これから、地域おこし協力隊になる人へ② ~オレの3年は本当に失敗だったのか~
前回、地域おこし協力隊での3年間でしでかした、多くのしくじりを振り返ってみた。
協力隊の失敗の多くは、地域と人材のミスマッチや、地域・行政の制度への理解不足、お互いに3年間で目指すゴールがあやふやなど、決して協力隊だけがその原因でないことは少なくない。
だが自分の行動を振り返ってみると、経験・技量不足、思慮不足と、社会人としての未熟さが大きく影響していた。
これは採用する側の地域や行政にとって、どのような人材が地域に合っているのか、見過ごせない点になるだろう。
残念ながら同様に社会人として未熟な協力隊が負の爪痕を残していったケースというのは散見される。
バリバリのキャリアが望ましいとは言わないが、協力隊制度がセーフティーネットとなって地域がお世話にする、というのも地域の負担が増えるだけだ。それに等しい状態であった自分を棚に上げてなんだが、それを見越してか、近年ではお試し的な活動を実際に地域でやってみるインターン制度もできたというので、お互いじっくり検討してもらいたい。
しかしながら、オレの3年間は失敗、と括れるのか、もう一度問うてみたい。何をもって失敗とするのか、どのような視点で見るかで3年間の価値は変わるだろう。
本当に失敗だったのか
見える成果と見えない効果
まず協力隊の目的は二つある。
まず、協力隊は地方に移住して地域資源を活用した事業を請け負ったり新たに立ち上げながら定住を目指すこと。
そして町の側では協力隊の活動と連携して自ら地域の活力を挙げていくことだ。
オレの方から見れば3年後の生業をつくる、町に定住する、という最大の目標が果たせなかったのは制度の目的からして失敗である。それも目標に向かって活動を有効に活用できたか疑問が残るし、多くが自分の見通しの無さと知識・経験不足によるものだ。
逆に町はオレを迎え入れた3年で何かメリットがあったのだろうか。
確かにオレはがんばった。だが一生懸命がんばったというだけでなく、町にどれだけ貢献できたかの成果を定量化することは、事業評価や自治体への説明責任を果たすために重要である。
例えば、自分の活動で言えば、観光客数、空き家バンク登録数、移住者数などに数値目標をおいて活動すべきであった。
その点でも示せるものがないというのは、効果なしという判断を下されてもおかしくはない。
しかしそれと同時に、地方の小さな町においては効率や合理的な基準だけで評価することに疑問もある。地域活性のためには効率的な取り組みも不可欠であるが、目に見える成果が出にくい、長期的な取り組みである。しかしそこに携わる人々の熱意と努力によって、確実に変化は生まれている。
その意味では下記のようにお互いに質的に価値ある時間だったという思いはある。
任期後の町の変化
オレが岩村から離れてからも町の人達は奮闘を続けてきた。今では空き家を活用したリノベーションが進み、新しいカフェやゲストハウスが増えている。
また、ドラマや映画のロケ地になったり、世界ラリーのリエゾンとして世界中に町並みが発信された。インバウンドの増加に伴い、訪れる外国人も増えていると聞く。岩村を訪れる人々や関係者は、岩村のホスピタリティについて絶賛している。
これらの変化を、オレのおかげなど口が裂けても言わない。しかし町の中でさまよいうごめいていたオレの小さな挑戦が、町の人達にも『何かを始めよう』という機運を高める波の一つにはなっていたのかもしれない。
今でも岩村に立ち寄ったときに皆さんが「あのとき佐藤君ががんばってくれたから」と声をかけてくれる。お世辞とは承知しているが、3年間たくさんの地域の人たちと声を合わせてきたという自負はある。オレは自分が来る前の岩村を知らない。本当かどうかは町の人のみぞ知る。
自己変革という成果
最大の成果は、協力隊での活動はオレ自身の社会への認識を一変させ、今後の人生において社会に働きかけることをライフワークにすることを決定づけたことだ。
実際に人と接し過疎化や空き家問題など地域の課題を目前にすると、それまで無頓着であった、政治、経済、経営など社会の要素は生活や自己に密接に関わっているのだと体感した経験が、持続可能な社会は自分たちの手で作っていくものだという自覚を芽生えさせた。
人との関わりという点では、かつてないほどの濃厚なコミュニティの中で多くの人とかけがえのないつながりができた。いろいろお叱りも受けたが、協力して助け合う、という人として大事なことを身体で学んだ。
協力隊になるような人はもともと社会への関心が高い人だろうから、そんなんでよく協力隊になったねと突っ込まれそうな話だが、全体で見れば社会活動に関わる人間がわずかながら増えた、というのも成果に数えてもらえたら嬉しい。
3年の先にあるもの
協力隊を終えてから、オレは「田舎と都会をつなぐ」ことをテーマに、自宅を自然体験や交流の場として自主的に開いている。この活動はこれから「里山リベラルアーツ」の看板をかかげ、形にしていこうと計画している。今は子育てに家業にと追われて散発的だが、すべて準備できるのを待つのでなく、できることから始めようというのは、協力隊の経験が活きている。
3年という時間は本当に短い。オレは10年かけてやっとここで目指すものが自分の中でしっくり来たような気がする。そのスピードは人それぞれであるが(それまで待つかどうかという問題もある)、3年で結果がでなくても、その後どうするかで3年の意味合いも変わるだろう。
協力隊、という枠から外れ、ただの住人、という立場になってからわかることも多々あるはず。失敗だったと思っていたことが、今思えば双方に大事なきっかけになっていたことに気付くことだってある。
うまくいかず深く悩む時間の中でも、地道に地域の人達と顔を合わせて、時に価値観の相違でぶつかりながら、時に協力し合ってお互いを理解しようとする気持ちがあれば、協力隊の先につながる何かが得られるだろう。
このような歩みをしてきた自分から、何かしらアドバイスできることがあるか、と考えてみたので、それを次回にお伝えしたい。
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