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連載「カナルタ コトハジメ」#5 3.11で、僕にとっての世界は粉々に砕け散った

*2021年10月2日(土)より全国のミニシアターで劇場公開されるドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』。僕自身がひとりでアマゾン熱帯雨林に飛び込み、かつて「首狩り族」として恐れられていたシュアール族と呼ばれる人々の村に1年間住み込んで撮った映画です。この連載では、『カナルタ』をより深く味わってもらえるように、自分の言葉でこの映画にまつわる様々なエピソードや製作の裏側にあるアイデアなどを綴っていきます*

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前回記事:https://note.com/akimiota/n/nfa7221acf992

僕がパリに交換留学していたのは、2010年夏から2011年夏にかけての1年間だった。この間に起きたことの中で、どうしても触れておかないといけないことがある。2011年3月11日だ。

あの日、僕は学生寮で少し遅めに目を覚ました。起きて顔を洗い、朝食を取るか取らないか迷っている間に、とりあえず携帯を一瞥した。「スマホ以前」の当時、僕はショップで一番安かったNOKIA製の小型携帯を使っていた。そこには、普段にしては珍しく5件くらいのメッセージが届いていた。「なんだ、変だな?」と思いつつメッセージを読むと、仲の良かったフランス人の友達から「おはよう!日本で地震があったらしいけど、大丈夫か?」と書いてあった。正直、そのときは笑ってしまった。「なんだよ、そんなことか。心配してくれるなんて、こいついいやつだな」と思った。とりあえず返信せずに次のメッセージに移ると、僕が当時恋をしていて、のちにお付き合いすることになる女の子からだった。「アキミ、元気?日本で地震があったみたいだけど、あなたの友達や家族は大丈夫?」と書いてあった。まただ。最初のメッセージをくれた友達にはまだ返事をしていなかったが、その女の子に僕はすぐ返事を返した。「エミリー(仮名)、おはよう!日本では地震なんてよくあることだよ、心配しなくて大丈夫!」と返した。すぐに返事が返ってきて、「でもかなり大きいらしいよ」とあった。それでも僕は全然心配していなかった。当時、震度6弱くらいの地震は日本でそれほど珍しくなく、もちろんその度に被災した方々がいることも、ときには数名の死者が出てしまっていたことも知っていたけれど、自分の直接の友達や家族がそれに巻き込まれることは想像しがたかった。それがそのときの僕の嘘偽りない正直な反応だった。

2011年は、今ほどWi-Fi環境が整っていなかった。僕の寮にはWi-Fiそのものがなかったし、用意されていたLANケーブルもとにかく遅かったので、僕は情報を確かめることをせずに寮を出て大学に向かった。スマホもなかったので、携帯で調べることも当然できなかった。大学に着いて社会学の講義を受けたあと、校舎の横にあった行きつけのパン屋でバゲットを買いに行こうかと思いながら敷地内を歩いていたときだった。誰かに腕をガッと掴まれた。驚いて振り返ると、その日の朝最初にメッセージをくれていた友達だった。「日本がマジでヤバイことになってるぞ」と言ってきた。顔つきも、かなり心配そうではあった。「そんなに?」と僕が答えると、「うん。とにかく、パソコン室に行って一緒にニュースを見よう」と言う。パソコン室に着き、ルモンド紙だかフィガロ紙だか忘れたけれどフランス語のニュースサイトに飛んだ(大学のパソコンでは日本語が打てない)。すると、目を疑うような光景がそこにあった。

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