雑感62:21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ

IT以後の世界を熟知する著者が挑む、
新時代の自由論!

日本にはリベラルや保守がそもそも存在するのか? ヨーロッパの普遍主義も終わりを迎えているのではないか? 未来への移行期に必須の「優しいリアリズム」とは何か?――「政治哲学」不在の日本、混迷を極めるヨーロッパ、ネットワーク化された世界に生まれた共同体の姿を描き、「非自由」で幸せな在り方を考える。ネットの議論を牽引する著者が挑む新境地!

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世間的にとっつきにくい分野なのかもしれないが、筆者のタッチが軽快だからか、すごいスラスラと読める。面白い自由論だった。2015年の本ですが、個人的には、色褪せた感じはしません。

本書の前半は日本やヨーロッパの思想・哲学を俯瞰しながら、日本のリベラルって何なの?どういう経緯なの?とか、保守主義って何なの?というの分かりやすく解説していただいており大変勉強になった。

もはや、体制を批判することが是となっている思想に「リベラル」というアイデンティティを与えてしまった時代そのものが今となっては混乱の原因なのではないかと感じる。日本でリベラルが叩かれがちな背景が分かったような気がした。

保守主義についても。保守主義とは、人間は万能ではなく、世の中を人間が勝手に設計できるようなものではないとする。過去に紡いできたものから学ぶこと。日本で育つと(?)「古き良き日本国が好きな人」みたいな印象を持ちがちだが、これもまた保守を「国」と切り分けて説明してくれた点で、非常に学びになった。

ヨーロッパ普遍主義盛衰のくだりは、先日読んだサピエンス全史とも繋がる。普遍主義は、科学の発展(産業革命)とヨーロッパ的な資本主義の前提の上で成り立っていた点で、そして他大陸の支配の自己正当化の道具になっていた点で、そもそも思想として破綻しており「普遍」ではなかったのではないか・・・、とか。
この見方は、昨今のウクライナ侵攻のプーチンの価値観と遠いところで繋がっているのだろうか。

話がころころ変わるが、アメリカで保守主義というと、1800年代の開拓の志を指す場合もあるというようなこともどこかで書かれていたと思うが、今更だが思想は絶対的ではなく、相対的。思想と思想の関係性というか、歴史というか、経緯というか・・・、で決まってくるものなのだろう。それぞれの思想に共通項もあり、混ざり合い、刺激を与えながら共存していく。

特定の思想の存在は、対となる思想の存在があってこそなのだろう。
敵となる思想の存在が、自身の思想の存在を確かなものにする。
どれもこれも人間が勝手に作り出したものだけど。

ここで書いたようなことが、本書後半のキーワードである「ネットワーク共同体」の主題なのかもしれない。違ったらごめんなさい。

もともと、科学が発展しなかったら一生知り合うことがなかったような人同士が繋がってしまう(繋がることができる)現代。内と外の明確な基準のない、色々な価値観が混ざり合う、例えばSNSのようなネットワーク上の共同体思想、新たなコミュニタリアニズムが、現代を生きる(というか漂流する)活路なのではないかと。

そんな気もする。そんな気もするのだが、SNSに漂流している私が見るSNSの社会は、今日も絶えず思想と思想が激しくぶつかり合っているし、サイバー空間だから国境こそないが、そこには何か明確な境界を感じる。サイバー空間上に自分の価値観しか許容しない島を築いている人もいるように思う。一種の鎖国か。タコツボ日本人だからこそのSNS活用方法なのだろうか。
むしろ、現実空間では知り合うことがなかった人同士が知り合うことで余計に境界の存在を自覚してしまうようなこともあるのではないか。

筆者の考えを否定する気もないし、以上の論法では否定できていないのだろうけど、ネットワーク共同体は筆者の示す希望を持っていい側面と、上で書いたような危険性とを内包している新たなコミュニティなのだろう。

そういう意味では、筆者の期待の通りにネットワーク共同体が機能するには、参加者のリテラシーというか、寛容性というか、なんだかそういうものが求められている気がして、・・・というか最貧国の人はまだまだSNSに参加できていないだろうし、そこに到達するためには何らかの普遍的な人間像のようなものもあるのか?とか考え出すと収拾がつかなくなるので、終わります。

今年ももうすぐ終わりますね。


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