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これから、地域おこし協力隊になる人たちへ① ~3年間のしくじりを振り返る~

全国各地の自治体において、地域おこし協力隊員の募集が活況を見せている。

地方移住や協力隊に興味を持ち、応募を考えている、もしくはすでに内定している、現地で活動し始めている人達も少なくないだろう。

自分も12年前岐阜県恵那市岩村町の地域おこし協力隊(正式には地域おこし協力隊に準ずる恵那市独自制度のふるさと活性化協力隊)となって神奈川県横須賀市から移住を果たした身である。

反面教師かもしれないが

各個人の志望動機は様々であるものの、多くの方がほとんど初見のような土地での生活、異なる属性の人々との協働活動に、期待と同時に不安を抱えていることは多かれ少なかれ同じものがあるだろう。

近年、協力隊員への支援体制は充実しており、自分が協力隊となった12年前と比較すると、活動に必要なノウハウや情報が豊富に提供されている。過去の成功事例や失敗例も蓄積されており、自身の活動の指針となる貴重な情報源となるだろう。

自分は特に優秀というわけでもなく、誇れる大きな成果を残したわけでもない。任期終了後は任務地を離れ、生計を立てる仕事に専念してきたため、協力隊の経験を活かした活動とは距離を置いていた。

しかし、最近になって協力隊時代の仲間との仕事に携わる機会を得たことで、その時の経験が今の自分にとってかけがえのないものであったことを再認識させられている。なので、これから協力隊の活動に携わる全ての関係者が、最後に「良かった」と思えるような結果を目指してほしい、と思うようになった。

そのような思いから、この春から協力隊員として活動を開始する皆さんに、私の経験談を共有したいが、ここでは恥ずかしい失敗談を披露しようと思う。皆さんの活動に少しでも役立つ情報を提供できれば、恥ずかしい思い出も昇華させることができるだろう。

あくまで一例であり、地域や協力隊の個性、活動形態によって全く状況が異なる。誰にも当てはまるわけではないし、良いことも悪いことも鵜呑みにせず、自分だったらどうしようと想像を馳せていただくと良い。

あと、やってみなくちゃわからない。元も子もないけど、現場で何をどう受け取るかは貴方次第。

長文となるが、より具体的なイメージを持っていただくために、私の経験を振り返りたい。

3年間の活動内容

協力隊になった動機

オレは恵那市岩村町の城下町の町並みを生かした観光活性化が主なミッションであった。当時、音楽活動の時間を優先するためフリーター生活を送っていたオレは潮時を迎え、新たな挑戦を模索しており、地域活性化という社会課題に貢献できることに関心を抱いた。

活動地域のニーズ

岩村町は、住民主体の観光まちづくりを目指しており、知名度向上、誘客促進、空き家活用といった課題を抱えていた。オレは、まちづくり団体「城下町ホットいわむら」(任意団体)の一員として、情報発信、イベント企画運営、住民向け広報活動などに携わり、これらの課題解決にあたった。

3年後の展望

3年後の生業や自立が目指されていたか、という点においては、明確なゴールは存在しないまま(確認しないまま)にスタートした。まずは岩村にどっぷり漬かってもらおう、町で十分汗を流したうえで3年の中で何か見つけていこう、というのが、お互いの認識であった。

日々の活動

具体的にどのような活動に取り組んだのかを以下に挙げておく。

情報発信・広報
町のホームページやFacebookで情報発信を行い、町民向けの広報誌製作も行政と連携して実施。また団体の事務なども一部行っていた。

イベント企画・運営
観光客誘客を目的としたイベントを企画・運営に携わる。知名度向上という目的は理解してたが、正直町としてイベントへの比重が高く、準備に追われる時間も多く、協力隊の活動として効果的だったかはわからない。

観光客分析と提言
観光客アンケートを実施し、観光客の満足度、消費金額、滞在時間、訪問回数などの相関関係と、強み・弱みの分析。その結果を踏まえ、観光活性化に向けた提言を協議会に提出した。

一方で、他地域の協力隊と交流する機会が増えたり、「Turns」のような雑誌が出てきたりして、クリエイティブな試みにもがぜん興味が湧き、空き家活用に力を入れるようになった。

空き家調査・活用検討
城下町の町並みといえば町家づくり。増え続ける空き家問題と絡めて、観光資源としたり移住推進を目的として、所有者への聞き込みや空き家探索ツアーを実施。

また、団体のメンバーに職人さんが多かったこともあって、空いている家の一部を改修し、利活用の可能性を検討し、多くの人に関わってもらおうとワークショップを開催したり、市内の協力隊たちを集めてポップアップストアを企画した。

他にもインバウンド需要を見込んで「指さし会話帳」を作成し町内のお店に配布したり、音楽祭立ち上げたり、任期後に役に立つとか立たないとか関係なく、とにかくなんかいっぱいやった。
あと団体や協力隊外の活動として音楽イベント立ち上げたり、一町民として町内会の夏祭りで踊ったり、もうなんかいっぱいやった。

ゲストハウス開業を目指したが、、、

2年目の途中からさすがに任期後が見えてきた。協力隊で培ったリソースを活かした生業を検討する中で、観光活性化への取り組みから見出した生業の「種」が町家を活用したゲストハウスだった。

当時地方に個性的なゲストハウスが続々と立ち上がり、観光地としての可能性や町家・空き家という町の資源に活路があると踏んで、開業を目指した。
あちこち視察にいったり事業計画を立てることにも時間を割いたが、開業に必要な資金調達や運営体制の構築など、課題は多かった。様々な関係者と協議を重ねたが、任期終わりも間近に迫った3年目中盤になって断念せざるを得なかった。

その後町の人たちも親身になって稼ぎ口を考えてくれたが、紆余曲折もあり、任期満了後は岩村町を離れ新たな挑戦をスタートした。こうして協力隊の3年は終わった。

一生忘れない日々

今振り返ると、単なる「仕事」という域を超えて、町の人達との「共同生活」とも言える日々だった。お互いに助け合い、ともに汗水流すことを求められたし、自分も初めて自分を必要としてくれるという実感があった。

確かに、都市と田舎、理想と現実のギャップが大きいと感じて悩むことが多かったが、多くは自分の技量不足と個人主義的な面によるところが大きかった。

しかし、お互い手探りの中、どこの馬の骨かもわからないよそ者にもかかわらずたくさんの方々が関わってくれた。深夜まで飲むことも多く彼らの人情にたくさん触れた。いろいろ思うことはあったが、あらゆる意味で濃厚で強烈な日々を過ごしてきたものだと今でも思う。

またすべてにおいて妻の理解あってこそ完走できたことに間違いないことは記しておく。

恥を忍んで、失敗を振り返る

しかしここはノスタルジーに浸っている場合ではない。もっと効果的な活動ができた余地は見て取れるはずだ。どこに「失敗」があったのかもうお分かりだと思うが、順番に見ていこう。

  • 目標設定・計画性の欠如

    • 3年間という任期における成果目標設定をする、という感覚がなかった。そもそも社会人経験に乏しく、PDCAの概念すらなかった。収益化や自分の生業につながる何かを生み出そうという意識にかけていた。

  • 知識・理解力の欠如

    • 会計一般のことから団体及び協力隊の活動における予算の枠組み、補助金事業の基本的な理解といったことまで、全く要領を得ておらず、自分の活動費も有効に使えてなかった。

    • 経験不足を取り繕うために、わかったふりをして周囲の期待値を上げてしまい、補助金の申請書類を任された結果、不備で通らなかった。

    • 自分のポジション、団体の事業範囲についてすらよくわからず(説明は受けたけど)、どこまでやっていいのかよくわかってなかった。ゆえに団体で承認を得ていないうえに自分の手に負えないようなことにまで突っ込んだりして、重大なトラブルになりかねなかった(例えば空き家所有者と移住希望者の仲介など)。

  • 認識の甘さ

    • スタート直後、張り切って団体の内外でいろいろ顔を突っ込んでいった結果、自分のキャパシティを超え早期に消耗してしまった。勝手に背負い過ぎて勝手に息詰まることもしばしば。

    • 空き家改修ワークショップをやる、ということが目的化してしまって、後から「町家造りを理解しよう」とか「職人技を体感しよう」など理由をこじつけ、なんかやってる感だけ出した。何に使いたいというあてもないままに始めて何を考えているのか、と自分でも思う。

    • 事務作業など、自分が担当していた業務を引き継ぐ人がいない状況を作り出し、団体活動の継続可能性を阻害するリスクがあった。

  • 地域への理解不足

    • Turnsに載っているようなクリエイティブな田舎、という刺激的な風を浴びて、一緒に仕事してくれてた行政の方に「○○村はすごい」を連発してたら、「ほんじゃみんなで○○村に移住しようや、それでいいだろ」とドラマの一場面のようにキレられた

    • 移住者同士で集まることが多くなり、「都会の価値観」を理解してもらえない、田舎の慣習は理不尽、と愚痴り合っていた。地元の同世代や若い世代からは若干距離を置かれていた。

  • 協調性の欠如

    • 新しく考えた事業のために周囲の方に協力を求めたが、活動は参加者それぞれが本業の傍ら行っていることを理解せず、協調性を欠いた行動を取ることもあった(一人で遠方まで視察に行くとか)。

    • 便利だし簡単だからとオンラインでプロジェクトの進行を共有するシステムを構築するも、誰もアクセスせず。

  • 身の丈を超えた露出

    • ローカルメディアに取り上げられることも多く、実績もないのに調子こいて取材を受けまちづくりを語る。

    • 市や県など行政から依頼され活動報告会や他地域でプレゼンする機会を与えられたものの、緊張のあまり登壇中パニックに。プレゼン内容に対しても、ほんであなたは何をしたいの?と他の協力隊から失笑を買う。

出せばキリがないが、この失敗の背景には、町での活動が「まちづくり全般のサポート」という性格があったので、町に対して、オレ個人に対して、どのような成果を残すことを目標とするのか、お互いに曖昧だったことは否めない。

一つの職業として

ではどうすればよかったのか。もちろん自分ではどうにもならないこともあったが、自分でどうにかできる範囲のことは失敗の数々から教訓を抽出できる。

  • 応募の段階で事業内容や3年後の見通しなどを見極める。

  • 活動の具体的な目標設定をして方向性を明確化する。

  • そもそもいわゆる社会人経験を積んでおく。世の中の仕組みを理解して大人になる。

  • 自分の能力を客観的に理解し、謙虚に学ぶ。

このような普通の経験と感覚を持っている方だったら当たり前のようなことを知ってさえいればもう少しやりようはあったのかもしれない。

今でもオレはそうだが、世間知らずのためどうしても理想論や頭の中で考えたことに傾きがちで、世の中で広く価値として認められることが何か、例えば収益化とか合意形成とかについて未熟な概念しかない。
何も知らないが故の突破力、というのもあるにはあるので、しがらみの強い地域で幾度となくイノセントさが功を奏する、こともあった。

しかし、良い経験できたね、だけでは協力隊制度の存在意義が揺らぎかねない。その意味ではある程度社会経験を積んでいた方が、事業内容の理解や経営的判断、自身のポジションの理解などにおいて、効果的な協力隊になる可能性は高い。

一方で社会人で培った価値観に固執してしまい、東京ではこうだった、合理的で効率的にしないと、など、地域のニーズに合わないやり方で衝突し、地域には理解がないとして、早々に任務地を離れる人もたくさん見てきた。

どちらにも現場で活かせる良さと落とし穴がある、ということはあるが、未熟すぎる協力隊は地域の重荷になってしまうこともありうる。その反省を活かして今の協力隊採用では経験値やスキルを重視する流れもあるとのことだ。

とかく田舎への移住ということで憧れや使命感で協力隊を希望する人も多いと思うが、公金を使う事業でもあるし、一つの立派な職業としての自覚があって損はない。

自分の失敗の経験から皆さんに送れる数少ないアドバイスの一つである。

このように、全体にやらかし気味の3年間であり、成果として誇れるものは、ない。
オレの失敗を糧にこれから協力隊になる皆さんには心構えをしてほしい
、言いたいところだが、どれだけ準備したところで、必ず壁にぶち当たり、失敗することはあるはずだ。
そもそも失敗とは何なのか、オレの活動も本当に失敗だったのか、それらの検証を次回行いたいと思う。

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