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いつかたこぶねになる日|小津夜景【文庫】

単行本のお話はこちら。

いったい詩のどこをいいと思ったのかというと、なんといってもその短さです。短いおかげで忙しくても自分のペースでつきあえるし、暗唱だってできる。

はじめに

いったん暗唱してしまえば、本がなくてもいっこうに困らない。


無人島になにを持っていくか、というよくある質問をうけたら。

『いつかたこぶねになる日』の文庫版をリュックに入れよう。
とても薄いので隙間に押し込める。

宮沢賢治の『春と修羅 序』は暗唱できるようにしよう。
好きで好きでたまらない冒頭の一節を、なにもない砂浜で満天の星に体を開いて、そっとつぶやけるように。

わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失われ)

春と修羅 序

歌ならいつでもどこにいても歌える。

木々が擦れて奏でるリズムと
湿る芝生の香りに抱かれて
都会に潜むオアシスに寝転び
ビルを繋ぐうろこ雲はやがて
不気味な風に押し流されてく
不協なカラスたちのオーケストラ

宛名のない手紙
和楽器バンド
「TOKYO SINGING」収録曲

今の私が形作られているはじめの一歩は、コロナ禍の台所で夕飯を作る手をとめて聴きいった、発売日当日に届いたアルバムのこの曲だった。
この歌詞に出会って、こんな文章をもっと読みたいと、文学作品を手当たりしだいに漁るようになる。
ミステリー派の私の細胞ががらっと変わった瞬間。
情景描写に心を奪われるきっかけになった大切な歌。
おもえば、和楽器バンドと漢詩を吟ずる詩吟とは、切っても切り離せない関係。
『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』に目が留まったのも、必然だったのだ。

情景描写は日常を切り取った写真のひとコマ。
〝極小の詩句はスナップショット〟と小津夜景さんの他の著書に書かれていた。
そのスナップショットの中に、昔出会った風景をみつけたとき、どうやら私は心が震えるようだ。

ベランダの上には旅客機が、休日のバスくらいののんびりしたテンポでとんできて、青い空にひとすじの雲を描いては音もなく去ってゆく。

はじめに傷があった


保存用と無人島用