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シッダールタ/ヘルマン・ヘッセ

ヘッセに夢中です。
(どの口が)

デミアンのおかげで、ヘッセ文体と内なる声を求めてやまないへきに免疫がついた。
噂に違わぬ名言のオンパレード。
並行して『ヘッセ 人生の言葉』も読み、浴びるように享受する。
言葉に囚われるな、過度にありがたがるな、と諭されるのだけれども。

教えはことばしか持たない。たぶんおん身が平和を見いだすのを妨げているのは、それだ。たぶんことばの多いことだ。解脱も徳も、輪廻も涅槃も単なることばにすぎないからだ。ゴーヴィンダよ。涅槃であるような物は存在しない。涅槃ということばが存在するばかりだ。

ゴーヴィンダ

刺さる言葉がありすぎる。
イメージが飛び込んできたものをピックアップしてみる。

ことばは内にひそんでいる意味をそこなうものだ。ひとたび口に出すと、すべては常にすぐいくらか違ってくる、いくらかすりかえられ、いくらか愚かしくなる。

ゴーヴィンダ

<「思ったことの半分も言えない」よりも「言っていることの半分も思っていない」の方が圧倒的多数>
といったのは森博嗣。
もっとシッダールタに近い言い方をしたものがあったと記憶しているのだが、犀川先生だったかなあ。

「川は至る所において、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。川にとっては現在だけが存在する。過去という影も、未来という影も存在しない」

渡し守

進撃の巨人の座標、道。
すずめの戸締まりの常世。
いずれもその空間の空はまるで川のよう。

この水は流れ流れ、絶えず流れて、しかも常にそこに存在し、常にあり、終始同一であり、しかも瞬間瞬間に新たであった!

渡し守

川の水は瞬間的に入れ替わっている。
人間の細胞も絶えず生まれ変わり入れ替わる。
コンビニ人間で、常連さんに「ここは変わらないわねえ」と言われたときの描写は、わかっていたのにハッとした。
<店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、牛乳も卵も(略)オープンした当初のものはもうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しずつ入れ替わっている。それが「変わらない」ということなのかもしれない>

底の方から光る玉があがって来、静かなあわが水面に浮かび、青空を映しているのが見えた。川は無数の目で、緑色の目で、白い目で、透明な目で、空色の目で彼を見た。

渡し守

クラムボンはかぷかぷわらったよ。

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