自己紹介
こんにちは。上山 央(かみやま あきら)と申します。
これからテーマを「自己変革」に置いて、思うことや役に立ちそうなことを色々シェアできればと思います。
と、その前に。
自己変革とかゆうて、お前何者なん
ってならないように、自己紹介を最初にさせていただければと思います。
長くなりますが、お付き合いください。
1.原体験から今の性格
2.職歴
1.原体験からの今の性格
僕には人格形成の重要なポイントになる原体験が3つあります。
過去にあった出来事から、僕の性格や考え方をご紹介します。
原体験①「親父が現代版 星一徹だった」
僕は幼少期からずっとサッカーをやってきたのですが、幼少期~中学3年生までの期間、クラブチームや部活動に加えて、親父の鬼のような特訓を受けていました。
内容は今思い返してもすさまじいもので、
・鉄棒飛び越え100回
・坂道200mダッシュ 力尽きるまで
・リフティング100回できないとケツバット(※その辺の落ちてる木の棒で・・・)
などなど、数えきれない、もはやサッカーとは関係ない特訓を、
休みなく、受けてきました。。。思い出すだけで息切れします。
土日に休みはなく、学校以外で友達と初めて遊んだのは15歳の時でした。
幼少期からそんな環境が当たり前で育ってきたのにも関わらず、
サッカーの実力はというとずっと中の上クラスで、伸びませんでした。
正しい教育っていったいなんだ
と教育に興味を持つようになった強烈な原体験でした。
余談ですが、強烈な特訓の結果、僕ら兄弟の赤血球の数は激減し、
中3の時に気づいた時には、ヘモグロビン値数は一般男性の半分しかなく、
1か月毎日点滴を受ける羽目になりました。。。
※激しすぎるトレーニングは赤血球が潰れてしまいますのでお気を付けください
原体験②「超ネガティブ人間からポジティブ人間に」
僕はよく周りの人からはポジティブとみられることが多いです。
ですが、実は大学3年生くらいまでは超がつくほどネガティブでした。
何をするにしても、
「こうなったらどうしよう」
「こんなんできるわけない」
「やっても無駄でしょ」
と自分に自信がなく、周りの顔色ばかりを伺って生きてきました。
そんな時、大学のサッカー部の先輩に「死ねよ、サッカーやめろ」と言われ、その先輩はきっと何の気なしに言ったんだと思いますが、
当時の僕は非常にショックを受け、正直、自殺の仕方、、なんてワードでネット検索をしたりもしてました。
でも自殺なんてできるわけもなく、そうなると
何で自分ってこんなに弱いんだ、何で何もかも上手くいかなんだ
って、相当思い詰めてました。
そんなある日、何の気なしにテレビを見ていると、ある番組の企画で、
脳科学者の茂木さんに悩みを相談する。というのがありました。
記憶が正しければAKBの北原さんが、
「ネガティブな自分を変えて、自信をつけたい」
という悩みを相談してました。
茂木さんはポジティブになるには、
「脳みそにポジティブを無理やり刷り込んで、成功体験をする。そうすると、脳からドーパミンがでて自信がつくんです」
とおっしゃっていたことを記憶しています。※表現は違うかも
そこでぼくは、当時デコログのアカウントがあったので、
「ポジ山(※ポジティブ上山の略)ブログ」をつけることにしました。
その日起きたネガティブな出来事を無理やりポジティブに変換して日記を書くんです。
例)「サッカーでミスした、ラッキー!次は同じミスしないで済む。」
最初は本当に苦痛でしたが、1か月もすると、
普段の私生活や部活動でも、自然とポジティブな思考がでてくるようになりました。それから、僕の人生は少しだけ明るくなりました。
人は変わることができる。それも些細なきっかけで。
と体験した強烈な原体験です。
原体験③「転職活動、その日受けて、その日内定事件」
私は恥ずかしながら1社目を辞めた時は「やってられるか!」っていう理由で退職を決意しました。ネガティブです。健全ではないです。
そして転職活動をしているときに、とあるベンチャー企業の、
企業説明を聞きに東京へ行きました。面接は1次面接のみ。ということだったので、気軽に訪問してみたら、なんといきなり社長が出てきました。
そして、決断は早くしなさい。今ここで内定承諾書を書いて、という運びになったのです。
僕は、やっている内容は面白そうだったし、まあいっか、と思ってました。
ですがちょっと怖くなったのでトイレに行きますと言い、速攻で兄に電話。
兄には開口一番、
「お前また同じこと繰り返すのか!しっかり考えろよ!」
と怒鳴られてしまいました。
自分の考えの浅はかさ、軽はずみな判断を恥じました。
僕は内定をその場で断り、転職活動をいったん、すべて白紙にしました。
そして、とことん自分にとっての仕事って何だろう。と考えて考えて考えることにしました。
それでも答えは出せず、そんなある日、当時の上司から、
「雨が降っても自己責任」
という言葉をもらいました。これは松下幸之助さんの名言です。
天地がひっくりかえりました。
これまでは自分にできない仕事があったとき、
お客様からクレームがきたとき、
自分がミスをしてしまったとき、
無意識のうちに人のせいや会社のせいにしていたのではないか。
「人のせいにするな」なんて、ずっと知っていた考えだったけど、
天災でさえも自己責任にすることはできていただろうか。
それから僕の座右の銘は「雨が降っても自己責任」になりました。
それからというもの、これまで人のせいや他人のせいにしていたことも、
すべて自分の責任だと思って仕事をしていると、
不思議なことに仕事が楽しくなってきたんです。
仕事って自分の力でこんなに変えれるんだ。
って思えるようになりました。
※本当の意味で自己責任にすると、逆に他人に感謝する心がでてきたことにも驚きました
すでにその時には1社目に退職することを告げていたため、
転職活動では、自分はどんな職種でもどんな仕事でもできる。だったら身に着けたいことをやろうと思い、新規開拓営業をしたかったため、
大手インターネット求人会社を受け、見事合格し、1回目の転職が終了しました。
究極の自己責任は、価値観を180度変える。
ということを身体で学んだ原体験です。
2.職歴
上の部分、だいぶ熱が入ったため、長文になってしまった。
でも大事な部分だから、削減できませんです。ここからは流します。
1社目は派遣コーディネーター、キャリアアドバイザーとして従事。
特にキャリアアドバイザーでは、本当に求めている仕事を一緒に探すこと。一緒に決心していくこと。が非常にやりがいでした。大阪と広島で勤務をしています。
※ただ忘れん坊の僕には書類整理や契約書関連は血反吐がでるほど苦手でした
2社目は大手求人広告会社で、転職サイトの新規法人開拓営業をしました。
ちょっとした自慢ですが、新規開拓社数で全国トップを取ったり、キャリア新人賞で受賞をしたり、1年4か月で課長昇進できたりと、結果を残すことができました。
それも、1社目の時の転職活動でのマインドチェンジ(原体験③)が大きく活きたんだと思います。
そして2018年11月からまだ社員数20名のベンチャー企業で、
組織強化コンサルタントとして、「研修」や「社内調査」を通じて、組織や人材を変革するお仕事をしています。
長くなりました。
こんな今。です。少しは僕の人となりをわかってもらえたとおもいます。
人は変れる。
そんな価値観を1名でも多くの人に届けたいと思っています。
ご清聴ありがとうございました。(司会者か)
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