実は織田信長と豊臣秀吉と徳川家康は親戚だったという話
三英傑で有名な3人、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康。この三人は実は親戚だったという、にわかには信じられない話をしたいと思う。
この三人が親戚なんてまさかまさかと思うかもしれないが、気になる方は是非読んで欲しい。
信長の妹 お市の方
信長に戦国時代でもかなりの美人と言われているお市の方という妹がいたのは有名な話だ。
当時の風習に倣い政略結婚として、お市の方は近江国(滋賀県)浅井家に嫁入りすることになる。
これで織田家と浅井家は同盟関係を結ぶ。
政略結婚とはいえ浅井長政との夫婦仲はとても良かったと伝えられている。
長政と市の娘達 浅井三姉妹
ここでキーパーソンとして出てくるのが、浅井三姉妹である。
長女:茶々、次女:初、三女:江。戦国時代という背景もあり、この三姉妹ほど数奇な運命を辿ったのは珍しいかもしれない。
浅井長政とお市の方の娘として生まれた三姉妹は江が生まれた天正元年(1573年)に悲劇が起きる。小谷城の戦いで浅井家は伯父である信長率いる織田軍に滅ぼされてしまったのだ。(後に浅井久政、長政、朝倉義景が金箔の髑髏にされたのは有名な話)
その戦いの決戦を前に市と三姉妹は織田軍に預けられ助かったものの、父親である長政は29歳の若さで死去した。(だから江は父親の顔を知らない)
そして彼女達は清洲会議(信長死亡)後に市が再婚した越前国(福井県)の柴田勝家の元についていくことになる。
この時茶々14歳、初13歳、10歳である。
しかし翌年の天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に義父の勝家、母の市をともに亡くす。
これにより、三姉妹の運命は大きく分かれていく。
茶々(後に淀殿)
この名前になれば教科書に載っていると思うのでもう説明すると、豊臣秀吉の側室である。
賤ヶ岳の戦い以後三姉妹の記録はあまり残ってないらしいので割愛するが、天正16年(1588年)頃に豊臣秀吉と結婚したと言われている。
そして結婚してから5年後、文禄2年(1593年)に豊臣秀頼を産む。
お江(後に崇源院)
江と言えば記憶に新しい方もいるかもしれないが、大河ドラマにもなった主人公である。
江は三度の結婚をしたと言われている。最初は佐治氏、次は羽柴秀勝、そして徳川秀忠だ。
初めの二人はともに死別である。
羽柴秀勝は名の通り羽柴氏、つまり豊臣秀吉の甥である。(姉である日秀尼の息子)
そして最後の婚姻相手は分かるであろう、徳川秀忠は江戸幕府二代将軍にして徳川家康の息子である。
そして江は徳川秀忠の継室になり、二人の間に2男5女をもうける。
この中には江戸幕府三代将軍徳川家光や豊臣秀頼に嫁いだ千姫がいる。
つまり整理すると、
となるのだ。
江からこの家系を見るととても興味深くなる。つまり織田信長は伯父、豊臣秀吉は義兄、徳川家康は舅(義父)となり、豊臣秀頼は甥、徳川家光は息子となるのだ。
だから最後(大坂の冬・夏の陣)はある方面から見ると、親戚争いで争ったことになるのだ。
補足 それ以外の人々
後年、浅井長政は徳川家光の外祖父に当たるため寛永9年(1632年)に従二位中納言を贈られた。
市は浅井、織田の血脈を残すことを考えており、秀吉に三姉妹の身柄を保障させた書状が残っている。そして江が沢山の子を産んだことにより現在の子孫の方々まで血筋は残っている。
後書き
もし良かったとか、歴史雑学の続編欲しいという方は是非拡散したり、スキやコメントを待ってます。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?