見出し画像

連載「カナルタ コトハジメ」#6 自然ってなんだ?土地ってなんだ?根源的な問いと向き合う

*2021年10月2日(土)より全国のミニシアターで劇場公開されるドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』。僕自身がひとりでアマゾン熱帯雨林に飛び込み、かつて「首狩り族」として恐れられていたシュアール族と呼ばれる人々の村に1年間住み込んで撮った映画です。この連載では、『カナルタ』をより深く味わってもらえるように、自分の言葉でこの映画にまつわる様々なエピソードや製作の裏側にあるアイデアなどを綴っていきます*

_______________________________

前回記事:https://note.com/akimiota/n/na12db9a63e98

3.11による言い尽くしがたい一連の出来事によって、僕の意識は劇的に変わった。もちろん、震災による死者や行方不明者、動物なども含めて失われた多くの命、残された人々の痛み、汚染された土地への祈りにも似た感情が、あった。しかし、それと同じかそれ以上の割合で、僕には大きな怒りの感情も渦巻いていた。原発事故が起きたことをしばらく隠蔽し、それが明らかになったあとも「ただちに人体に影響はない」の文言を繰り返し、放出された放射能がどのように分散していったのかのトレーシングすら、技術的には十分可能だったはずなのに行わなかった政府。そして、責任逃れの発言ばかりに終始する東電に対してだ。このようなことが起きるリスクがあることを知っていながら、そもそも原発というものを建て、維持してきた前世代の大人たちにも。そしてそういう人たちに限って「放射能は危なくないし、原発はこれからも必要だ」と簡単に言い放つことに対して、「俺たち若い世代は、これをずっと背負っていかないといけない。子供も今後生まれるかもしれない。そのことをわかっているのか」と、悔しさにも似た憤りを感じていた。すでに少子化によって若い世代の声が表に出にくくなっていた日本で、この期に及んで上の世代からこんな適当なことを言われないといけないのか、と思った。

ここから先は

3,230字 / 2画像
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?