華氏451度/レイ・ブラッドベリ
Eテレ『100分 de 名著』での鬼気迫る朗読に圧倒。
言葉を失った。
読むたびにあの俳優さんの熱が呼び起こされる。
叫ぶように。
迫るように。
飲み込まれるように。
世の中はどんどん短くされる。
長いものは冗長だといわんばかり。
インパクトだけが全てであるかのように。
カメラアップ。
畳みかける畳みかける畳みかける。
与えられた感情以外は不要だ。
こんな極端なことありえない、だろうか。
いままさにこの状況に近くないだろうか。
「 要約、概要、短縮、抄録、省略だ。」
コロナ禍の最中、脳梗塞で父は亡くなった。
ずいぶん迷って、迷いに迷った末に、看取ることも葬儀にも立ち会わなかった。
私たち家族は、そう決断した。
今でもその決断は誇りに思っている。
だから、父の顔を見て泣くことは、ついになかった。
父はものを作る人だったから、遺したものは多い。
我が家の車庫、犬小屋兼サークル。
実家のワンコ専用とびら、祖母のための車椅子スロープ、洗濯物干し部屋、ドラム缶の薪ストーブ。
最寄りのバス停留所まで父作だ。
「夕べ地震あったべ?念のためにネジゆるんでないか見てみろな」
ふだんはめったに連絡などよこさないのに、こういうときだけ朝一番に電話がくる。
娘の心配は二の次で。
そんなことを忘れたくなくて、父が寝ぼけた足であけた障子の穴をときどきながめている。
決断するまでの葛藤を、父の言葉を、大切に繊細にていねいに綴った、私たち家族のあの日あの時はこちら。↓
答えは父の生き様にある。
苦しい決断を迫られている方や誰かを失う苦しみに苛まれている方へ。
とても個人的でデリケートなお話なので有料設定ですが、ただこぼれ落ちていくだけだった感情を、両手ですくえるだけすくってくれた家族の記憶です。
そういうお話です。