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人魚の眠る家を読んで

 東野圭吾さんの作品です。この本は楽しい本ではありません。でも、私には必要な本でした。
 子供が脳死状態になってしまった家族の話です。

 脳の活動は停止していて、機械の補助無しでは生きらない。でも、体は、まだ温かく心臓も動いている。
 生きているということ、それは形があることなのか、心はどこに宿るのか、死の定義とは?
 もしも自分が脳死状態だったら臓器を必要な方にお譲りしたいと思うものの、家族の脳死は、とても認められそうにありません。

 命や魂の話が怖い時期がありました。怖い…怖いというのも、しっくり来ないのですが、どうせ死ぬのにナゼ苦労して産まれて生きるのかというか…。死んだ後にどこに行くのか。そもそも行くのか?
 楽になるなんて限りません。無になるなんて限りません。転生するなんて限りません。そもそも生きていることと死んでいることの違いさえわからなくなりました。
 あまりにも怖い(いい表現がみつかりません)ので、慣れるまで一生懸命考えたり、本を読んだり、話を伺ったりしました。
 私の結論、わからないことを考えても無駄。身も蓋もありませんが、起きていない問題に怯えるのは無駄です。
 何も考えなかったのと結論は同じですが、過程で得たものもあるように思います。それでも、家族の脳死は受け入れられそうにありません。
 この本は、ただカワイソウでは終わりません。これでもかと命の形を考えさせられました。
 時々、こういう本が私には必要です。

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