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安心と信頼の松村玲郎アナウンサー


テレビとアナウンサー


各テレビ局が切磋琢磨するライバルであることは変わりないだろうが垣根を越えて新しい取り組みがなされている事実と心意気は清々しい。

これからのテレビとは…

ひとつの形を提示してくれたような気がして、なんだか心躍る。
というのは、民放が互いの局へお邪魔して同時生放送をしていたのを観たからだ。
「WAKUをこえろ!」という企画の一環だそうだ。

新鮮であり不思議でもある良い違和感。
他局のアナウンサーが他局の情報帯番組に映っている風景。(光景ではなく風景)
この画には爽やかな追い風が吹いている。
そう!新時代の幕開けだ!

液晶画面にはベテランアナウンサーと新人アナウンサーが肩を並べて映っていた。
が、どんなにテレビを、そして石川県を盛り上げようとしても県内のテレビ局のアナウンサーの多くが県外出身者という情報が各局の看板を背負って集結したレアな画を純粋に受け取ることを妨げる。

以前気象予報士は一期一会の旅人のようだと切なくなる記事を書いたことがあったが、アナウンサーもそれに似ていて、20年近くアナウンサーを同じ局で続けられるのは稀なことだと思う。
テレビ局の内部事情は詳しくないが、数年在籍したら部署が変わるものなのだろうか。それを出世と呼ぶものなのか。自ら望んでの異動願いかサラリーマン(会社員)の抗えない上からの命(めい)なのか。そしてアナウンサーでなくなったならば、いや、私は表舞台でやっていきたいのだという人はフリーに転身という選択肢をとるのだろうか。とるならばテレビ局員というより生粋のアナウンサー志願者であったということなのか。


アナウンサーとタレント


平成はアナウンサーのタレント化が激しかった。それは民放に限ったわけではなくNHKというこれまた特殊な世界でも匍匐前進のように着々と進められた。いわゆるNHKの民法化は譲れないギリギリラインの制約の中で涙ぐましい創意工夫を時にあからさまに、時に貧乏くさい手法を駆使し我々にお披露目されてきた。そのひとつに垢抜けたアナウンサーのタレント化が含まれる。国営も民放も性別も関係なくその名残りは令和の今も続いている。
発端はどこにあるかが重要なのである。
アナウンサーになりたくて入局したか。
タレントになりたくて入局したか。
やや乱暴で大雑把だがこの二択にわけられる。
実際、アナウンサーを足がかり(踏み台)にしてタレントとして全国区へ…と、いう野望を抱く人も少なくはない。

高みを目指すための拠点移動。
繰り返す越冬つばめもいとわない。

愛されるアナウンサーになる為のそれとは違う「計画性」が見えてしまった時、私はがっかりしてしまう。
やはりアナウンサーはアナウンサーでいてほしい。
だから私は地元に根付いてくれるアナウンサーを探した。ずっと寄り添ってくれるアナウンサーを探しつづけていた。

あの無理をして使っている方言は上辺だけのパフォーマンスなのでは……なんて疑う自分に嫌気がさした。
私の見る目が段々卑屈になっていった。

そういう時、あぁ、そうか、この人たちには帰る場所が他にあるんだ…と、気象予報士に抱いた切ない感情に似たものが生まれた。

しょせんここはかりそめの宿。


パーフェクトアナウンサー現る


嘆くことなかれ。
理想のアナウンサー、パーフェクトアナウンサーがいたのである。
生まれも育ちも地元石川県一筋。
TBS系列の北陸放送(MRO)の松村玲郎さんである。
1973年生まれ。地元石川県の高校を卒業後に地元の国立大学の金沢大学に進学している生粋の石川県出身のアナウンサー。
1996年に入社してから2023年の現在までの27年間、北陸放送の顔として、石川県のアナウンサーの顔として活躍されている。
正確には2018年より報道部に異動となったが、引き続きキャスターとして出演されている。
(ちなみに北陸放送のホームページプロフィールには御本人曰く「地産地消キャスター」とある)

石川県のアナウンサーの顔、松村玲郎さん。
(画像はMROのホームページより)


「レオスタ」という名前の入った帯番組の司会も務めている。
局からの信頼も厚いのがわかる。
視聴者も安心して観ていられる。
無理に方言を前面に出さないのもナチュラルで、押し付けがましくない。
誠実、謙虚、沈着冷静、時々方言。
絶妙なバランスである。

私は松村玲郎さんを石川県の安住紳一郎アナだと思っている。
松村さんほどの人物ならフリーとして全国でも活躍出来る。
が、北陸放送に居てくれる。地元に残ってくれている。
それがとにかく嬉しいのだ。

松村さんの帰る場所はここ(石川県)で、ここ(石川県)が故郷なのだ。

松村玲郎さんはあの歌手の松山千春さんにも認められた男としても有名だ。
歌で認められたということではなく(いや、きっと歌もうまいはず)、松村さんが松山さんにインタビューしたのがきっかけで、松山さんは松村さんの人間味にすっかり惚れたという。
松山さんは松村さんの人柄を「律儀な男だな↗」と、ラジオで大絶賛の言葉を贈った。これは知る人ぞ知る逸話である。
なんて誇らしい話だろう。広大な北の大地が視界に広がるようだ。
松山千春氏も出身地北海道への郷土愛が深い方である。
お二方のシンパシーが交差したに違いない。

誰にでも故郷がある。都会でも田舎でも、その人が生まれて育った土地が故郷だ。そこの水や土や風が一人の人間を形成する。
だから同じ石川県というだけで親しみを覚える。

WAKUをこえろ!企画からテレビのあれやこれやを見つめ直していたらどうして私はこんなにも地元ということに執着しているのか自分でもある意味引いている。正直うすら怖い。

自分勝手な反骨精神を代替するように誇りに思える逸材に投影してすがっているのかもしれない。

ローカル局のぬくもり


石川県のテレビ局に入社した県外の新人アナウンサーたちもいつかは生まれ育った土地へ戻っていくのだろうか…
それでもアナウンサーの皆さんは赴いた土地に歩み寄ろうとしてくれている。それもすごく伝わるから別れの寂しさを先回りして今感じなくてもいい感傷に勝手に浸ってしまう。
方言を勉強してくれたりここならではの食文化に積極的に触れてくれたりとアナウンサーたちはとても健気に涙ぐましい努力を惜しまない。
その姿にローカル局とキー局では大前提の持論は通用しないのではと考え直させられる。
今まで斜に構えて見てきたものはいわゆるキー局のアナウンサーに限ったものではないだろうかと。それをローカル局にまで持ち込むのは私のエゴではないだろうか。
今、私は揺れている。
アナウンサーとタレントというテーマにひびが入って、そのひびは亀裂と呼べるものになり、石垣はゴロゴロ崩れはじめてきている。
これがローカル局の持つぬくもりなのだろうか。
冷静に考えてみたら郷土愛って束縛されるものでもない。
ただ私には危ういもので実のところわかっていないけれど、一期一会は寂しい…ということがとにかく強くあるだけなのだ。

向き不向きがあるならば、私は一期一会に向いてない。そう。向いていないことと否定することは違うのだ。
それを教えてくれたのは同郷の星松村玲郎さんと松村さんを中心にしてさんざめく後輩アナウンサーたちの輝きなのかもしれない。

ありがとう松村玲郎さん。
ありがとう後につづく志高きアナウンサーたち。




*追記(2024/03/20)
なぜかこの記事が常に読まれ続けていることを集計の閲覧数で知った。
とてもありがたいことである。
読んでくださりありがとうございます。

そして、現在のMROのホームページではアナウンサーの欄に松村玲郎さんは在籍してはいないのですが、新しい風が吹いておるようです。
そこで知ったことは谷川恵一アナウンサー(育ちは石川県)と西尾千亜紀アナウンサーも松村玲郎元アナウンサーの系譜を継ぐ存在であるということでした(系譜って…)。
ですが、あの頃このような頑なな記事を書いていたことを少し反省しつつ恥ずかしくも思っております。
どのアナウンサーも(アナウンサーに限らずキャスターも)石川県に寄り添って職務をこなしているということに気付かされました。
あの頃よりやわらかく物事を見ることができるようになったのではないかと。
それとは別に谷川恵一アナウンサーのアナウンサーの枠に収まらない魅力(魔力?)にこれからのMROから目が離せないのでありました。

プロフィールのひとつひとつにセンスを感じてやまないのであります。
一言メッセージの
「ラジオの世界の奥深いところを常に追求し続けます。」に髪を引っ張られてしまいました。

つづく…!?

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