背景を知ること
AKIRAです。
今回は、いつもより一般的な話を記事にしたいと思います。
歴史を知らないことの危うさ
私自身、理系として日々を過ごし、大学に行って果ては大学院で勉強して……と十分な勉学の機会を親に与えられてきて、今では感謝するほかない。そう思っています。
しかし、それでも今私は、もう少し歴史をしっかりと勉強しておくべきだったのではないかと思わざるを得ません。
それは何より、人間が開発してきた技術が人類にもたらした益を理解することと同時に、損害や事故、人災をも引き起こしたことを知らないで開発や研究の立場に立つことの危うさを我々は理解する必要があるのです。
産業革命以降、当時のイギリスを襲ったのは大規模な大気汚染でした。これと同時に蒸気機関が人々の重工業や運送業を支えたことは言うまでもありません。しかし、大気汚染をはじめとした環境汚染の公害はイギリスに限った話ではなく、日本においても水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくなどの公害病を引き起こしました。
これは、今の時代でも無視していいことではありません。
遺伝子の世界は生物の概念にとどまらず
人間の病気を治すという概念は、今ではもう最先端の技術ではありません。もちろんiPS細胞をはじめとした再生医療は今でも最先端技術の前線を走っていることは事実ではありますし、これはまだ治療の概念の範疇です。
しかし、それ以上に遺伝子治療の時代に世界が片足を突っ込みつつあるのです。
ただ、すごく私が心配なのは、この遺伝子治療の概念が拡大解釈されてしまった時です。そもそも今の技術をもってしてもクローン人間なんて作れませんし、もっと言えばクローンという概念は研究の世界から外に出ることはありません。遺伝子治療は技術化するにはまだまだ未熟。気が遠くなるほどのトライアンドエラーを繰り返して、世に出すまでに開発の第一人者がこの世を去ってしまうほどの時間と労力と資金がかかるでしょう。
何ならリスクの大きさを理由に世に出ない、なんてことも起こりうる話です。
しかし、現代においてはその片鱗が無理やり外に出かかってしまいました。
言うまでもなくワクチンのことです。
遺伝子の世界は生物学の最先端であると同時に、情報学においてもホットな市場でもあります。今は我々のだれもが気づいていないのかそれとも気づかないふりをしているのか、専門外の世界に少しだけはみ出しかかっている段階にあるのです。生命情報学と呼ばれる専門の世界は、細胞生物学的な実験をしている人間にとってはほとんど別の市場です。畑が違うレベルで。
それこそ、お隣さんの畑に遊びに行って、「今どんなことやってんの?」と話をするレベルのことはできるでしょうが、そうはいっても他人の畑。
ある種、新規の専門的概念といっていいかもしれません。
だから間違うこともある
情報屋さんからすれば、生物の世界は自分が持たない別の畑。
生物屋さんからすれば、情報の世界は自分が持たない別の畑。
この二人が協力して何か新しいものを生み出そうとしたとき。新しいものは間違いなく生まれるでしょうが、一方で何が生まれるのかをお互いが分かっていないことがあります。
だから、セーフティが効かないこともある。場合によってはそれがとんでもない大災害を生み出してしまうこともある。
しかし本来、セーフティはそういった万が一のことが起こることも加味したうえで機能していなければならないシステムだと私は思うのです。
事故が起こるのであれば防がなければならない。それが起こってからでは遅いからです。
生命科学はすでに従来の世界の「枠」を飛び越えて拡大している
開発、イノベーション。
進歩のなくなった世界は緩やかに後退していく。
それはごもっとも。しかし、逆にブレーキの利かなくなったアクセルのみの車に乗れば事故にあうこともこれまた道理。
業界を動かすのはあくまでも人間であり、どんな技術、どんな機械であっても操縦・利用するのは人間なのです。
間違いが起これば事故になるし、災害が起こる。人が起こす災害を一般的には人災と呼びます。
そう言えるだけの被害をここ数年、我々は理不尽に被ってきました。
そして、今。我々はここ数年の結果から何かを学んできましたでしょうか?
「どんどん進め」
そんな戦時の標語みたいなマインドで前だけ見る姿勢をずっとし続けていないでしょうか。
すでに歯止めが利かないほど世界が拡大してしまっている。
自覚がないまま盲目に前に進むだけのロボットになってしまっている。
今の世界を見るとそういう不安を覚えて仕方がありません。
それを歴史は証明している
日本が戦争に負けてしまった理由は何でしょう?
→引き際を見極めなかったから。
ナポレオンが現ロシア領を征服できなかった理由は?
→シベリアの寒さを知らなかったから。
どうですか?
結局、どんな国や人物であっても、失敗するだけの理由とその結果に因果関係が伴っているのです。歴史は当たり前のように我々に証明しているのです。
都がおかれる場所は基本的に災害が少ない地域ですし、山に囲まれた場所に作るのは敵からの侵攻を受けにくい立地だから。
そうやって人間は知恵を絞って生き抜いてきたのです。
その知恵を絞った結果が間違った方向に向かうから、自然は「間違ってるよ」と教えてくれる。それを人間目線で見たときにそれが歴史になるだけの話です。
しかし、歴史を知らなければそれを理解する機会すら得ることができません。
「先生!どうして歴史を勉強するの?」
「それはね、過去の人たちの失敗を学んで自分がどうすればいいのかを考えるためだよ」
DNAの歴史
メンデルの法則が1865年。
そこから35年の月日がたって、1900年でようやく遺伝学の概念が受け入れられ。
そもそもDNA自体の発見は、ミーシャによって1869年に論文という形で提出され、2年という月日をかけてその存在の正当性を確かめられた。つまり、実際に認められたのは1871年です。
肺炎双球菌のR型菌に死んだS型菌を混ぜるとRがSになる形質転換という現象をグリフィスが同定したのが1928年。その原因がDNAによるものであると同定したのがエイブリー。1944年のことです。
その後、DNAの構造について初めて論文を出したのがシャルガフ。AとT、GとCの塩基の量が同じであることを突き止めた(1950年)。
そして、1953年にようやくワトソンとクリックによってDNAの構造についての論文が出されるようになったのです。
この意味、お判りでしょうか。
そう、DNAが遺伝物質であり、それの概念が実際に世に出るまでに1世紀近くの時間と何十何百の人間の労力がかかっているのです。
もちろん、過去の技術力の影響もあるためにこれだけの期間がかかっていると言えなくもないですが、DNAの存在一つの証明をとっても実際の論文提出から数年の時が必要になるのです。
DNAは生命科学研究者が当たり前のように扱うサンプルの一つですが、その歴を一体どれだけの研究者が心にとどめているのか、という話です。
これだけでも研究に必要な時間・労力・資源が膨大になるかは容易に理解できるものです。
じゃあ、今は?
ここまで語ればもう皆まで言わずとも、というやつですね。
私が言いたいことも、ほとんどの方であればわかっていただけているものと信じています。
……ああ、そう言えば、画期的な論文の提出からわずか数年で実用に踏み込んだ節操のない技術がありましたね。
愚かの極、ですね。
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