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うつ病のお母さん:4

前回までは…

前回は、初めてお母さんの通院に同行したことについてお話ししました。
今回からはまた過去に戻って、小学生時代からのお話になります。

元気だった時代

私が小学生だった時代、もちろん躁鬱での波はありましたが、比較的元気に周囲とのコミュニケーションをとっていました。

私は幼稚園のときからサッカースクールに通っていましたので、そのママ友同士のつながりや、小学校に入ってからは、読み聞かせやイベントなども行うママ友グループにも所属していました。

具体的には、小学校の朝のホームルームの時間、各クラスに分かれて、生徒達の前で絵本の読み聞かせをしていました。
私のクラスに来たこともあり、自分のお母さんが教壇に立っている状況や、うまくできるのかなど、いろんな気持ちが混ざりあってかなりドキドキしました。笑

家事もしっかり

家でも家事をこなしてくれていて、洗濯、料理はとても頑張ってくれていました。掃除は病気関係なく苦手ですが。笑

買い物も料理も、今では考えられないくらい積極的に取り組んでくれていたことを覚えています。
当時は元気に動いてくれていたことは、ただただ嬉しかったです。

ちなみに、私はお母さんの料理の中だと、ニラ玉が一番好きでした。

病気について知った今…

ですが躁鬱の特性を考えると、そう状態にあったであろうこの時のアクティブさは、お母さんの病気の重さをものがったっていたような気がします。

今では、元気な時間が長かった当時のことを思い出すと、その後の反動も大きさにも納得します。

今日はここまで。
それでは、次回の投稿をお楽しみに。

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