【エッセイ】はじめて校正校閲されたのは

何度も何度も何度も何度も指でなぞりながら読んで確認したのにどうして誤植があるんだろう。
誤字脱字、表現が適しているか、全て一人で担うのはなんと心細いことだろう。
もし校正、校閲のお仕事をされてるプロの方が3人読んでくれたらどんなに心強いだろうか。分厚い3つの壁になってくれる。進撃の巨人も侵入不可能な安心感だ。
そして高性能のフィルターになって、どんな微細なミスもこぼさない。見逃さない。
私は彼等を尊敬している。
現場を知らないからドラマ基準になるけど、デスクの山積みの原稿とにらめっこしているのだろうか。頭から蒸気が上がるほどフル回転させて、向かってくる言葉たちを審査しているのだろうか。

憧れの校正校閲(される側)…

少し違うかもしれないが、私が初めて校正、校閲(のようなもの)を受けたのは小学生の頃に新聞係をしていた時だった。
クラスで月に一度学級新聞を作り配る。そんな係だった。

3人か4人で分担して原稿を書いて放課後残って1枚の新聞を作り先生に見てもらう。
OKが出ればコピーしてクラス全員に配布される。
私は4コマ漫画を担当していた。
時事ネタの下世話な漫画を得意としていた。(自称)
小学生の表現は面白ければなんでもありだった。
残酷な天使。悪魔か…
今思えばおそろしいものを書いていた。

ある日、終礼の後で先生に呼ばれた。
先生はため息をついて私の書いた4コマ漫画の原稿を指差し「これはよくない冗談だわ。どうしてこんな表現をしたの?」と、真剣に(怒っているわけではなかったが)深刻に問われたことがあった。

漫画だから爆発もあれば空も飛べる。なんだって絵にしてしまえば不可能も可能になる。
気づけば調子にのってかなり過激な笑いの取り方へ走っていた。
何も答えられなかった。
それは自分の表現が不謹慎だとわかったからだった。
漫画は白紙に戻し、はじめから書き直した。

それ以来、書いていいことと悪いことを意識するようになった。

だから、私のはじめての校正、校閲者はクラスの担任の先生だ。

他人の目を通さないと気づけないことがある。
書くことは容易いが人様に読んでもらうまでが長く険しく難しいということもその時はじめて教わった気がする。

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