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こども園でドラムバトル⁉ 小さな「つながり」が生まれた一日

次男の通うこども園で、園児たちを前に一人ドラムを叩く、という機会をいただいた。

このnoteでは筆者が岐阜県恵那市に移住して11年の農村暮らしから見えた「田舎暮らしってなんだろう」を主なテーマにお届けしてます(所要時間5分)。


ドラムのアッキー、こども園に登場

遊戯室にセットされたドラムセットを目にして目を輝かせるのと同時に、横にいるオレを見て「あれ、S君のパパ?」という声があがる。
しかし今日のオレは非日常の存在でなければならない。子どもたちに夢中になってもらいたい。そんなパフォーマー魂が顔をもたげる。
そこで、「今日はドラムのアッキーだよ!」と自己紹介。子どもたち爆笑。

一発ドラムを鳴らすと、耳をふさぐ子どももいるが、加減はしまい。一通りドコドコやってから、リズムに移ると、耳をふさいでいた子どもたちもすぐにノリだす。

嬉しいことに、年長さんたちは事前に空き缶やハコを持ち寄って、タイコを作っててくれた。バチは新聞紙を丸めて、テープや色紙で飾りつけ。
後で先生が、「作りながら、叩くところで音が違うとか、テープを貼ると音が変わるとか、いろんな発見をしてとっても楽しんでました」と教えてくれた。おお、学びの機会になってるじゃないか。

数曲先生のピアノに合わせてみたあと、最後にドラムに合わせてちょっとしたドラムサークルをやってみる。タイコの年長さんたちは壇上にあがってもらい、オレの音の大小、速いリズム遅いリズムに合わせながら自由に叩いてもらう。それはもうみんな一心不乱に叩いてくれて、なかなかの壮観だったし、遊戯室は一体感に包まれながら幕を閉じた。

本日のお礼にといただいた給食のカレーはお世辞抜きに美味かった。息子はいつもこんなに手をかけた給食をいただいているのかと、感動した。

次の日、息子をこども園に送りにいくとみんなが「ドラムのアッキー!」と呼んでくれる事態に。こんなおじさんにアイドルの気分を体験させてくれてありがとう。

このような機会はオレにとっても初めてのことであり、始まる前まではあれやこれやと気をもんだりしたが、子どもたちのパワーの前には杞憂であった。

地域と学校のつながりが育む多様な学び

そもそもきっかけは園長先生が市内のジャズイベントでオレの演奏を目にしたことで、「佐藤さん、いいもん持ってんじゃないの」と、いつか園児たちにドラムを聞かせてあげたいと言っていたのが実現したのだ。

オレも園には長男から数えて8年ほどお世話になっているわけで、その間園長先生はじめ入れ替わりもあったが、長男の時には保護者会会長も務め、およそ勝手知ったる園である。

いつの園長先生も子どもたちを想っていろんな体験をしてもらいたい、という意向はあったのだが、いかんせん金のかかる話である。

今の園長先生は、実は地域の中で知られていないだけで、高いレベルの特技を持つような人材を掘り起こすということを積極的に進めてきた。つまり、いかに安く抑えながら、たくさんの体験に触れることができるか、ということだ。

このような話になると、ギャラがカレーとか、仕事に対する対価云々、という議論も持ち上がるわけだが、オレも内情を知っているし、オレ自身が地域の一員であり、地域の子どもたちとの「つながり」を築ける機会として受けてたった。

教育とつながり資本 - 志水宏吉氏の研究

志水宏吉氏は、子どもの学力と社会関係資本の関連性について研究しており、社会関係資本=「つながり」という概念の重要性を指摘している。

志水氏の研究では、学力テストでランク上位を占める東北や北陸などの地域の調査を通じて、人々の生活の中に「つながり」が大事な要素として残っていることを明らかにしている。
志水氏は

「子どもをとりまく家庭・学校・地域での人間関係が豊かなものになっていれば、その子の学力はかなりの程度高いものとなる可能性が強い」

「つながり格差」が学力格差を生む/志水宏吉,p131

として、つながりと学力の関係を説いている。(学力への影響は経済的資本、文化的資本が同等に影響するともされるので、つながりさえあれば良い、という話ではない)

地方におけるつながりの力の効用

つながりが果たしている役割は、学力の向上だけではない。

志水氏が紹介しているアメリカの社会学者コールマンは次のように社会関係資本を定義している。

「家族関係やコミュニティの社会組織に内在し、子どもや若者の認知的もしくは社会的発達のために有用な一連の資源である。こうした資源は人によって異なり、子どもや青年の人的資源発達において重要なメリットとなりうる」

志水,p143

地域の中の多様な人とのかかわりあいは、子どもたちに直接的・間接的、有形・無形のサポートを提供し、学校の教育だけでは得られない情報や経験を通じて、貴重な学びの機会を与えていることにあると思う。子どもたちの心理的安全性の向上やセーフティネットとしての機能など、健全な発達全般にも重要な要素であろう。このようなつながりの蓄積が、最終的に学力の向上に寄与している面もあるだろう。

今住んでいる地域ではとても実感のわく話である。
おおよそ住民同士顔のわかる範囲で暮らしていることは、何かあればすぐ頼れる人がたくさんいる、ということに他ならない。いつ誰だかわからない人が自分にいちゃもんつけてくるかわからない世界とは対照的だ。
子どもたちはみんな自分のことを知っている人の中で生活をしていて、ここは安心安全という意識が通底している。

学力の状況については、大学進学率は市全体では全国平均並みとのこと。これがつながりの効果なのかは不明だが、自分の周囲を見ても学歴的にいろいろな経歴の方がいて、それらの人たちが入り混じって、会議の場などでも多様な意見を交わし合うのを見ている。大人たち自身が多様につながり合うことが果たしている意味もこうした中からうかがえる。

地域の変化と新たなつながりの必要性

しかしそれでも昔に比べれば、つながりが希薄になってきたという声も聞こえてくる。必ずしもそれが悪いということではないが、地域の衰退を加速させた側面は否めないだろう。

昔のようにほっといてもつながりができるわけでない。基本的に昔のつながりは、家や道路の普請や、稲作の共同作業、冠婚葬祭という必要があったことで自然と生まれたものだ。今では道路は行政が、田んぼは一家に一台トラクターからコンバインまで揃えて、ということに象徴されるように、個々の家庭ごとに生活が完結している。これを共同作業に戻そうというのには無理がある。

だから、新たなつながりは意図的に再構築する必要がある。その大きな役を果たすだろうと考えられるのが地域と学校のつながりであろう。
家庭同士のつながりが希薄になった現在、地域の中でつながりを感じられるのは学校という共同生活の場に限られてくる。

学校が子ども同士のつながりだけでなく、地域の大人も様々な形でかかわることができる。PTAはその代表的な活動であるが、最近では部活の地域移行が話題になっていたり、あるいは地域の歴史教育や、自然体験などを地域の住人が担う例もある。
学校の中に大人が行くだけでなく、地域の活動、例えばまちづくりの場で地域課題解決に参加している例もある。これらは文科省が推し進めているコミュニティスクール構想に基づき、全国の学校で取り組みが進んでいる(https://manabi-mirai.mext.go.jp/jirei/sankojirei.pdf)。
このような場を通じて子どもたちが地域にどんな人がいるのか、何ができる人がいるのか、実際にその人物と接することで、田舎と言えど多様な価値観が存在し、多様なスタイルで生活していることを知ることができる。

こども園でのつながりが実るとき

今回で言えば、こども園の子たちとつながるのに、自分の特技を活かさない手はない。見たことのない楽器を叩くドラムのアッキーと一緒にリズム叩いて楽しかったという、今までのS君のパパ、という認識から少しだけつながりが太くなっただけでなく、そのつながりを通じて、手作りのタイコから音の不思議に気づくという体験につながった。

それがどのように子どもたちの世界観に影響していくか、それはその子たちそれぞれではあるが、直接的に何か頼ってくれたらもちろん嬉しいし、どこか頭の片隅に、そういえばうちの近くにこんな人いてこんなことしてたよな、と思い出すだけでも彼・彼女の選択の一助になれるかもしれない。

逆にオレにとっても、オレという多様性を子どもたちが受け入れ、親しんでくれたことで得られたものはとても大きい。親御さんたちからも、家で楽しそうに話をしてくれた、今度は私も見たいです、など声をかけてもらい、また今までと少し質感の違うつながりを感じた。
こういう積みかさねをしていけば、すぐに何か変わるわけではなくても、もしかしたらオレにとって暮らしやすい環境を守ることに役立つのかもしれない。

新たなつながりへの挑戦

このようなつながりは自分たちで働きかけていかなければ、向こうからやってくるわけではない。
個人的にはこの地域でどのように子どもたちが生きていくのか、正解がない世界に直面していく中で、学力や論理的思考と、非合理な自然や自身の感覚と繋がる力との、ハイブリッド感覚が必要になるだろうと思っていて、自分に何かできることはないかと、農作業体験や自然などなど少しずつ場を開いてきた。近々「里山リベラルアーツ」と称して学びの場をより本格的に開いていこうと準備もしている。

その中でおととしから限定的に実施はしてきたが、来年度からは学校と協働して地域の中学生たちに補講的なサポートをさせてもらうよう話を進めている。
PTA的な既存事業を交代で担っていくのも良いが、自分にはこれができる、という人が少しでもかかわっていけば、子どもたちに様々な可能性を切り開くことができるのではないかと思っている。

園長先生からは、息子が園にいる間はよろしくねー、とのこと。そりゃ息子の喜ぶ顔が見たい、というのも隠し切れない本音である。


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