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コロナ時間、コロナ哀歌

フィンランド語で時間を表す言葉にaika という単語があります。発音はそのまま、「あいか」です。あいかという言葉は響きがやさしく素敵だな、と思います。

昨年秋からのフィンランドの学生生活一年目。春になり、さあ、あと夏休みまでもう一息というときに、コロナ時間=Korona aika「コロナ・アイカ」に突入しました。私にとってはコロナ哀歌です。

2020年3月13日金曜日。私はヘルシンキにライブを聞きに行くため電車に乗るつもりでした。前前夜くらいから、ライブが中止になるかもしれない、という話が届いており、「前夜」にチケット販売会社から、中止決定のメールが届きました。この時点で「政府は50人以上が集まる会を禁止した」と記憶しています。続いてライブ会場からも正式な発表があり、9月に移行する予定、とありました。(決定が早い!)

旅行当日の13日、私は駅で呆然としていました。列車の切符の払い戻しをしたかったのですが、「同じ旅行の工程で日にち変更ならできるけれど・・・」と言われたのです。とっさに変更などとは考えられないし、今回の旅行中止の理由は特別だからなんとかならないだろうか、とかけあってみようと思ったのです。フィンランドの電車チケットは、ネットで購入するとき「5ユーロ保険」を一緒に買うことができます。出発前なら、旅行中止はチケット分は払い戻しされるし、時間変更もできます。保険を付けていなくても、その場で5ユーロ払っての変更は可能です。しかし今回は、この保険を付けておらず、窓口の人々の列も増え、列車の出発時間も迫り・・・もういいや、VR.fi (フィンランド国鉄のとです)に寄付するわ。お世話になっているし・・・とあきらめ、ちょうど同じ列車でヘルシンキへ行くと言っていた友達を探しました。でも見当たらないのでスマホでどこにいるのか尋ねましたが、無念、そうこうするうち、列車は発車しました。友人の方は、私をみつけており、私の写真を出発する列車の2階席から撮影していました。私の姿は「年齢相応の呆然とした人」とはっきりわかるものでした。


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2020年3月13日金曜日、コロナ哀歌は私の現実となりました。

翌週月曜日には、フィンランド全体にコロナ規制が言い渡されました。住んでいる街にも、数人ですが感染患者がいる、ということがわかってきました。学校校舎は閉鎖、オンライン授業と発表されました。レストランも閉鎖です。当時は「5月末まで閉店します」「次の政府発表まで閉店します」と張り紙をした店がほとんどでした。まさかこんなに長引くとは誰も思わなかったことでしょう。

コロナが見えてきた当初、世界中で、出身国に戻ろうとする人々が飛行機で旅立ちました。フィンランドの日本人留学生も、ばたばたと帰国しました。老後は南欧で過ごすフィンランド人も多いらしく、スペイン等からフィンランドへ戻る人々が続きました。その中にはきっと感染者がいると予想されたのでしょう。ヘルシンキとその周辺には、さらに厳重な体制がしかれ、ロックダウンが始まりました。でも、これで入院体制を整えたのが間に合ったのか、その後、スペインやイタリアのようなひどく悲劇的な医療崩壊の話は聞こえてこなかったようです。

フィンランドでは、短い夏を楽しむために学校は5月~6月に学年が終わります。残り2か月分の授業は、ささっとオンラインへ。音楽の実技レッスンも、グループごとの講義も、オンラインです。私自身はオンライン作業が苦手なため、zoomをつなげようとするたびに音のトラブルがありましたが、先生方の方は、慣れた様子に思えました。普段から授業で手元を映しながらの説明もありますし、パワーポイントを使うときは、オフラインではなくオンラインだからでしょうか。

街ではレストラン閉鎖が目に付くくらいで、フランスのように家にこもっていなくてはならない、といった個人の生活への自粛はありません。スーパーの消毒液は最初こそ「本当にやってるんだな」と思ったものの、それはすぐに日常の光景となりました。私はもともと消毒液を持って歩いており、また何本もストックがありました。

ソーシャルディスタンスはお手の物?

スーパーでは、お客さんへ「距離をあけるように」との放送がひっきりなしに流れます。レジ待ちの列をつくるときは、1mくらいは距離をあけるよう、床にステッカーがはられました。しかし、もともとフィンランド人はくっつきませんから、少し開け幅がプラスされたな、という程度。たまに、やたらすぐ後ろにくっついてくる列待ちの人がいるな、と思うと、どうもフィンランド語はわからない外国人のようでした。そういう人に何も言わないのもフィンランド人のようです。

レジにも透明な仕切り板が置かれました。客は自分で自動ベルトに商品を載せていきます。前の客の買い物商品と区別するために「仕切り棒」を置きますが、これが、即、撤去されていました。レジ打ちを終わった商品は再びベルトで、2つか3つに分かれて移動され、客はそこで袋詰めをします。しばらくすると、二人同時に袋詰めができるようになっていた箇所には、このふたりが顔をあわせないように、透明板のしきりが作られていました。さらに、少ししたら、透明な仕切りは黄色と黒のしましまのテープで縁取りされました。ぶつかる人々がいたのかもしれません。店員さんは顔全体を覆うプラスティックのカバーをかけ始めました。

薬局のレジでも、レジ係は品物をうけとって「ぴ!」とやり、合計金額を教えてくれます。客の方はメンバーカードセルフ押し(ぴ!です)支払いはセルフのノータッチクレジットカードで、最後に客の方に向かって出てくるレシート・・・と、すべてセルフです。


こんな生活が2か月続き、学校も終わったら外出がおっくうに。

こんな風に2か月が過ぎました。毎日、厳しい外出制限があるフランスのこと、日本のことを考えていました。夏(フィンランドでは6月です)が近づくと、少し制限が減って、外のテラス席の設営が始まったのが、とてもうれしそうに見えました。私はそのまま自主自粛中です。なんとなく。


私は歌うことと音楽が好きですが、書くことも負けずに好きです。リハビリを兼ねて指を動かすこともあります。フィンランドではブログなどはほどほどにして勉強に集中しなきゃ、と思っていたのですが、正直、コロナ哀歌に調子がくるってしまいました。それに、日本のニュースも読んでしまいます。アウトプットかないと、気持ちがもたない、と思い始め、字の大きなnoteを使ってみることにしたのです。

自己紹介第2弾みたいになりました。フィンランドでは30人を数えた数日前から、第二波をにらんでマスクの使用を検討中だとか。コロナ時間中のことは、また機会があれば書くかもしれません。でも、これも特別なことから普段着にそまっていくのであれば、それもいいのではないか、と思っています。

ともかく、消毒液とマスクは、散歩にも持ち歩いています。


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