Akihiko Tsuma

現在過去の出来事をフィクションを織り交ぜつつしたためてます。

Akihiko Tsuma

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最近の記事

久しぶりの一目惚れ本

本屋で何気に手に取った本。読了。金城一紀さんの「レヴォリューションNo.3」を読んで以来の青春ど真ん中小説を読んだ気がしたな。 最後はちょっと苦しくて読むのが辛かったけども、駆け抜けた先にほんのりとでもいいから灯りがあって欲しいと願ってやまない一冊でした。 しかし本の仕掛けが面白い。。 #死んだ山田と教室 #金子玲介

    • 普段は絶対に買わない本

      大袈裟な言い方ではなくて、燃え殻さんの生き方は本当に死が身近にあるんだろうな。だから往なし方が多彩。 ある時はタヒチに行きたいと思い込んでみたり。凄く遠くへ行った気でいたり。心の置き方が素敵です。 兆楽から沖縄の離島。親戚の叔父さんの話しを聞いているようで妙に親近感が湧いてしまう。本質が変わらないから似た様な話しを聞いたなと思いながらもついつい安心して聞いてしまう。そんな燃え殻さんが好きです。 もし狙って書いているのだとしたら、ちょっとずるいぞ。 #燃え殻 #phpspec

      • 線路の先、老いの先。

        今日はただの備忘録です。 「心に触れる」何だか少しえっちだなと思う。 いや、何が書きたいのかと言うと、小説やエッセイを読んでいて自分のしまっていたはずの記憶の扉が開いてしまう時がある。ままある。 風景が思い浮かぶ文章はいい文章だと何かで読んだ事があるけど、自分でさえ忘れてしまっている事を思い出させる文章って本当に凄いんだなと思う。数ある作家さんの中で今のところ、そういった心の琴線に触れてくる作家さんは、西加奈子さん、燃え殻さん、金城一紀さんかな。 話は変わるようで変わらないが

        • この年齢(40歳)を過ぎて思う事。

          こんな(どんな?)自分にも子どもがいるわけですが。最近無邪気な子どもの笑顔を見ると本当に心が痛い。 きみが心から楽しめる未来を少しでも作れたら本望だなと、最近本当に思っている。(本当だよ。) もちろん子がいるから親もいるわけで。 幸い、僕はやりたかった仕事の1番目ではないが何とか生活も出来てはいる。 こんな自分を俯瞰で見た時に、ふと親の仕事(特に僕に関しては母親)って人生で何番目にやりたかった事なのだろうかと気になってしまった。まさか、何もないなんて事はない。(はず) だと

        久しぶりの一目惚れ本

          世の中まだまだ愛に溢れていますね。 こういうのをサラッとできる人を見ると。感謝。

          世の中まだまだ愛に溢れていますね。 こういうのをサラッとできる人を見ると。感謝。

          地元の5泊以上は座りが悪い。

          有給消化の為、1週間地元に帰ってみる事にした。1年に1回くらいしか帰らないせいか、ずいぶんよそいきの顔をしてくれる地元。 マクドナルドはホームシックを少し和らげる的なコピーを観て、地元の外食の味が舌に合わない。と、ふと気付いた。 子供の頃はファミレスが贅沢だと子供心に家計を気にして親の顔色見ながら注文してたな。だからか、あまり外食の記憶が無い。というかほぼ家のご飯だったな。そういえばよく外食へ行くようになったのは上京してからだったんだと、この20年の東京生活が教えてくれた。

          地元の5泊以上は座りが悪い。

          一年待って。軽く超えてきた。。 ユキノリが。。 涙が止まらん。

          一年待って。軽く超えてきた。。 ユキノリが。。 涙が止まらん。

          渋谷。で、迷子。 再開発の今しか出来ないよな。とポジティブに考えてみる。 まぁ、迷子は迷子で遅れてるわけなんだけども。

          渋谷。で、迷子。 再開発の今しか出来ないよな。とポジティブに考えてみる。 まぁ、迷子は迷子で遅れてるわけなんだけども。

          AMラジオで育ったもので

          僕の言葉はメインストリームになる事は無い。 このだだっ広い世界の一粒の砂の様。 それでもたまに吐き出さずにはいられない。 嬉しい言葉が届く度に。 25年前に渡せなかったというプレゼントが、今朝僕の元に届いた。 添えられた手紙には「笑顔でいてね」「幸せでいてね」約束だよ。25年前と変わらない見慣れた文字で書いてあった。 まるで自分に言い聞かせる様に。そしてその言葉をしっかりと届ける様に。 何だか胸がいっぱいになってしまった。 彼女の置かれている状況を考えたのは勿論だが、あの

          AMラジオで育ったもので

          右から左。左から右。

          深夜のバラエティに耳を澄ます。このまま明けないで。 そっと願う。願うついでに書く。 この行為が意味もない事は分かっている。 分かりきっている。でも同じ気持ちでいてくれる人が 一人でもいい。そっと救われてくれていたらいいな。 SNSの投稿はボトルに入れて海に流すようなものだ。 目的はあれどハッキリとした目的地への手段がないから放流するしかないのだ。 という長い前置き。 苦手です。声が大きくて威圧的な人。無理なんです。萎縮してしまいます。 というか通り越して、話している事は、

          右から左。左から右。

          「大丈夫です!」を→「だーっす」と言ってしまう人を信用して裏切られなかった試しがない。

          「大丈夫です!」を→「だーっす」と言ってしまう人を信用して裏切られなかった試しがない。

          真夜中。ふと、口ずさむ

          本当にこれ。そうなんです。 「身に覚えのある失敗を どうして指差せる?」 はい。そうです。人のふんどしで相撲取ります。語彙がね。乏しいもので。 でも本当にぴったりの気分だったもんで。 たまにありますよね。歌と気持ちがリンクする瞬間。なんならリンクさせに行ってる瞬間。 日常をちょっとでも忘れて浸れる時間があまりにもないからさ。 駅前の踏切で、ド派手に缶のハイボールを5、6本ぶちまけているお爺さんがいたから、袋に詰めてあげようと走り寄って、お爺さんが手に持ってた袋に入れたら、

          真夜中。ふと、口ずさむ

          人と話すという事

          なかなか気付けないもんです。はい。 悶々と日々を送り続けると、毎日、毎分、毎秒が自問自答で客観性なんて、まあ無い。 そりゃどんどんドツボにハマりますね。 こういう時は誰でもいいから話を聞いてくれる人が1人でもいれば人生は続く。し、気持ち右肩上がりになる。 いい距離感(相手の(言葉の)パンチが届かないくらい)の人がいれば尚良し。 マスボクシング間隔で言葉を投げ合えばリズムも生まれて澱んだ景色が(ほんの少し)クリアに見える。そう思えた1日でした。

          人と話すという事

          声の大きさと「あれ、オレ」おじさん

          書かないと消化できなさそうなので、心が濁っていきそうなのでちょっと書きます。 昔から声が大きくて威圧的な人が苦手です。 何か萎縮してしまうところがあって、いくら真剣な場所でも話が右から左に流れて行くんです。その時は不思議なもので目の前にいるのにその人が遠くに見えてきます。 そんな人が全てろくでもない人かと問われればそうではない人もいるとは思いますが、大体優しくはなく保身ばかりのろくでもない人が多い気がします。 長いものには巻かれろ精神で、下の立場の人間には大柄。そして大した

          声の大きさと「あれ、オレ」おじさん

          タワマン文学

          タワマン文学

          好きな人の好きなものが自分も好きかなんて試してみるまで分からない。 なんて、好きな人の好きなものを知るまで考えた事なかったな。

          好きな人の好きなものが自分も好きかなんて試してみるまで分からない。 なんて、好きな人の好きなものを知るまで考えた事なかったな。