鹿島先生には残ってほしいんだけどね」

みんなに気を遣わせるから言わないでほしいとの鹿島先生のお願いなので、絶対に口外しないように、とも言い添えた。

校長室に入ったときの勢いは消し飛んだ。
僕たちは肩を落とし、校長室を出た。
だまったまま廊下を歩き、つきあたりの窓際に佇んだ。

前かごに花束やプレゼントを載せた自転車に乗って、鹿島先生が校門を出ていこうとするのが窓から見えた。

僕は走り出した。廊下を走り、階段を駆け下りた。
服部くんが後を追ってきた。

「おまえ、抜け駆けすんなよっ」

服部くんの方が圧倒的に足が速い。彼が僕を追い抜かそうとするそのとき、僕はとっさに服部くんの足を引っかけた。階段の5段目から派手にずっこける服部くん。

「野村あ! なにすんだあ」

服部くんの喚きを尻目に、僕は校舎を出て、鹿島先生めがけて走った。

「先生っ、先生い――――!」

走りながら涙があふれでた。

「先生っ、好きだあっ! 行かないで――――ッ!」

僕が追ってくるのに気付いた先生は、門のところで自転車を止め、振り返った。先生に追いつき、息も絶え絶えになりながら僕は声を絞り出した。

「先生、・・・ひっく、ひっく・・・校長先生にも辞めさせないでって頼んだけど、無理だった・・・でも、行かないで・・・」

「しょうがないのよ。3月までって、最初から決まっていたもの」

「僕、先生が好きだ。先生、結婚なんかやめて」

鹿島先生は驚いた表情を一瞬したが、

「ありがとう。でも、だめなのよ」

「なにがだめなんだ、僕だったら仕事やめさせたりしない、そんなやつと結婚しないで」

「私も本当はやめたくないんだけど、でも、・・・だめなのよ」

先生のちょっとはにかんだ表情は、笑っているのか、泣いているのか、よくわからない。

花壇にチューリップが咲いていた。僕はとっさに赤、白、黄色のそれを10本ばかり折りとった。あっと小さく叫んだが、先生は止めなかった。僕はチューリップを先生の胸に押し付けた。

「僕、先生が来てくれて、学校に行くのが毎日楽しかったよ。先生、僕のこと、忘れないで・・・」
「もちろんよ。ずっと忘れないわ」

先生は僕の頭を撫で、それから、僕の腰に手をまわし、ぎゅっと抱きしめた。僕は驚いてかたまった。先生がこんなことをしていいの? と思ったが、なすがままにされていた。僕はチューリップの間の、先生の胸のふくらみに思いきり顔を押しつけた。先生の身体は、チューリップじゃない、いい匂いがした。

服部くんがやっと追いついてきて、啞然として、僕たちの抱擁をずっと眺めていた。


あれから34年が過ぎた。服部は消防団の団長になり、嫁と子供がふたり。
最近、なにかの表彰で地元の新聞に載ったらしい。

服部が音頭をとって5年3組の同窓会を企画したが、鹿島先生の居場所は掴めなかったと聞いた。もっとも、鹿島先生が来たとしても、おれは同窓会に行く気はない。中学に上がってから徐々に裏街道に逸れ、世間さまに顔向けできない仕事に手を染めている今のおれの姿を彼女に見せたくないから。

おれはいま、この狭い、きたない部屋で女に別れを告げたばかりだ。
今のおれには、あの頃の純粋な気持ちはとうにないし、持ちたくもない。
あの美しい鹿島律子と、小さなおれとが、永遠に残っていればそれでいい。





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