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今日のぐだぐだブログ風

この写真は・・・急いで花屋の店頭をとったら、こうなりました。松の葉っぱというのか、もみの木というのか、あちこちで見えてきます。散歩した道にも、土の上にどんどんと重ねられていました。いただこうかな、と思ったのですが、ひょろっと一本のモノが多くても、その先に根っこがついていたりするので、ちょっとこれは遠慮したほうがいいのかな、もしかして、これから植えるものだったら申し訳ないな、と、結局置いてきました。

散歩は、アパートから1、5キロくらい離れた湖のほとり。住んでいるのは街中ですが、10分も歩けば教会もあるし、お墓もあります。お墓に通じている道なので、近所は墓石をじゅんびするお店があるし、この花屋も墓の向かい。お墓は広々としているし、植わっている木々も非常に高く、そこにお邪魔するだけでも気分がいいものなのです。6日の独立記念日には、無名、あるいは名前のかかれた兵士たちの墓それぞれに、ろうそくがともされ、国旗と同じ色の青と白のリボンが飾られていました。遠慮して、写真は撮らないようにしています。

実は、フィンランド国の独立は、多くの国民が知らない間に起きていたそうなのです。その後、フィンランドでは内戦で兄弟同士の血を流した、という経過があります。また、世界大戦の頃にソ連が侵入してきたため、2度にわたって自国を防衛する戦争が起きています。多くの兵士の墓には、名前と、誕生日から亡くなった日まできちんと記述されています。骨はここまでもどってきたのだろうか、と、ふと思いました。

フィンランドだから、私にとっては、見知らぬ国の見知らぬ人々が、彼らの国を守るために命を失ったということになりますが、その戦争には意味があり、どこか尊敬の念を感じられます。

12月6日日曜は独立記念日でしたから、大統領の挨拶などもあったようです(テレビがないので見てない)。いつもなら、大きなレセプションがあるのに・・・女性たちの華やかなドレス姿も展開され、男性の方は、なんというか、時代がかったうやうやしい服装も見受けられるのですが・・・聞きかじった話では、独立以降、このレセプションの中止は11回はあったとのことなので、中止にも慣れているのかもしれません。

やりたいことを、夢を、もぎ取られる子供はいつか、慣れてしまいます。慣れて、もう何も望まない子供になっていきます。

フィンランドは、いろんなところをもぎ取られてきました。フィンランド国の形は、もともとは、両手を広げたスカートをはいた女の子みたいな形で、「スオミ・ネイト」という言葉があります。ネイトは、お嬢さん、といったところでしょうか。

もともとはフィンランドはスエーデンの一部であり、それがロシアに渡されて100年がたち、そのロシア内での革命に乗じて、独立を勝ち取ったようなものだそうです。しかしその後、いきなり侵入してきたソ連に負債を負わされました。政府はとにかく、ソ連国境カレリア地方の国民を守るため、とにかく移動させ、あちこちに「飛ばし」ました。そして、それ以上被害が広がらないよう、ソ連との契約を交わし、負債を追う形で、返済していくことを選んだそうです。その時にソ連に奪われた土地が「スカートの右側と、左腕をもぎ取られた」と言われます。

飛ばされた人々は、さっと建てられた仮の住まいに入ることができた人もいるようですが、子供たちはスエーデンやドイツに飛ばされ、親子離れ離れになったケースも多くあります。成長した子供たちが親に再会したいと思っても、言葉はもう、忘れてしまっています。

やりたいこと、夢をもぎ取られる子供はいつか、その状況に慣れてしまいます。慣れて、もう何も望まない子供になっていきます。でも、フィンランドは、何が起きても、また起き上がってきたように思えます。日本にもこんなたとえがあったような。最初から条件が不利だったせいでしょうか、冬は厳しいからでしょうか・・・厳しい冬の後には、氷が解ける日がいずれ来る、という希望をもてたからでしょうか。

フィンランドの学力の高さや、教育の工夫は日本でも紹介されていることでしょう。でも単に工夫した、こうなった、というわけではなく、こういった歴史が背景にあると思うのです。

また現在、小国ながら、移民や難民を受け入れる体制が整っているのは、あるいは整えようと常に努力しているのは、上記のようなことがあったからかもしれません。また貧乏のために、アメリカへ移住したフィンランド人も多いのですが、縁を切ってしまうのではなく、つながりを保っているようです。

さて、国土の形はスオミ・ネイトということで、お嬢さんです。おかっぱ、民族衣装のイラストが描かれた食べ物のパッケージもあります。一方で、母国とは言わず、「父の国」と言います。なんとも興味深いことです。

歴史は大学で学んだことですが、正直、独立までのことになじめませんでした。島国ではなく、氷河時代には現在の国土が表面に出ていないので、形も違います。島国の自然環境による国境はありません。そんな中の一領地の物語・・・今、あれこれ読み直しています。

独立以前から、「フィンランド音楽」はあります。12月8日はシベリウスの誕生日でしたが、彼もスエーデン語家庭の人でした。その家庭の暮らしは決して楽ではなかった、と言われますが、それでもそこそこ上流階級だった、あるいは、平民ではなかった、と考えてもいいのではないか、と思いますが・・・。独立の1917年以前の「フィンランドの歌曲」はたくさんあり、スエーデン語の作品も多く、また作曲家が同時に政治や文学、文化に大きくかかわっていたりします。この辺りは人脈が限られていた、あるいは、その数少ない歴史を動かした役者たちが、さまざまに才能を持っていたのかもしれません。

親のいいなりの子供がいつか夢を思い出し、自分の足で歩き始めるような、そんなことを連想します。

(今日は書き飛ばしですのでいずれ手を加えるかもしれませんが、こんなことを考えましたので、ざっくり書いてみました。)

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