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自己改善を成していく
今年の目標、というか当分の自分の活動目標を
あらゆる"自己改善"に寄与するコンテンツや事業に伴走する
ことにしました。
やや抽象的な目標ですが、それに至った理由をまとめました。
非合理な人間たちの壁
一昨年からはコンテンツの実制作だけでなく、中長期の運用支援やコンサルぽい業務にも携わるようになりました。
しかし、運用結果や改善案に対してクライアントが弱腰になり、なかなか改善に繋がらないケースがありました。更にユーザーを無視した場当たり的な要望も増え、対応するスタッフの疲弊や苛立ちも目立つようになりました。
ゴールは同じはずなのに…どうしてこうなるのか?
それまでの単発案件だと強引なリーダーシップに頼るか、仕方なく完成させて撤退or忘却…パターンが多かったので、あまり相手の事情を察することが無かったのですが、理由を探っていくと、社風や思考が保守的、上長を説得出来ない、失敗したくない…など、何らかの非合理的な要因が見えてきました。
自己完成への努力
人間の非合理性について理解を深めるべく、昨年は哲学書やマーケティングの書籍を良く読みました。特に印象的だったのが、20世紀初頭にスペインの哲学者・オルテガが著した『大衆の反逆』です。
オルテガは人間を2種類に区別し、特に後者を「大衆」と呼んでいます。
人間に対して為され得る最も根本的な区別は次の二つである。一つは自らに多くを要求して困難や義務を課す人、もう一つは自らに特別な要求をせず、生きることも既存の自分の繰り返しにすぎず、自己完成への努力をせずに、波の間に間に浮標(ブイ)のように漂っている人である。
大衆の存在にオルテガは危機感を募らせており、その対極にあるのが「高貴な生」だと説いています。貴族は選ばれた人間であり、名声をもたらすまでにとてつもない努力を重ね、使命感をもって自分独自の行動ができる。
とかく付和雷同、暴力的、既得権益にしがみつきがちな現代社会にも通用する、痛烈な批判です。
自分も多くの失敗を重ねてきました。しかし30代も半ばを迎えてクールさが多少は身に付き、過去の経験や過ちを他者に還元する段階に来ているのでは、と考えています。
なので、
あらゆる"自己改善"に寄与するコンテンツや事業に伴走する
とした訳です。それを怠たる人や存在とはなるべく関わりたくない。そういう決意表明です。(いないと信じていますが)
Twitterもnoteも意欲を引き上げようとするノウハウは枚挙にいとまがないのだけれども、本当に意欲を引き上げるのに有効なのは、意欲を引き下げてしまう要因を取り除くことなんだよね。大抵の人は意欲は勝手に湧いてくるんだから。本年もよろしくです。
— sem_master (@semlabo) January 3, 2022
今は動画制作やYouTubeが主戦場ですが、手段はそれに限らず今後広げて行きたいです。具体的に何を成すかはこれから考えていきます。
まずは正月太りのダイエットを始めます。
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