教育と幸福は比例する?気になったので世界幸福度と教育水準のランキングの相関を探った
教育の目標は幸せな人生のためなのか。
教育が改善されると幸福になるのか。
息子の不登校にはじまり、7月に開催された『恵那・子どもの居場所を考える会』でたくさんの人とそれぞれの学校経験や教育に思うことを話をしたあと、ふと疑問が浮かんできた。
教育は幸福のため!?
この会でシェアするために教育の歴史を振り返りまとめた際に、市民が主体となった近代国家以降の公教育が、”国民”意識の形成に重きを置いていたことがわかった。それは現在でもおよそ先進国をはじめとした、国際社会で認められている国家では当然のことでもある。
この歴史的な背景を考えると、自分が個々の幸福追求が教育の目的として”常識”のように考えていたこととの齟齬が見えてくる。
つまりオレは学校は子どもの可能性を信じて自分の興味や才能を伸ばすところでなければならない、と考えている。しかし、それは、公教育がそもそも目的とするものではないのかもしれない。
時代の変遷によって教育を提供する側のニーズと受ける側のニーズが噛み合わなくなっているのは、不登校児童の増加や学力低下などに現れてると考えられる。
しかし何も提供する側だけの問題ではない。教育について考え様々な人たちと対話を続けてきた中で、そもそも教育を受ける側のニーズは一枚岩ではないと感じている。
教育を受ける側でも、オレのように教育を幸福追求の場と考える人もいれば、日本社会で生きていくのに備えた、足並みをそろえる力、規律を守る力、理不尽に耐える力を身に着ける場である、と考える人も多い。これは自分の周りでも同様で、教育を受けるニーズが多様になったきたからこそ、混乱も大きいのかもしれない。
一人の個人として国という枠の中で生きるには、単純な幸福追求だけでなく、社会や国家との調和や貢献も重要なことに違いない。とはいえ無批判に国の求めるものを満たすだけの人間になればいい、とも思わない。自分の考えや感情、価値観は何より大事にしながら全体を調和する、そのバランス感が大事だと思っている。
できれば学校へ行く子どもも大人も誰もが、個々として経済的・文化的に幸福でありつつ社会の中で助け合い協調を欠かさない、自由で豊かで安全な国であってほしい、と願うのだが、それはかなわぬ夢なのだろうか。
世界には理想的な国家としてモデルにされている国もある。
例えば北欧諸国。
フィンランドは3年連続で世界幸福度ランキングで1位を取っていて、幸福度ランキングは常に北欧諸国が名を連ねている。
一般的に北欧は教育の評価も高い。いろんな教育論でも聞くし、お話会でもワードとして挙がっていた。
北欧諸国は教育水準関係のランキングでも非常に高い位置にいて、一見教育水準が高い”から”幸福度も高い、とみられがちである。
しかしそれだけで結論づけるのは妥当だろうか。
教育水準の高低は、例えば犯罪率や貧困率、自殺率など、「幸福な人生」に関係しそうな社会事象とどのように関与しているのか。
自分の中の疑問を解消するために、教育や人生の幸福あるいは社会の平安に関する様々なランキングを並べて比較し、相関性を洗い出してみた。
幸福ランキングと教育ランキングを比べてみた
ランキング同士を比較して相関性を見出すことは検証方法として粗いのは承知だが、より客観的に教育と幸福の関係を推測、仮説を立てることに役立つはずである。
そこから日本の立ち位置を見出し、日本の制度なり教育像を検証することで、適切な方向性があるのかどうかを問うこともできるだろう。それは自分の子育てに関しても一つの視点になって考えを整理できるだろう。
ともに教育の歴史を振り返り子どもの居場所について考えてきた親御さんたちと一緒に、教育と幸福について考えてみたくて、まとめた情報をもとにレポート会を開くに至った。今回はデモンストレーションという体で7名の方に聴いてもらった。
今回オレもデータを出すにあたって、注意して聴いてもらいたいことを前置きとしてまずお伝えした。
結論から言うと、教育と幸福の関係は思っていたより複雑だ、という至極当たり前のようなことだ。
今回相関関係を調べるのに用いた指標は、2023年の世界幸福度ランキングやGDPおよび一人当たりGDPをはじめ、OECD教育水準ランキング、PISA調査ランキング、最低限の学習習熟度、SDGs教育目標の達成度ランキングなどの教育指標、そして殺人発生率や自殺率、貧困率、格差などの社会不安にかかわる指標である。
これらのランキング順位をみんなで追うだけでも興味は尽きなかったが、さらにそれぞれの項目ずつ回帰分析を施し散布図と相関係数と決定係数を算出したものを見てもらった。
ここにもいくつか掲載しておく。
これらを見比べると、SDGsの教育目標達成度は幸福度の相関が高い(相関係数0.83)が、幸福度は先進国を対象としたOECDの教育水準の相関はそれほど強くない(相関係数0.47)。これらは何を意味するのか。
ランキング比較は何を語る!?仮説を立ててみた
このような相関関係を以下の図表のように洗いざらい調べてみた。
正直ここに現れた相関関係が有意なものかは素人のオレには判断が付かない。もしこの道に詳しい方がいればいろいろと教えを請いたい。それでも比べてみるといろいろと興味深い相関関係が見えてくる。
一つ一つの相関性をここで紹介するのは割愛するが、検証するうちに以下のような仮説を立てることができた。
これらの仮説を自分なりに導いてみたが、若干矛盾しそうな仮説同士も出てきたた。しかしデータなど解釈次第で自分の思いを補完してしまうことが可能であることから、より慎重な検証が必要ということも示唆している。
教育と問題解決能力
自分的には一番最後の、教育によって培われる抽象的思考力が個々および社会の問題解決能力に寄与しているようだ、ということが大きな発見となった。
社会が複雑化すればするほど、持続可能性のような大きな概念だけでなく、自分の身に降りかかる日常的な困難でさえ、その解決にあたっていろんな概念の解像度を上げて観察できる力が必要となる。それは数学や読解力、科学知識におけるリテラシーというまさにPISAで調査される教育成果が問われることでもある。なぜ勉強するのか、という問いへの一つの回答となりそうな発見であった。
教育の多様化
もう一つは、地域性・経済性の違いと教育の効果の違いで、ここでは国内の都市部と農村部という対比で仮説を立てたが、さらに細分化した中で浮彫になり多様な人々に対しても、個別のアプローチがそれぞれの暮らしの満足感だけでなく社会の安定につながるかもしれない。これは海外労働者の子どもしかり、発達段階の違いしかり、教育の多様化の必要を説明できると考えている。
もちろんこれらの見立てが正しい、とか因果関係として見ることは望ましくない。これらをさらに検証するには、追加の指標や、制度面や歴史的背景の理解、個別の事例等、年次ごとの変化を総合してその因果関係を検証しなければならない。家庭環境なども実際は大きなファクターになっていそうなわけで、こどもの幸福度なども検証するべきだろう。
参加者のご感想
グラフや相関係数の羅列を見せられて若干困惑気味の参加者の皆様であったが、全体として「何事も立体的で解像度の高い理解をすると見える景色が変わるのでは」、という意図が伝わったのか、参加者の方からは、
というような感想をいただいた。
自分の拙い説明にも関わらず、一人ひとりが新たに”問い”を生み出すことに自分の調べたことが役立てたのなら、今回の会の目的は果たせたも同然だ。
そもそも教育や幸福というものが、歴史や文化的背景の異なる国でも同じように定義できるであろうか、という前提から問うことも必要だろう。具体的なそれぞれの国の制度や背景を理解し、何が起こっているのか、そこで何を感じているのか、ミクロとマクロを行き来する視線を持つことで、教育と幸福の関係をより立体的に捉えることができるかもしれない。
それぞれの指標に対する懐疑的な意見も多い。あくまで目安として捉える冷静さも必要だ。
すべてが教育で解決できる問題でもないことを前提としながら、個別の、まさに今ここにあるモヤモヤに相対していくことの中で、子どもたちの幸せを願い、受け入れ、見守ることが親としての責務であると、この調査の結果を見て思った次第である。
それで自分はどうすればいいのか
もっと自分ごとに寄せていくと、自分の息子が不登校であるわけで、その苦しさは彼にしかわからず、安心を確保できる居場所が必要だと考えるわけだが、学習を捨てる、ということは学習困難でない限りは彼自身の幸福とつながらず、やはりある程度の習熟は必要だということが今回の調査で確信となった。
そのうえで、個別的なアプローチが彼の学習における充実感につながる可能性は高く、その両方を総合すると、どちらかをあきらめる、のでなしに、安心できる居場所で気持ちよく学習できる環境を作る、そのようなビジョンが浮かんでいる。
最後に、教育と幸福の関係について、わざわざ自分で調べずともおそらくすでに優秀な頭脳によって科学的に検証しつくされてるであろう。また今回調べてみて、ものすごい量のレポートが存在していることも知り、世界中の多くの人がより良い教育が世界に広がってほしいと力を尽くしていることも知った。
しかしまた自分で考えて問うてみる、というステップを踏むことで、より精度の高い情報と接したときの、納得感が変わるという経験をしているので、大事にしたいところである。
より詳しい相関関係を見て仮説を立てたい方はぜひ我が家へ。一緒に考えましょう。それまでにデータの精度上げて、統計学勉強しときます。
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